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Author:つばきりゅう
なんかその都度「?」と感じた一見関連性のない細かいことが最終的に大きな像を結ぶ。そんな観点から幸せを実現していきたいという気持ちからはじめたサイト。よろしくお願いします。

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2008年11月21日 街の灯りに三つ子の魂をみる

今日からなんだか冷え込んでいるパリ。
どの都市でもそうなのですが、その土地の横顔みたいなものに哀愁をかんじるのが夕暮れ時の風
景。東京でも京都でもパリでもサンパウロでもなんとなく哀愁を帯びていて、ロマンすらかんじてしまうのが日の暮れた後にともる灯り。


これはオルセーの脇にかかっている鉄筋の橋。
なんとなく船にのっているような錯覚に陥る風景です。
まだ小学生の頃、NSPというフォークソンググループ(古い・・・・)の「漁火(いさりび)」という歌をはじめてききましたが、その時はなんだか地味な歌だなぁくらいにしか思わなかったのですが、今になるとその歌を作った人の感覚みたいなものが判ります。
セーヌというと、漁火というのではありませんけど・・・・街の明かりということですが、港町というかんじはしないパリ。同じ水辺でもいろいろあるようです。

夜の灯りってやっぱり、「人がいる」ということを前提としているからなのでしょうか?
いいや、誰もいない高速道路の明かりだってとてもロマンチックです。
おそらく、人間の本性みたいなところで、夜にともる灯りで「なごむ」という感性があるんでしょう。

ボサノバのリズムで軽いジャズがかかります。
ポルトガル語じゃないと味ができらないという意見もありますけど(笑)、英語で軽くスイングするボサノバはやっぱり洒落ています。
あぁ、ブラジルに行きたいなぁ!

人間が無自覚に生きていたなら、大抵はないものねだりの生き物になりがちなんじゃないかと思いますけれど、ブラジルで暮らしていたなら、パリが懐かしいんでしょうか?

夜の明かりで人はいろ〜んなことを思い出します。
大抵は哀愁にみちたロマン、またはノスタルジック、ただほっとする・・・とか人によっていろいろなんでしょう・・・そういえば、子供の頃に流行っていたシャカタクという洒落たユニット、これこそずばり、夜のそんな快さを軽快に洒脱に演出していたなぁ・・・

子供の頃の音楽や色、芸術に対する感性というのは、いくつになっても自分のベースにあるということがわかって、びっくりしてしまいます。
三つ子の魂百まで、とはまさにこのことでございまする。

要はこういうのをみるとリラックス・スイッチが入るというのが誰にでもありますが、意識しょうがしまいがリラックスしていると、こうやって自分の生来の「センス」みたいなのを自己認識することがよくあったりします。きっと、思春期前の子供って、生涯、彼らの個性というか味になるようなそんな好き嫌いというかセンスをすでに持っているんでしょうね・・・・(笑)。

生きていく過程でこれらを磨いて、いや、そうまでいかなくても、大切に個性として自覚して大切にしていくっていうのも私達の人生の課題なのかなぁ?などと思ったりして。
これって、よくいうインナーチャイルドをちゃんとケアしてあげるっていうことになるんだとおもいます。

三つ子の感性、あなどれません。

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2008年11月9日 花を買うよろこび

最近引っ越した界隈で、とてもかんじのよい花屋さんがあります。
たいてい、フランス人の経営する花屋さんは、注文すると、葉っぱなどを適当にあしらってちょっとしたブーケにしてくれます。こちらの花屋さんも、いつも綺麗にブーケ状にしてくれています。

先週は大きな百合を5本寝室に、そして5色の小さい野菊のような花束をキッチンと書斎リビング用にわけてもらいました。その前は大きなボンボリのようなピンクや紫のあじさいをダイナミックに飾ったりして・・・・

今週は白い緑がかった薔薇とカスミソウでこんな素晴らしいブーケを作ってもらいました。
白と緑のアレンジメントは私が好きな組み合わせ・・・シンプルで、上品で、みずみずしく、とってもエレガント。


