もう春ですよ!
今朝もまた買ってしまった苺・・・大粒でつやつやのものが木箱入りで
1キロ1000円くらい。甘くてさわやかな春の香りを運んでくれました。
苺というのはブルーベリーと並んで活性酸素吸収力指数(ORAC)
が極めて高くリンゴの5倍ほどあるそうです(リンゴは他の点で優位
ですが)。
以前、デンマークに半年間滞在していたことがあります。
ある学校でデンマーク人や外国人(8割以上がデンマーク人と移民、あ
とは自費の外国人)と共に(私は)デンマーク語を全寮制体制で勉強し
ていたわけですが、あるとき、デンマーク人の女性が、それこそ
「ニート」そのもののデンマーク人男性に対して大声で言い放ちま
した。「あぁ、なんて醜いデンマーク人!」
小太りで長髪、色白で、猫背で、いつもひきつったような笑いか
仏頂顔をしており、特に同じデンマーク人に対して憎悪のこも
ったまなざしを向けていました・・・。彼らが彼に意地悪だったから
かもしれません。聞いたところによると、彼は両親が離婚する際に双方
が親権を放棄し、それが裁判所で受け入れられたため孤児院で育った
のだそうです。頭はよかったのですが、社会に順応できず、こうして
国民高等学校(という成人教育のの場があり、人生の方向転換や失業
期間のリフレッシュや専門によっては職業訓練に利用されている)を
転々としていたそうです。
ある晩、いつものようにアラブ人達が音楽の集会をやることになりまし
た。話好きで音楽好きな彼らは、たいていは手拍子足拍子で歌って場を
盛り上げ、それを何時間も続けます。彼らは自分達の心、それこそ血の
なかにある「アラブ節」のようなものを音楽を通じて大切に残している
かのようです。仲間と話、歌を歌うことでどこにいようと彼らは故郷
にワープできるのだと私はみています。(笑)
珍しく、その晩はそのニートみたいなデンマーク人がやってきました。
タン・タタンタンタンという手拍子足拍子で、それこそ、演歌調の節
回しに合いの手が入り、それぞれがある特徴を保ったまま、変幻自在
に数時間、絶えることなく歌の宴を続けるのです。アフロ系のものと
はまた全然違う、食べ物をよく口で唾液とこなして飲み込むような美
味しさ・・・・そして「神」につながる・・・こうやって「音楽を分
かち合っている」時間は、非常に平和をかんじ、彼らのしたたかさや
強さにそれこそ「生きることへの賛歌」をみてしまう。
「こんな幸せなことがあろうかね?」というほど。
まさしく、ブラジルのショーロという私の愛する音楽があるのですが、
それと同じで人々の間合いが絶妙に織り成す「場」なわけで、非常にス
ピリチュアルな行為、共通するものを感じます。
この凄いセッションの最中、白人で一人参加していたニートのデンマ
ーク人は「判らない、説明して欲しい」といって音楽をさえぎりまし
た。彼はどうやってこの音楽を聴いたらいいのかと質問をはじめまし
た。クラシックのような旋律がみえない、規則がないなどといいはじめ
ました。そこで、アルゼンチン人の友人が「何でも理屈ばかりで理解し
ようとしても、音楽の才のない人間には無理だ」といいはじめました。
「だから、ここのやつらは血が通ってない」と。
そこで、このニート君はモーツァルトとバッハを引き合いに出して、
これは音楽ではないといい始めました。
周りはそれを無視して、音楽を再開・・・
ニート君は私に向かって、「君はわかるだろう?こんな野蛮な音でなく
て、音楽というのは理解できるものでなくてはいけないんだ」。
そこで、「確かに、ドイツやオーストリアの音楽の美しさとは違う
けど、音楽というのは魂で聴くものだからね、貴方は流れにまかせる
ということができないのよ、もっと楽しめばいいのよ、やってごらん」
というと、彼は頭を抱えてしまいました。本当に苦しそう。
音楽を感じることができないのだそうだ・・・
本当に「判らない」のだそうだ。
そりゃそうですよね、「判る」もんじゃないんですから。
ニート君は見たところ身体的にも精神的にも魂的にも萎縮しているよう
でした。愛がなんだかわからないんだから・・・。愛だ恋だとかそうい
うメランコリックなものではなくて、もっと大きな愛、自分を手放して
初めて判る愛、そういうものに触れるともう涙がとまらない、本物の音
楽を聴くとそこまで簡単にいけるようです。
今世の中に溢れるのはBGMや自分の妄想の中にトランスするものが
多い・・・。ごまかしや現実逃避・・・だから興奮させるか、よくて
過去に耽溺する手段として使われるのがおち。
心も体も魂も豊かになるような音楽、ジャンルを問わずそれは「本物」エッセンスがあるもの。
