カレンダー

04 | 2008/05 | 06
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31

プロフィール

つばきりゅう

Author:つばきりゅう
なんかその都度「?」と感じた一見関連性のない細かいことが最終的に大きな像を結ぶ。そんな観点から幸せを実現していきたいという気持ちからはじめたサイト。よろしくお願いします。

クリック募金

FC2カウンター

カテゴリー

最近のコメント

素晴らしいリンクの数々

月別アーカイブ

最近のトラックバック

2008年5月29日 聴くことの不思議

パリは今日は曇りと雨が交互の天気。
なんとなく、だるくて、なんとなく物思いにふけるのが気持ちいいような、覇気がない天気。

たまにおかしなことがあるもので、朝目覚めると(こういう場合、いつもスーッと目が覚めるのに、疲れたかんじかやけに眠かったりする)、家の中の様子が変。などというと、「また気味の悪いことをいう」といわれそうですが・・、家の中が乱れているんです・・・なんとなく。

私は、アマチュア風水愛好者なのですが、最近は開運云々というよりはむしろ、ドイツやイギリスで多い「バグア風水」という傾向が強く、家の中のものを減らして掃除を簡単にし、シンプルで色調や雰囲気が心地いい空間をつくろうということを心がけています。
でも、神棚だけはきちんとおまつりしてます。(笑)

にしても、こういう趣味を持って以来、あるいは体質が変わったせいか、とにかく以前はもうこの時期は蚊に刺されてイライラすることがあったのに、あんまり蚊が来ない。でも、昨晩は来てましたね、凄いアグレッシブなのが・・・・おかしいと思ったのですよ。電気をつけておけば襲ってこないのでそれで防いだものの、なんで来たのかな?

朝起きると、空気の淀み(隣人の家の臭いが侵入していることがあったけど、大分減った)はさほどでもないけど、キッチンがなんか変。青々としていた植木がなんだか枯れ葉をつけている・・・・変。家に4箇所飾ってあるお花が痛んでいる・・・家で一番気のいい場所のお花以外は顕著。

そこで、換気、お掃除、洗濯をして、シャワーに入り、植木の手入れをして、お香を炊いて、仕上げに音楽をかけて、美味しいメロンを食べてやっと一息。穢れは「気枯れ」ということでまさしく祓うとか清めるとかというのはこういうこと。体や心だけでなく、家にも元気がないといけない。

にしても、音というものの浄化作用みたいなのって凄いと思います。
雅楽の「龍笛」という楽器があるのですが、あぁいうもののCDをかけると、ほんと、スキッとします。
どんな、音楽を聴きたいか、好むかというのもそのときの自分の気、空間を読み取ってかけるみたいですね。面白。(笑)

ちなみに、人智学で有名なルドルフ・シュタイナーによれば、聴覚というのは最も霊的な感覚なんだそうです。彼は通常の五感(もしくは六感)というのに代わり、12感覚論というのを説いていました。私達が五感として認識している、視覚、聴覚、味覚、嗅覚、触角という分類に加えて、熱感覚、平衡感覚、運動感覚、生命感覚、言語感覚、思考感覚、自我感覚というのを合わせて12感覚としているのです。その中でも、言語、思考、自我とともに最も霊的な従来の五感のうちのものとして聴覚を人間の霊的感覚として説明しています。

魂の扉・十二感覚―人智学講座 (耕文舎叢書 (3))

ご存知の通り、音には周波数によっては人間が聴くことができるもの(可聴音)とそうでないものがあります。周波数というのは、音の波動パターンの秒毎の回数ですけれど、例えば、虫などがいい例ですが、人間の可聴音域外、すなわち私達には聞き取れないような周波数をもつ音によって行動している部分が多いらしい。ここら辺のところを考えていくと、音のお清め効果とか(勿論、色や臭いも含めて)が理解しやすくなってくるような気がしますね。

