パリはここのところ「春ぅ〜」というかんじと「さぶ〜」というのが一日になんども交互に訪れている
ようです。ただ、陽が差しているときには木々の緑が眩しくて、それだけでも自分のうちから「う
わーっ」とエネルギーが大きくでるようなかんじがします。
来週は天気の良い日はお散歩することにしましょう。(笑)

最近はこちらでもダライラマと中国関連のニュースが多く、個人的には今年は本当に「今まで出て
こなかったことが出てくる」年回りだという風水の言葉を思い知らされています。
とはいえ、フランスでは新聞やチャンネル France 2の人気報道番組「Envoyé special」などを
はじめとして、恐ろしい中国国内の実態が以前より報道されていましたけれど・・・・
私の知り合いのフランス人女性で、医療センターを作り、チベットに無償で活動に加わる意志のある
医師と看護婦を派遣するという活動をしている人がいます。国境のない医師団など有名ですけれ
ど、彼女は自分で独自にAssociationを設立し、ビラ配りなど友人2人の手を借りたほかは殆ど一
人で様々な「関門」を突破した人です。
どこかミア・ファーロウを思わせる顔立ち、小柄で華奢な彼女ですが、その頑固を通り越して強靭な
意志は大きな瞳ときつく結んだ薄い唇にあらわれていました。
彼女とはアロマテラピーや薬草学を2年間勉強していたときに一緒でしたが、なんだかいつもシリ
アスでギスギスしたような、暗くて地味ぃな感じをもっていました・・・。挨拶程度しか交わさなかっ
たのですが、あるときから彼女が生き生きと豹変しはじめたのです。単純に新しい恋人でもできた
のかと私は思っていました。
学校も終わり、暫くすると、彼女が不法移民をかくまっているのではないかと、変な噂を流す
人がでてきました。
きくと、いつもコソコソとした
かんじで、自分のことを話さないし、失業中
で生活も苦しい
はずなのに、無理をしてチベット(正確にはインドの国
境地域)に何回も出かけているのも
解せないし、しょっちゅう自宅
にチベットの移民を呼んでご飯をたべさせている
らしいからなどという
のです。
この話をきいて、私は彼女にそれほど関心がなかったので、「そんなもんかなぁ」と思ったのです
が、こういう話を私に「吹き込もう」という人の言葉尻というか言い方が嫌なかんじがしたのを
よく覚えています。全部、話している人の憶測や印象だからです・・・・。
フランスではこういうことって本当によくあります。
何故でしょうか?
みんないつも「怖い」という気持ちが漠然とあるので、自分がわからないことや人が周りにいると
どうにか自分で知らない部分をでっちあげてでも理解したつもりにならないと気がすまないので
す・・・・これって、馬鹿みたいなんですけど、極めて有害な団体心理にもなるんですよ。
誰か一人の人の嫉妬から尾ひれがついて、魔女裁判みたいになる場合があるんですから・・・・
そういう目にあった人もみてきましたし、私もあったことがあります。
人の嫉妬というのには手がつけられない、ということを思い知りました。
日本でも多少はあるのでしょうが、フランスはもっと酷いです。
本当、愚かしさに際限というものがないので、
それなりに「人々」と関わる必要
があります。天衣無縫でいるというのは危険なんでしょうかね。
さて、本当のことはそれから一年後、別の共通の友人にに誘われてチベットとインドの音楽の
コンサートというのに行った際、本人と話して判りました。彼女はキラキラしていてとても元気
そうでした。彼女と話したときに、目をまっすぐに見つめると、逆に真正面からスーッと見据え
られたのですが、そのかんじから、「あぁ、この人の人生はこの人の手の中にある」という印
象を受けました。
地味でつましくみえる彼女は、実は地方のブルジョアの出です。
経済的に何不自由なく育った、一人娘なのだそうです。
パリに出て、ある会社で10年以上働いていましたが、一念発起して会社を辞めてチベットの人
達をなんらかの形で支援していきたいと自分の人生を活動に捧げることにしたのだそうです。