感性を豊かにするもの、魂の糧になるもの。当時、その田舎の学校から月に2度、コペンハーゲンに「帰る」よ
うにしていました。そうでないと非文明地帯に隔離されているよう
で「神経」がもたなかったからです。
いつもステイするプライベートルームは美しい、天井のとても高い瀟洒
な築200年以上のアパルトマンで、アリスというお年を召した貴婦人
が住んでいました。もう自分が来て欲しい人以外は泊まらせないシステ
ムにしたという彼女でしたが、息子さんが以前使っていた薄暗いけれど
完璧に手入れされた広いお部屋を使わせてもらってました。毎朝、教会
の鐘の音が聞こえ、後は小鳥の声と水をうったような静けさ。北欧人は
騒音公害についてかなり厳しいので、天然の「ホワイトノイズ」を楽し
める点がよいところだともいえます。
100年以上前の銀食器(いつもビニールがかかっていた)、肖像画、
立派だけれど重厚すぎない優美な家具、ロイヤルコペンハーゲンのアン
ティークなどがさりげなく置かれている場所でした。
デンマークでは非常に稀有なことだといわれますが、よくダイニング
まで招いてくれてお茶や御菓子、タバコ、ポルト、時にはガンメル・
ダンスク(火酒)などをすすめてくれました。普段は「絶対」出さない
という朝食も出してくれました。風邪をひいたときには、生肉を食べさ
せて(とても繊細な味付けで)治してくれたこともあります。
家族間でもアポなし訪問は厳禁なところだそうですから、とても良くし
てもらってたといえます。美しく礼儀正しい(フランスで暮ら
したことのあるアリスはフランス人が乱暴だとこぼしていました・・・
はは)そして「一見」控えめな文化。コペンの中心地にはこういう家
がまだ残っているようです。
コペンハーゲンの目抜き通りストロイエからホテル・アングレテール
を通り、そのまま広場を右手に道なりに10分ほど歩くとアリスの家
につくのですが、その途中に小さなイタリア料理屋がありました。
ある日、無表情な人々、美しくて寒い町で人恋しくて泣き出しそうに
なり、なんとなく、その店に入ったところ、二人のイタリア人青年が
洗いざらしのリーヴァイス、白いTシャツ、白の革のサボをはいて元
気に笑いかけました。壁は見事にゴッホの黄色一色!
「やぁ!何食べるの、ベイビー?」やっと、ここで血の通った人間に
会えたと涙が出るほど嬉しかったことを覚えています。
アーティショーのサラダとモツァレラ・トマトのサンドウィッチを
頼むと、デンマークではたいていピザとゆですぎのスパゲッティしか
頼まないと喜んで思い切り具沢山にしてくれました。帰ろうとすると、
帰らないでまだいろ、まだいろと、結局その日は夜までいることにな
りました。英語の上手な彼らは話していて面白いのです。
彼らはイタリア人によく間違えられるようですが、実際はイラン人で
イランイラク戦争のときに家族と引き離され、親戚もたくさん殺され、
デンマークに移民として受け入れられたといっていました。子供の頃
から一人で生き延びてきた、素晴らしく丹精な顔をした頭のよい頑固
な褐色のセウサ、そして弟分は両親はカナダに移民として住んでいて、
どこかアメリカ人っぽい雪のように色白でたれ目の美男子シナ。
宗教は人を殺す、自分は宗教に家族を皆殺しにされた、だからもう宗教
などみたくもききたくもない・・・神は自分の中にいるとセウサは話し
ていました。セウサはデンマークで店も軌道にのったからと落ち着く
気でいたシナを置いてノルウェーに移るといっていました。
デンマークに耐えられないと。
この2人にはそれこそ兄のように可愛がってもらい、コペンハーゲンで
有名な無法自治地帯(今はそれほど自由でも安全でもない)である
クリスティアーナや普段であれば恐くていけないようなところも安全
に連れて行ってもらいました・・・店を閉め、宴会が終わると、セウサ
とシナでぶどう酒(ワインというよりそのほうが彼らには合う)をも
って海までいこうといいます。ぶどう酒をちびりちびりとやりながら、
海を夜明けまで3人3匹の猫のように一列に並んでみるのです。
毎晩、夕方は8時から(デンマーク人は晩御飯を6時から7時に食べて、
その後ケーキを自宅で10時過ぎに食べるので夜は人が少ない)客を
断り、「仲間」がシャッターの半分降りた店内に20人以上集まり、ワ
インを持ち合い、夜中まで歌を歌うのです。私の「何か」が彼らの友
情を得たようです・・・
だから、誰も「手をださない」(場合によっては彼らは男性としては非
常に危険ですからね)どころか、家族のように扱ってくれました・・・
お金にはドライな彼らも私からはお金をとらない・・・何故か?