中国やインドなど外国人の経営する花屋さんや冷凍の花を売り物にするチェーンの花屋さんでは、お花を野菜と同じように扱います。確かに、生鮮品であることにはかわりはないのかもしれません。
一束いくら・・・というかんじで、無造作に包んでもらっておわり。

以前は安価が売りだったそういうぞんざいな花屋さんも、最近では値段があがり、丁寧に花を扱って、お花を買いにいくことを喜びに変えてくれるような花屋さん達とそれほど値段に差がなくなってきています・・・私は花を買う喜びを味わいたい

世の中がなんとなく、益々おかしくなっているのに気がつきます。
以前は安かろう悪かろうだったけれど、最近は高かろう悪かろうが結構存在しているということ。
見た目の安っぽさにだまされて、粗悪っぽいものが安いと思っている人が結構いるようです・・・(一見)高いからと、きちんとした商品やお店を敬遠する人がどんどん増えてきています。

先日、友人がまだ一度しか着用したことのないシャツの右の肩甲骨のあたりが破けているのをみつけました。よくきけば、そのメーカーのシャツはこれまで何度となく同じことがあったそうです。最初は洗濯機か乾燥機のせいか、もしくはアイロンをかけた際に破けてしまったのだろうと思っていたそうなのですが、破け方が変なので、以前に破けたというシャツで、着用せずに戸棚にしまっていたものを見せてもらうことにしました。すると、合計15枚のシャツ、それも一度しか着用したことのないものの同じ場所が同じようにほころびていることが判りました・・・・

ちなみに、このシャツ屋さん、コットン100%の男性用のドレスシャツの専門店で、かなり洒落たかんじのブランドです・・・。友人は5、6年来ここで毎年30枚近くシャツを購入しているとのこと、一枚60ユーロくらいするシャツですから、ここのお店のよいお客さんです。本人は面倒くさいからそのまま破けたものを脇によけておいたといいますが、改めて知る事実に、次第に怒りを感じ始めました。

なんで、15枚も新品のシャツが破けたのにクレームのひとつもつけなかたのかと私は思いましたが、あくる日に、数件の同じブランドのお店の店長をしているという男性に話しをしてみるようにいいました。友人が怒りをおさえて話したところ、あっさり「なら、交換しますので、もってきてください」といわれたとのこと・・・実際、15枚もあったと知ったら、どうするでしょうか?

友人によれば、シャツを買い始めた当初はそんなことはなかったらしです。
現に、3、4年着用しているシャツはまだ襟や袖にも傷みはなく、とても趣味のよい、そしてよい品質のシャツのようです。ここ、1、2年で買ったものがおかしいとのこと・・・店長さんの反応からしても、そういうクレームは結構あったんでしょう・・・。

グローバリゼーションとやらで、安かろうよかろうとやってきた結果、最近は世界のいたるところで「ぼろ」がでてきています。最近では、必ずしも安いとはいえない値段の商品でさえ、非常に質が低下してきています・・・・コストをできるだけ抑えて利益をあげようということなんでしょう。

最も判りやすいところでいえば、日本で人気を博したXXX円ショップも、それが貧しい国の人を酷使して、コスト重視、効率重視、利益重視といえば聞こえはいいけれど、とってもさもしい感性のもとに発達した、まるで化け物のようなシステムから生み出された商品だと、私は(考えすぎだといわれますが)嫌な気持ちになることがります。

安く美味しい料理を出す定食屋はパリでは殆どみられなくなり、国籍不明・原材料のでどころ不明の安くてそこそこの見栄えのする料理屋や、ファストフード店なんかが、安くて美味しくて面倒くさくないと喜ばれる世の中になってきました・・・そして大切に扱って、体型に気をつけ、美しく装うなんていう感性は珍しくなりつつあります。靴屋さんに入っても、するのは皮のにおいではなく、ゴムやビニールの匂いばかりなんていう店もかなりでてきています。そういう店に入ってしまって頭がいたくなったりすることがあります。