音というのはそもそもは振動なわけで、これを体の内部にある器官で受容して、神経情報に変換させて「音」にする(簡単な説明ですが・・・・)能力が聴覚だというわけです。シュタイナーは、この能力を極めて高度なものとしているわけです。例えば、食べるとか呼吸するとか能動的な、何かを自ら取り込むようなものが非常に物質的、3次元的なのにそれに比べると、聴くというのは、この3次元的な振動という現象を高次の現象として再現していく作業になるということらしい。4次元よりももっと高い次元と繋がるみたいです、美しい音楽などの場合。

彼のいうところで一番私の心に響いたのが、聴くということは「共感」。外界の振動を自分の中で受けて、同調すること。そう考えると、水や植物が音楽を「聴く」ことができるというのもわかりやすいし、胎教に音楽がいいというのも理解しやすくなります。流石、シュタイナー。

世の中というのは、やっぱり、本当はそうなのですね。
境や違いがあるけれども、例えば、全然バックグラウンドが違う人であってもおなじ音楽の調べだったりに感動する。その瞬間は、共感、世界を共有しているのと同じ、もっといえば、同じ周波数の状態にあるわけです・・・・。それを逆手に利用すれば、音楽を催眠の道具としても使えるということですよね。
ロックコンサートの熱狂とか、宗教が音楽を取り入れる理由のひとつにもなっていたのかもしれません・・・・。

音楽が好きな私ですが、ここのとところのお片づけの成果か、引越しにつぐ引越しでその都度減ったかとおもっていたのに、パリで300枚くらいになっていたCDを25、6枚程度に減らしました。(笑)
本当に好きな数枚の雅楽とクラシック、ブラジル音楽のものが10枚弱。一枚面白いもので、音のしないCDというのをもっています。ある周波数で場を清浄したり、寝付けない人を寝付けるようにする効果があるらしいのですが、面白いことにそれをかけると、周りが「ひんやり」します。マイナスイオンでもでてるのかいな?というくらい。

昨日のブログでは「間」について書きましたが、音楽についてもおんなじ。
ある音から音へ移行する部分に、美しさがあるんですね。
個人的に、音楽の尊いところは、常に動いている、流れているところにあると私は思っています。
今あらわれた音を手放さないことには、音楽というものがなりたたないというか・・・・
調べでも音程でも拍子でも、「関係性」の中で成り立っていることをそのまま示しているというかね、やっぱりそうなんだ〜って、いうかんじです。(笑)
こうやってステンドグラスみてると、神様の世界ってお雛様みたいです。
それぞれが、それぞれの音を出して、ひとつの美しい世界を作っているというか、調和を感じます。





とにかく、よい音を聴くというのは、魂の糧になりますね。

フェリーニの数ある作品の中で、何故か私はこの映画が一番好きなんです。
音を色で「聴く」ことができるという詐欺師がでてくるんですけど・・・・
何かと思い出したりするシーンです。

そして船は行くそして船は行く
(2001/10/25)
フレディ・ジョーンズフェデリコ・フェリーニ

商品詳細を見る

2008年5月28日 本物と凡物の差は「間」にあり

昨夜の半ば嵐にも似た天候から、今日は曇りと晴れが半々、ちょっと晴れが勝ちといったかんじの一日でした。外出するのも、晴れているとこんなにも楽しいものかとおもうくらい、気持ちのよい一日。

家の前の通りに、もうデヘ〜っというかんじの、顎がはずれたのではないかという顔をして道端に寝ている犬がいましたので、写真にとってやろう!と思ってカメラを構えると、意識がなさそうだったのがたちまちのうちにピシッと起きてしまった!あんなに「しどけない」様相の犬はなかなかみれないという、ショットだったのに・・・・でもちょっと顔が寝ぼけている。
犬にもそれなりのプライドがあるのでしょう。
判りました。
尊重いたします。(笑)