失業手当をうけながら、薬草楽などの自然療法を学び、パリにいるチベットの人達と協力して
活動の青写真を描き、Association設立の手続き等を役所で済ませ、ビラを配ったりしながら、
地道に理解者を募っていったのだそうです。
何のコネも最初はなく、ただ、チラシをコピーして街頭で署名活動などを一人でしていたそうです。
その頃、とんでもない噂を流す「友人」が出てきたわけですが・・・。
ちなみに、その噂を流した「エセ」友人は、インドの瞑想やら仏教やらダライラマのファンで、よく
パリにいる東洋神秘主義にカブレてしまっている人なわけですが・・・・ただ、自分の好きなインド
やチベットに関わりを持っているのに自分に「分けてくれない」のでそれが面白くなかったん
でしょう、きっと、ということに第三者でありながら双方を知る共通の友人と
話していました。ただ、インドやチベットといっても、ただ漠然と現実逃避で神秘主義に憧れてい
る人とは行動したり考えている次元が違う・・・・本人はそれに気がついていないの
でしょうね。
自分の嫉妬からこういう憶測で無責任なことを言い始めると、最終的には自分が人から憶測で
こういう風にいわれてしまうものなのですね。本当、中途半端なことは言ったりしたりしないほう
がいいという例。
本当、人のことをうらやましがる人というのはかなりきついです。
何につけ、そういう人は、少なくともその件についてはズレているからです。
未だにまだいますけど、たまにね。
さて、本気で想い活動する彼女のほうは、そのうちに、2人の友人が日曜日のチラシ配りを手伝
うようになり、医者や看護婦の資格がある人で賛同者がでてきたそうです。
そもそも、なぜ、そこまで一年発起できたのかときいたらば、チベットの件については(他の
の西欧人もそういう人がいる)中国との関係から、ヨーロッパで起きたナチスの時代とだぶる
のだそうです、彼らにとっては・・・・。日本人が時として想像もできないほど、非常に強い感情
を呼び起こすのだそうですよ。
まず、それが根底にあり、その後、殆ど興味本位で参加したダライ・ラマの講演で、感銘を
受け、その後はもう、「実現するしかない」と誰も助けてくれなくても、一人ででも実現しようと
思ったんだそうです・・・・。彼女のもつ膨大な資料やペーパーワークや単純労働、街頭活動
などの無報酬の数々の仕事は、私にとっては気の遠くなるようなことに思えました。
よく、人の協力を得て実現するべきとかいいますが、人の協力をみこしてやることなど実は
たかがしれていると最近、思うことによくでくわします。(なんか悲しいけど)
言い方の問題なのかもしれませんが(個人的には違うとおもいますが)、本当になにかを
叶えたいとおもったら、本当に誰かを愛したときのように、人は黙って悩んで、黙って進んでい
くのだと思います。
人の協力や縁というのは、その強力な想念の渦に「巻き込まれて」くるものだと、私は自分
の願いをほとんどゼロから叶えていった人達をみていて思います。
本気で生きると、ついてくる。自分の真実がみえてくると、人は寡黙になるものなのかもしれませんね。
大切なものというのは、心で魂でガッチリと掴むもの。
本気で生きると、本当のことしから残らない。もう時間がないから、だから、本気で行きましょう!
自分の本当がわかったら、本気で生きるしかないんです。
自分の本当がわからなかったら?自分でなんとかしてください。
難しいことはわからないけど、本物志向ってこういうことなんじゃないでしょうか?
人にみせて納得してもらおう、認めてもらおうというのは、単なる勘違い。
深くいける人はそれだけ高くも飛べる。
浅い人は横這い人生・・・・?最近、そういうの顕著になってきているかんじですが・・・
人のことはいいから、自分の人生をしっかりわが手に!と発破をかける今日この頃。
彼女はいまどうしているのでしょうか?
もう会うことはないと思いますが、陰ながら応援しています。
暫し、チベット関連のニュースからは目が離せなくなりそうです。