魂が綺麗な人だからだといいます。
何故そんなことがわかるのか?というと、「ここの人達のように自分達
は理屈で生きていない、ただ判るんだ。本当のことは話されないこと
が多い、それを我々はわかる。例えば、どうにだって僕達の関係は変
わることができるけど、本当の友人に値する人が嫌がることはしない。
何もいわなくても、我々は見抜くことができる。君の魂が綺麗でなけ
れば、この場に君はこうしていないよ」という。
見ると、周りは内輪の人達ばかり・・・それも全部男性。殆どが移民
待遇で来て、デンマークの女性に「見初められて」結婚しているとい
う。たいていがきちんとした清潔な身なりの好男子達だが、毎晩殆ど
ここに来ているという。
若いときにそれこそ行きたいところに出かけていって、いつも無事で
今考えると命を救われたことが何度もありますが、きっと、それこそ
目に見えないなにかのお陰様なのでしょう。
話して、ワインを飲んで、歌う。愚痴をいう人も暴力をふるう人も、
汚く酔う人もいない。みんなで一致して手拍子足拍子でひとつの音楽
を作っていく・・・。仲がいいって美しい。
私の笑顔や音楽に浸る喜びがその場に居る人全てに「伝わる」のだそう
です。音楽を通じて、人と通じるものがある。みんなと繋がる。
これと同じようなことをブラジルでも何度か経験していますけれど、
出会う人が良い人達だからだと思います、きっと。人によっては音楽
じゃないかもしれないけど、
本物の
ことに感応すると、言葉を超えた
つながり方を他の人とすることが
できることがよくあるものだと思います。
人とのつながりを求めると失望することがあっても、本物
と感応することで得た人とのつながりに失望したことはありません。その後、デンマークの学校の授業で全校生徒でアフリカ人の太鼓に合
わせて踊るというのがありました。その話をするとフランス人は反応し
ませんが、実は想像力豊かな(むっつりスケベ方の)イギリス人達は
大笑いします・・・。大きな図体でへそ踊りとでも言わんばかりの表
現。結構、イギリス人って意地悪。(爆)
ヴァイキングにはリズム感がない?いんや、アイルランド人の音楽の
センスは素晴らしいもんがあります。
総勢300人で1時間後に残ったのは私と、フランス人3人とアルゼン
チン人、デンマーク人一人(彼はとても小粋な奴でディヴァイン・コ
メディの振りまねなどを演る人でした)でした。アフリカ人は凄い鳥
のような声を上げて本場の踊りを派手に披露していたのですが、実は
スタミナが切れやすく、途中で殆どが座り込んでしまいました(笑)
アラブ系はタムタムのリズムと違うので脱落してしまったようです。
やっぱり、デンマークよりフランスのほうが向いてるなと思ったのは
その時がはじまりかもしれません(笑)。
世の中恣意に満ちている。
音楽というのは神様へのささげ物。
そして魂の食べ物です。
本物の音楽、神業といわれる技をもった演奏家の音楽もそれこそ、
魂に豊かな栄養を与えてくれます。やっぱり、音楽の才能のある人
って、凄いなと思いますね。ちなみに、踊れなくなったらおしまい
だと、フランス人は考えてるようですよ。(笑)
バッハのミサ曲Bマイナーを聴いていたら、白い病院のようなところ
に閉じ込められたような錯覚に陥ってしまった・・・・かなり恐い
かんじがした・・・。美しいけど、あれは危なさを秘めているかも。
(バッハは判らないなりにも、好きなんですけどね)
その後、偉大なるヤマンドゥを聴いて私の魂は蘇ったのであります。
このCDではないものを持っているのですが、とにかく、彼の音楽
は凄い・・・・のです。数あるショーロの演奏家(全部好きです!
多分)のうちでもおそらく洗練と技術的な細部の正確さを好む日本人
には凄い衝撃となるとおもいますよ。
私達が明るく喜ぶとき、楽しむとき、神様も喜ばれるんだそうです。
音楽といえば、このサイトのリンク先にもなっている、この偉大なる
本をどうぞ!