パリに来てから目覚めたもののひとつに、「小津監督」の映画があります。
映画好きのフランス人は小津や溝口、ちょっとマニアックな方になると大島渚監督などを非常に愛してくださっている方が老若男女あわせてかなりいます。
「かなり」とはいっても、映画通とか日本おタクとか、たまにやはり何かと洗練されたものが好きという延長線上でそういう趣味を持っている方がいらっしゃるというかんじです。

恥ずかしながら、私は学生の時に小津監督の「東京物語」というのを観て、ちっとも良さがわからなかった人です。その頃はよくあるアメリカ映画とか、20代半ばはフェリーニに傾倒していた人でした。
それが、フランスに来てからというより、ごく最近、目覚めたのです。

映画の技法とかそういう専門的なことについては、わたしが語るまでもないでしょうし、身に余りますから遠慮しときます。(笑)ただ、ヴェンダーズとかカウリスマキといった私の好きな監督が、多大な影響をうけた監督と知って、「やっぱり小津監督が好きになるベースはあったんだなぁ」と思いました。
実際、小津監督の名作を幾つかまとめた「ボックス」を大切に持ってます。(笑)
たまに、観たくなるんですね。
とっても、素敵なんですよ。

何が?日本人の所作が美しいということ、(昔の)日本人がとてもすがすがしくて、やさしくて、清潔感があるんですね・・・・。昔、おそらく3歳くらいだったかな?母親が引き出しを整理していて、いらないイヤリングをいくつか貰ったことを覚えています。もう捨ててしまったのかもしれませんが、今でもその垢抜けたセンスあるイヤリングをいくつか思い出すことができます。そういった母の青春時代(ロカビリーでベレー帽をかぶった平尾昌晃さんという作曲家の先生がピチピチのチェックのズボンを履いて踊っていたとか、石原裕次郎がやはり格好よかったとか、ヘップバーンやバーグマンに憧れていたらしいですね・・・・)

あの頃は、アメリカ映画やヨーロッパ映画でも非常に女優さんがエレガントでしたものね。
ヒッチコック監督の映画など、女優さんの美しさ、ファッションセンスなどをみるのが楽しかった。
そう考えると、今の映画いかに品のない・・・・じゃない、「ざっくばらん」なかんじがするか思います。
モードは変わるというけれど、モードというものこそ、世の中の精神性を表してる・・・・かな。
地球規模でかなり「やばく」なっているというのは、ファッションセンスやどういう人が「憧れ」の的になるかというのでも察しがつきます・・・・。なんだかね。

小津監督の映画は、詳しいことは他所にまかせますが、とても「人工的」なかんじがある意味する映画で、カメラをあまり動かさない・・・・というか、額縁の中で俳優さんが演技してる。ある意味、そういう空間感覚が発達している(男性のほうがわかるかもしれませんね、そういうの)方はもう、唸ってしまうほどの天才らしいんです。で、私などはそういうところはちょっと鈍くできているので、みてどう思うくらいのことしか言えないのですが、「間」がね、最高だと思うんですわ。

今年の初め、日本に帰国した際にTBSの「イカ天」の特番がありました。
本当、昔、深夜番組だったのに毎週、眠らずに夢中になってみていたもんです。(笑)
で、その一世を風靡したバンドオーディション番組から輩出されたバンドのひとつに、「たま」という凄いユニットがあるのを、皆様も聞いたことがあるかもしれません。15年くらいたってから聞くと、凄いことがわかるバンドでした・・・これがまた。で、その一種異様というか、なんとも既存の音楽のカテゴリーに入りきらない音楽を演っているんですが、審査員長の方が彼らを評して、「うまい、間のとりかたが、凄くうまい」とうなっていたのが印象的でした。

なんで、そんなことを思い出したかって?
そう、間、なんですね。

たとえば、とても視覚的に優れた感覚を持つ人というのは、「間」を見る事ができるらしい。
たとえば、木々の葉を写真に撮った場合、たいていは木の葉っぱの間に木漏れ日がとか、影があると捉えるんですが、達人は木漏れ日とか影とか何もないようなところを主体にしてみるんです。
ですから、りんごの切り絵をするときに、りんごのある回りの空間の形を切り取ってりんごを出していくというかんじ・・・・このほうがわかり易いですか?