安かろうよかろう、利益重視なんていう、消費者と企業の考え方、需要は、社会的な不信感や生活の質の低下、ひいていは人間としての心や感性のレベルをさもしく、味気ないものにしてしまったと益々
おもうことが多くなる今日このごろ・・・・

一部のお金持ち以外はあとはみ〜んな貧民なんていう冗談をいう人もいましたが、実際、所得の高低ではなく、世の中の人の心がさもしく、即物的になり、物の美しさや、ものの心、感謝して作る、感謝して使うという美しさが、マーケティングやグローバリゼーションの名の下、味気ないものにたくみにすり替えられてきているのではないかとおもいます。

何を今さらという人もいうかもしれません。
でも、風潮に踊らされず、しっかりとみきわめて、幸せな生活者になりたいとおもいます。
一人ひとりのまっとうな幸せが、豊かな社会、豊かな世界、豊かな宇宙?に繋がると思ったりして。

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2008年9月25日 せつなさはやさしさ

パリは秋の穏やかな気候が続いています。
秋はフランスでは始まりの季節。
引越しや入学、転職の季節でもあります。

昨日は、パリ在住の日本人女性画家の方とギャラリーがひしめく、サンジェルマン・デ・プレのRue de Seine通りで楽しくも不思議なお話をして盛り上がりました。彼女の知り合いの方がサービスをしていて、私もちゃっかりと、なんとシャンパンをご馳走になるという幸運に恵まれました。

シャンパンというのは、たいていフランス人の家にいつでも一本はあって、嬉しいときなどにいつでも開けられるようにしてあるもの・・・・贅沢というだけでなく、「喜び」を表すシンボルです。

この画家の方は、とても心というか魂のきれいな、きちんとした方で、謙虚であられますが、パリのSalon d’Automneという一流画家の登竜門ともいえる展覧会に作品が選ばれたそうです・・・!
おめでとうございますぅ!そのうち、許可を経て彼女の作品をこのブログでもご紹介できたらと思います。絵というのは、作家の名前、出来上がってしまったその作家のマーケット(値段)というので取引されるものですが、本来はそれ以前に心や魂でその価値を問うものだと思っています。そういう意味では、彼女は本物の絵描きさんなのではないかと、思いました。

そういう心やすらかなそしてドキドキするようなおしゃべりの時間と平行して、実は私は月末に向けての引越しプロジェクトがラストスパートに入っています。

現在、引越しの時期らしく、街を歩いていも引越しのトラックから長いはしごをかけて、ソファやベッドを降ろす光景がみられます。実は相当に事故の危険が高いので、その場合は下を通らないようにしています。皆様も、パリでは無造作に道を歩かないように・・・・真冬に頭上で植木に水をやっている人のせいで水浸しになる人もいます。

それにしても、もう7年以上住んだ界隈を引き上げるという切なさよ・・・、アパルトマンは家具などがなくなって殺風景になってもなんだか自分の匂いがしみついているような、変な愛着をかんじてしまいます。

こちらは、以前に住んでいたアパルトマンから見るモンパルナス・タワー。
丁度、西に位置していました。


そして、新居の書斎からみるモンパルナス・タワー。
距離がぐ〜んと近くなって、真南に位置しています。


なじみのパン屋さん、お花屋さん、食料品店。
毎回、長期の旅行から帰ると、「あぁ、帰ってきたぁ!」と思う独特の慣れ親しんだ界隈の空気。

歩いてたった30分、車で数分の引越しですが、引越し先はまた違う隣人、パン屋さん、お花屋さん、雰囲気があります。これからここが私の家になる、ここが「ただいま」の場所になるわけですねぇ・・
宜しくお願いします!
ちなみに、なじんだ界隈の教会に毎日立ち寄りながら、引越し先の近所の教会にも時折、ご挨拶をしています。宗教や信仰云々とか、そういうことではなく、やはり土地の精霊、伝統など、どの国にいっても、敬意をもって「仁義を切る」っていうかんじでしょうか?(笑)

自分の思い出と現在とこれから、全て自分の人生の一部。
去り行くものを愛で、変化に感謝して楽しんで、これからを明るくそして真面目に生きる。
引越し先から同じビルをみながら、自分の生活の変化を不思議に思う今日この頃です。(笑)

なんだかわからないけれど、ジョージ・ハリスンがジョン・レノンを追悼して作ったという「過ぎ去り氏日々」という曲が頭にこだましています・・・この曲、不評だったそうですが、深い悲しみや寂しさをこうして「哀愁」というかんじでさらりとさわやかに歌うっていう、そういうセンスがとても好きです。悲しみや苦しみではなく、「切ない」そんな気持ちでいられる心の強さと優しさみたいなものを、この人に感じました。

毎日、皆が眼に見える形、見えない形で変化を経験しているといいます。
なつかしの歌で井上順一の「お世話になりました」っていうのがありますが、まさしく、そんなかんじ。
こういう「せつなさ」をあじわうっていうのは、とってもいいことなんじぁないか?と思いはじめています。
引越しで嬉しいけれど、ちょっと秋らしくセンチな日々でした。

ジョージ・ハリスン自伝―I・ME・MINEジョージ・ハリスン自伝―I・ME・MINE
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結構、のけぞるかんじの人もいるかもしれませんが(爆)、私は真面目にこの人の「お世話になりました」は名曲だと思います。こうしてみると、井上順一でフランスの歌手と乗りが似ていますねぇ・・。
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2008年 9月20日 色をまとう、色と住まう

新しい家に引っ越して絵を飾るとしたら、私はこれがいいというのが、クロード・ヴィアラ(Claude Viallet)というフランスの現代作家の作品。フランスは勿論、欧米でも人気の高い作家です。
知り合いのおうちに彼のシルクスクリーンがところせましと何枚も飾ってありましたが、「色と住まう」ということの楽しさ、豊かさがそのお宅に溢れていました。モダンでかつぬくもりというか心の勢いのようなものがあって、不思議に作品が生きているというかんじがしました。

よくご存知の方もいらっしゃるかと思いますが、ちょっとご紹介してみます。

こちらはパリのGalerie BARESにあるヴィアラのシルク・スクリーンの作品のうちのひとつ。
お値段は、車が一台買えるくらいです。



簡単に作家の経歴をご紹介すると、クロード・ヴィアラは1936年に南仏は「闘牛」に縁の深いニームに生まれたフランスの現代画家。最初はモンペリエの美術学校で学びます。そちらでフランソワ・ルアン、ダニエル・ドゥズーズ、そして後の妻となるアンリエットと出会います。アルジェリアでの兵役を終えて20代前半にパリの美術学校で学び始め、ミシェル・パルマンティエ、ジョエル・ケレックなどと出会います。当時、彼はパリでケニス・ノーランド、サム・フランシス、モーリス・ルイなどのアメリカの抽象表現に目覚めます。1963年にはすでに抽象画に傾倒していたといわれています。後にニースのDecorative Arts Schoolで教鞭をとり、同時に従来の古典的なスタイルを疑問視し、抽象的な図形を主にした独自のスタイルを発展させ、他の作家と共同で展示会を開いていきます。

こうしてみると、人は出会うときに出会うべき人と会っているという気がします。
特別な人だけが特別な出会いをしていると考えているとしたら、自分で気がついていないだけなんでしょうね、きっと。

1967年にはリモージュの美術学校での教師の地位につき、そこでオーストリアの作家、ラウル・ハウスマンに出会います。この当時、以来30年彼の作品を扱うことになる画商、ジャン・フルニエ氏により始めての個展が開催され、パリの近代美術館を中心に展開された「Support/Surface」運動に参加していくことになりますが、1971年にこの運動から退きます。