で、話は小津監督にもどって。
この方の映画をみると、全てにそういうパターンをみいだすことができるのです。
台詞の間、役者さんの動作の間、役者さん同士の息の間、風景の間、そういった「間」にあるものすべてが、簡単にいうと「日本の美」「日本の佇まい」を出しているわけです。

極めて、計算されつくした、おそらくは精緻な映画の作り方をなさっていらっしゃったと思うのですが、最終的に実現されたかったのはおそらく、この全ての計算から導き出される効果ではなく、完璧ともいえるセッティングから醸し出される「空間」的なもの、雰囲気、心だったのではないかと、強〜く思わせる映画をおつくりになっていた。

おそらく、ここのところが、スピルバーグをして感銘を受けたといわしめるだけの巨匠の技だったのだとおもっちゃうわけです。でも、本当に映画っていのが、職人の技によるものなんだなと思います。

天才というのは、やはり共通の「間」をみることができるんでしょう、スタイルは違っても。
いや、やはり価値を見抜くとか、良いものと悪いものを区別できるという能力というか感性は、強く若く保つと同時に、一生涯かけて磨いていくべきものだと私は思います。
それが、言ってみれば、私のような普通の人が「技」としてもっていられるものなんだろうなぁと。

また、観たくなってきた・・・・ので、これを書き終えたら、夕食の下ごしらえをすませて、夕食までのひととき・・・ちょっと楽しませてもらいましょう。本日は、ローズ色したジャガイモと、今年は初物になるバジルをたっぷりつかって、トマトとアボカドでサラダに、バナナといちごでクリームパフェを作ろうと思いますが、小津監督みると、和食食べたくなっちゃうなぁ。(笑)




昨日は日本のある方のサイトでいたく感動した私は、メールを書いたのですが、本日ご丁寧なお返事を頂きました。合気道の名人であられる方のようです。
従来のトレーニングというのを卒業して、合気道に転向しようかと真剣に思います。
だって、素晴らしいんですものね、いろいろとお話を(サイトで)拝見すると。

そういえば、フランスって合気道人口が200万人(?)とかきいた、とにかく合気道が好きな国民らしいけど、彼らに「間合い」の感覚ってわかるのかしら?失礼。(笑)かえって、今の多くの日本人より、感性の鋭いというか価値のわかる外国人のほうが、日本の素晴らしさをわかっているようです。雅楽もパリでは一部ですごく評価されているらしいです。

衣類、芸術、料理、スポーツとかの技、「人」としての有り様というのは、「本物ですねぇ」というものは他と一線を画す非常にはっきりした部分と、とても間接的な部分があるということに気がつきます。とてもダイレクトなんだけれども、その反面、「露骨さ」を嫌うんですね。矛盾していますが、物事は実は矛盾してるんです(理屈じゃなくて、へ理屈です・・・笑)
スパッとしていて、それでいて「露骨じゃない」。
これが判る人は、どこの国籍であろうが、どういう育ちであろうが、「品」があると私は思ってます。
人間として「本物」を見抜く感性があり、その差を感じることができるということです。

セレブ(とか、使うだけで品性が落ちそうな単語・・・)とか騒いでいる人の多い国が、こういう素晴らしい品格をもっていたということは、強調されるべきです。特に、国内で。

とにかく、この監督の映画のよさはストーリーではなくて(私にとっては)、なんだろ。
やっぱり、質のいいものっていいんだなぁ、と思わせるものです。
今よりも貧しくとも品があったんですね、昔の日本人って・・・・。
是非、時間をみつけて、ご鑑賞ください。