ちなみに、Support/Surface(「支持体・表面」の意味)運動とは、1960年代にフランスの南仏に起こった芸術運動のことで、1968年のパリの「五月革命」などの思想とも関連していて、芸術を社会の中に位置づけるというような動きとしてもしられています。簡単にいえば、素材をいかに表現するかということにこだわり、当時の従来の表現方法を批判し、一種の「解放」をこころみた運動といえます。
70年代の「ミニマル・アート」とか「モノ派」なんていうのとも関連が深いそうです。この運動に携わった主な作家は、ジャンピエール・バンスマン、ダニエル・ドゥズーズ、ヴァンサン・ヴィレウス、ルイ・カーヌなどがいます。

パリの「五月革命」については、シンクロがいろいろあるのですが、このブログの2008年5月30日にもそれについて書いてありますので、お時間がある方はご覧ください。

1974年には別の美術学校に職を獲て、マルセイユに移り、最初のサン・エチエンヌ美術館(Museum of Art and Industry)での個展が開かれます(後に回顧展が同美術館で開かれる)。その後、生まれ故郷のニームの美術学校の学部長に就任し、「闘牛」に関するコレクションをはじめ、これは1986年に現地で闘牛美術館となっています。

彼の生まれ故郷のニームはセミと闘牛とジプシーキングスなんかで知られています。実際、現地で真っ黒なひきしまった美しい牛をみると、牛のイメージが変わりました。

1988年にはイタリアのビエンナーレにフランスを代表する作家として参加し、またこの年にフランスのカマルグ地方のAigues−Mortesのノートルダム・デ・サブロン教会(8月28日のこのブログでも紹介していますが、小さな素敵な教会です)のステンドグラスを作成しています。パリの高等美術学校でも教鞭をとり、様々な賞を受賞しています。現在はベルナール・セイソン氏が彼の作品を取り扱っているようです。

詳しくは彼のサイトをご覧ください。
www.claudeviallat.com

絵というのは芸術というだけでなく、資産としての側面もでてきたりするわけですが、そういうことを一切考えなくても、即座に「これ、欲しいなぁ!」というか、それがあるだけで空間がぐ〜んとグレードアップするようなエネルギーの作品があります。私にとっては、Viallat(ヴィアラ)はそんな作家です。

やはり色って面白いものだと思います。
本日は流行のモーヴ(藤色みたいなの)にピンクに黒を身に着けていますが、身に着ける色によって自分の気分どころか、見ず知らずの人との関わりまで変わってくるのが不思議。

パリに暮らしてから、こちらの色使いに魅せられると同時に、視界に溢れる色の断片の中で日本独自の色というものに自分が知らず知らずに反応していることに気がつくようになりました。日本人ならではの色感覚、細胞にまで染み付いているようです。

日本の色辞典日本の色辞典
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吉岡 幸雄

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2008年9月17日 一緒にいると幸せ

ここのところのパリの朝は11月はじめを思わせるほどの寒さ・・・。
日差しは明るいのかなりひんやりしているのにびっくり・・・東京はまだ暑さの名残りの季節だというのに・・・温暖化というのが実は、科学信仰によるまやかしだということにあらためて思い当たります。(笑)

先日、日本でも大人気の作家、アンドレ・ブラジリエという作家の絵を友人のところでぼんやりながめていました。彼はフランスを代表する現代画家の一人ですが、特に日本と親和性が高いアーチストとしても知られています・・・・馬や騎馬隊などがよく題材としてとりあげることでもしられていますが、日本でも制作活動を行われていたことがあるそうです。

色調はとても美しく、彼の絵から受けるのは「優しい静けさ」・・・・やわらかで穏やかでそしてなんとなくひんやりとした朝露のイメージ、そぼふる秋雨、春雨のイメージなどが個人的には、あります。
なんとなく、日本人として懐かしいかんじもうけます。

とても詩的な作家で、見るものの気持ちを静め、自然な清らかな喜びへといざなう、そんなエネルギーをもった作家です。友人のところにあったのは、2002年のこのリトグラフ。
この日は、友人のところにブラジリエの愛好家のスイス人の方が訪れ、グリーンを基調とした小ぶりの、ひそやかで美しい雰囲気のあるリトグラフを買い求めていきました。