今夜も一雨くるんでしょうかねぇ。
なんともいえない、空具合。

秋刀魚の味秋刀魚の味
(2008/06/27)
岩下志麻、

商品詳細を見る
彼岸花彼岸花
(2005/08/27)
佐分利信

商品詳細を見る
東京物語東京物語
(2007/08/20)
笠智衆東山千栄子

商品詳細を見る

2008年5月27日 喧嘩はやめましょう

今日のパリは日本の梅雨を思わせるような天気。
よく降りますわねぇ、というお天気です。
こんな日はなるべく遠くまで外出しないようにして過ごします。

やはり、太陽は元気の源です。
そういえば、去年ニースでは日焼けで酷い目にあいました・・・・。
太陽もあたりようによっては、超危険ですから・・・本当、つらいですよね、下手すると入院さわぎ。
2日以上かかりましたかね、通常の生活に戻るのに。

パリはじとじとしているので、代わりに、ごそごそと、昨年訪れたニース近辺の海沿いの村にあるコクトーの手書きの教会のスナップをアップしてみました。見ているだけで、いい気持ちになるほど可愛いでしょう?




ちなみに、中は撮影禁止なので撮影しませんでしたけど、「あっけない」という評判(?)ですが、コクトーが好きなので私は満足でした。この小さい村はニースの中心街から車で20分くらいのところにありますが、朝はマーケットなんかがでていて、地元の味覚をそのまま「買い食い」状態で楽しめます。まぁ、ある意味、楽園でしょうね。

家の近所のムフタールという坂道になっている商店街のようなところがあるのですが、そこの麓には以前から結構、繁盛している八百屋さんがありました。そこは、パリの八百屋さんの多くがそうなのですが、モロッコやアルジェリアの威勢のいい男衆が「商売、商売」と働いています。

根っからが商売人で明るい彼らと話すのは、結構、気分転換にもなるし、やはり人情味があるので、よい社交場になっているのです。

ところが、ここ二ヶ月くらい、このほのぼのとした場所に異変が訪れました。
2グループがキャラバンでやってきて、ここにテントを張って八百屋さんをはじめたのです。
それも恐ろしく安い。みると、「流れ者」っぽいんですね。
一グループは男衆の軍団でアルジェリアあたりからきている。
もう一組はおそらく、アクセントや様子でルーマニアあたりからきているかんじがします。

よく地下鉄で(勿論)無許可で野菜や果物を売っているのをみかけますが、どういうところの品質の野菜や果物かはわからないので私は買いませんし、野菜は殆ど有機ものしか食べませんしね。
でも、よくみてみると、この広場にお店を広げ始めた2グループの品物がとってもいいものなんですね、これが。

今出回っているさくらんぼなどは、有機ものだと下手すると4倍くらいするので、思う存分食べることができない・・・・(私はさくらんぼや苺やイチジクを1キロ単位でぺろりと食べてしまうのです)、そういうものが格安でいい状態で売っている。それも、ちゃんと熟しているものが多いので、と〜っても美味しい。(消化もいい)反面、熟しているので仕入れの値段がそれだけ安いのかもしれませんが、これが飛ぶように売れる。

それはそうですよね、物がよくて安いんですから。

最近では、あれだけニコニコ状態だったおなじみの八百屋さんが、凄〜く暗い表情をみせるようになってきた。お客さんの数は、競争が激しくなった分もどこから湧いて出るのか増えているので、そう変わらないと思うんですが(土曜日の朝など凄い人です)、要は「縄張り意識」、「対抗意識」なようです。イライラしてるのですよ、ここんところみるたびに。

私はほぼ、1日おきにこちらに果物を買いに来ますし、おそらくはからかいやすいタイプなんでしょう、すっかり八百屋さん達のおなじみになっています。従来の八百屋のおじさんやその息子さんや従業員も、私を「苺の女性」と読んでいるようです。飽きずに苺をキロ単位でかっていくからです。また、キャラバンのむさくるしい方では「僕らの恋人」と呼ばれている。そして、ルーマニアのグループには「さくらんぼのマダム」(さくらんぼばかりキロ単位で買っているから・・・・)ということになっている。

下手すると、象や猿の群れでも飼っているのかというような買いっぷりなんですが。

何も、果物を買うのに八方美人をしても仕方ががないけれど、安くてよいものを選んでいると、3軒で買い物をしてしまうことになる・・・・そんでもって、話しかけてくるんでこちらもニコニコと話すことになる。これが、フランス人のお店だったら、結構あっさりしていると思うんですけど、なんてったて、「情」の深いというか、そういう癖のある人達相手ですから・・・・ねぇ、私がこちらで苺を買うと、その前に買ったさくらんぼの包みを食い入るようにみているし、その後、苺を買いに行くとなると、「どうしてさくらんぼは?」と、さくらんぼの包みを持っているのを承知で聞いてくる・・・といった具合。

私?気にしませんよ、個人的には、あんまり。(笑)
フランス人もそういうところは気にしない。
合理性を追求しかつ、それはそれで、世間話もするというかんじ。
「好きなところで買って何が悪いというのです?」ということです。
フランスのいいところは、ズバリ、こういうところです。(笑)

しかし、あのほのぼのとした場所の雰囲気がギスギスしていることは確か。
やっぱり、ああいうのみていると、こだわりなく、それでいて元気にガンガン行くっていうのがいかに生き残るのに大切かがわかる。

ライバル意識とか、不安とか、「面白くねぇ〜」っていうのが強ければ強いほど、確実に「負け」がでている。「あ〜むかつく〜」と、一挙に価格を下げてやりくりすることができれば、勝てるかも。
さて、この仁義なき八百屋さん戦争、どうなることやら。
喧嘩はしないでくださいね、多分、怖いから。

これって、世界中いろんなところで今、盛んになっている現象かもしれません。
反面、こういうことに絡まないひとは全然、関係ないというかんじ。

なんでも、観察してみるって、面白いです。(笑)
「金持ち喧嘩せず」ってよくいいますけど、なんとなくよくわかります。

ところで、無邪気にこの本は面白かったですよ。

キッパリ!―たった5分間で自分を変える方法キッパリ!―たった5分間で自分を変える方法
(2004/07)
上大岡 トメ

商品詳細を見る

2008年5月25日 人生とは「妙」なもの




今年5月最後のパリの日曜日は、ちょっとひんやりした爽やかな朝です。
気候がいいのでエネルギーが充実、最近は7時半にはパッチリと起きてしまいます。
今朝はとっととシャワーを浴びて洗濯・掃除をささっとすませて、たったと散歩がてら早めに朝市に行くことにしました。朝市とはいっても、パリの人はお寝坊さんですから、賑わうのは11時くらいなんです。朝早く行くと、結構イギリス人が買い物に来ているのが目に付きました。何より、よい品物がたくさんありました。おまけに、最近、ひいきの八百屋さんではさくらんぼを「おやつ」といってひとつかみプレゼントしてくれました。ついてます!

パリはもう薔薇の季節。
今日の写真はVAL DE GRACEという教会のドームを背景にした薔薇の花達。なんとなくご覧になれるでしょう?薔薇の甘いけどしつこくない、柔らかな気品のある香りが漂っていました。
うふふ、朝の贅沢ですね。(笑)

最近、時間についてぼんやりと考えていて、ある意味、諭されたことがあります。
昔、「今を生きる」という映画がありましたが、皮肉にも、頭ではその大切さがわかっているのですが、あらためて考えると、なんだか難しいことになってしまう。

過去の「事実」というものは、人の記憶とか記録したもの、証言などを読んだり、見たり、聞いたりして、それを頭の中で再生・解釈したもので、今こうして鳥が鳴いているとか、風がつめたいとか、そういう「現実」というのとはまた別のことのようです。ただ、こういう「事実を踏まえて」という他人と共通のなんていうかしら、土台として機能するのが「事実」なんで、客観的というか誰にでも理解できる。