写真ではよくわからないかもしれませんが、この作品はグリーンとブルーの色使いがみずみずしいかんじ・・・・個人的には彼のブルーにピンクがちらりとまざった美しい空のもと、騎馬隊が描かれているのが欲しいです・・・・(笑)。



ブラジリエと検索すると、日本でもお取り扱いの多い作家なので、いろいろとご鑑賞いただけると思います・・・・とっても美しいです。みればみるほど、よくなってくる・・・・

ざっと経歴をご紹介すると、彼は1929年にフランスのアンジュ地方、ソミュールで生まれ、若き日はボザール、ブリアンション氏のアトリエで絵を学びます。現在80歳前後になられます。1960年前後から、パリをはじめニューヨークやジュネーブなどで個展を開き始め、1970年代から日本で個展が開催されはじめました。
個人的には、密室殺人の小説として古典とされるガストン・ル・ルーの「黄色い部屋の秘密」の挿絵を描いたということが印象深い作家でした。

彼の作品をご覧になっていない方は、一度ご覧になってみるとよろしいかと思います・・・・。
ポスターや復刻版のリトなら、7〜8万円と買いやすい価格のものもあるようですが、できれば、サイン、ナンバー入りのリトグラフや油が欲しいです・・・・(笑)。
フランス人のニュアンスの妙が出ているかんじ・・・・シンプルなのに洒落ていて深い。

日本語で作品集もでていますので、機会があったらみてみてください。素敵です。

また、彼の作品には、奥様もよく登場なさいます。シャンタルというお名前で、多くの作品にでてきます。中でも、奥様をピンクの色を多く使って薔薇とともに描いた絵はとても綺麗でした。

奥様自身も、絵をお描きになるそうです。やはりふんわりとしていて、素敵です。
見る人が幸せな気持ちになる絵、とても清らかですがすがしい。



彼らの絵をみていて、イタリアのデザイナー、オッタヴィオならびにロジータ・ミッソーニ夫妻を連想してしまいました・・・・イタリアの誇る、最高のニットのブランド、私の憧れですが・・・・昔、昔、ミッソーニ夫妻のインタビューをみたことがあったのですが、美、仕事に対する情熱、夫婦の愛、家族の愛、そんな要素が溢れていたことを思い出します。

人間はそれぞれが元来、アーチストです。
どのような方面、どのようなトーンか、それぞれ方向性、個性は違うのでしょうが、もしかすると、そんなことを考えてもみなかった人でも、たとえば相性がよく、お互いがかたわらで自然にくつろいだり、生命力を刺激されたりするような相手にめぐり合うと、思っても見なかった自分の「生活芸術者」としての才能を発見するかもしれません。愛する人のもとにいるだけで、仕事や日々の生活への情熱が穏やかにのびのびと表現されてくる、そんな豊かな人生を送ること自体が、すでに美的な癒しとして周りの環境に貢献するんじゃないかと思います。

「一人ではできない」、夫婦の結びつきという土壌があってはじめ育つ、常にみずみずしくそしてつねに中心からブレることなく展開していく、そんな美しいコラボレーション。二人でいるからこそ生まれ出ずるものを人が美しいと思うのは、カップルとして人が共鳴することに周りが共振するからなのかもしれません。

その日の午後、彼らの絵をみていて、夫婦でいることは美しいことなのだと感じていました。
相手といると元気がでる、そして優しい気持ちになれる、「一緒にいる」幸せ。

フランスでは3組に2組が離婚するということですが、一番シンプルな幸せが一番得がたいものになってきているのかもしれません。それでも、2人で生きることの楽しさ、そしてそれをありがたいと思う誠実で正直な気持ちがあれば、いつまでも「くすぐたったい」部分を残した、それでいて美しい成熟にむけた関係を築いていけるんじゃないかと思います。

この本、著者のイギリス贔屓を差し引いても、大変面白い本ですよ。
カップルに限らず、人の関わりあいについて考えてみたいかたにおすすめします。

イギリスの夫婦はなぜ手をつなぐのかイギリスの夫婦はなぜ手をつなぐのか
(2007/06)
井形 慶子

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