反面、「感動」するということは理屈を超えたところ、「真実」からくるわけで、それこそ魂をゆすぶられるわけです・・・これは事実が頭や心にのみ作用するのに対して、体の細胞にもダイレクトに作用しちゃう。ドキュメンタリーをみて感動する場合、これが魂の「何か」に触れるからなんですでね。だから心に振動する。

制限ある中で生きる一般市民としては、事実を踏まえた状況判断(常識的な行動基準)によって生きることが「安全」とか「賢明」とかされるわけです・・・・結果というか未来が予測しやすいから。
一方、自分の「真実」や「本当のこと」にしたがって生きるということは「危険」とされることが多いわけです。自分でリスク管理しなくてはならないから?最近は、何が安全か、時間の問題のようなことが一杯起きていますけどね。既存半分、独自半分というのがリスク管理としてはいいようですが、これも情勢によって配分が違ってくる。

物質的な老後の備え云々などというより、これからは運がいいことと健康で判断力や強い心、エネルギーがあることが一番、大切に思えますけどね。予測されるリスクに振り回された生き方より、リスクを管理しながら自分を鍛錬して生きるほうが「安心」するんではと私は思いますけど。

しかし、世の中、リスクにおびえて(?)か嫌がって、その回避に終始して死んでいく人が多いようです。でも、何のために生きているかといったら、どっちが割に合わないかということにもなるんですけどね・・・・。どうも、日本とフランスって全然、似てないんだけど、ここんところは似てるとおもうことが多い。もしかすると、フランスの自由のイメージと違うと思っている方も多いかもしれませんけど、ね。

にしても、時間の考え方をちょっといじっただけで、自分の「世界観」というものが簡単にひっくり返ってしまう。潔くかつ、勿体ないという思いをもって生きろということでしょうか・・・。
バランス、やっぱり人生というのは「」なわけです。

よくいう、「未来」というのは、文字通り「まだ」なわけで、これも想像、想定といってもいいですけど、あくまで頭の中でおきていること。だから、未来のことばかり「考えるの」は、ある意味、過去に起きたとされることを考えるよりも危険ともいえるわけですね・・・・妄想ということになってしまうから。

希望をもつのは大切なのですが、妄想をもってしまってはいけない。これって結構、微妙な問題かもしれません。やっぱり、健全で精緻な感覚をもって、心に「妙」がないと、ロボットか紙芝居のような生活になってしまう。

ですから、予測をつけるということは大切ですが、「予想」ということはある意味、無意味ということになります。(予想を立てるプロセス自体に技というかある意味、「知の美」がでてくるのでしょうけれどね・・・)予測って謙虚なイメージがありますが、予想ってもっと図図しいかんじがあるかも。(笑)

株とか為替とか、投機をしている人は納得されるかもしれません。「絶対あたる」という予想はないですし、「絶対儲かる」という話はないですし、あってもインチキか、そういうこともあったというだけの話か、それを聞いた時点ではもう無効というかんじで、予想は幻くらいに思っておいたほうがいいみたいですね。(笑)

ある意味、未来は「幻」以外のなにものでもない。
逆に言うと、未来という概念の延長線上に「今」がある。
あれ〜、まっさかさまになっちゃった。

ただ、日常の時間感覚の話で判っていたつもりが実際、実行できていないことの例として、「今は未来のためにあるのではない」ということなんです。未来のためにと今を生きると、今を生きていないということなわけですね。

因果応報とか因果律といいますが、過去・現在・未来という左から右への矢印状に時は流れると想定したものが従来の「常識」であって、循環しているというか螺旋状なっていると想定しているのだという説もある。このほうが納得いくことが多いのが不思議・・・・ふむ。

そういえば、2月ほどまえ、「マトリックス」という映画を何度もみていました(おそまきながら)。
非常に面白いのだけれど、3回みたら飽きがきてしまった・・・プログラミングの基礎知識(本当に基礎なんでしょうけど)をちょっと勉強したら、よくストーリーとか登場人物がわかるようになりましたが、結局、大元のところはこの時間の話みたいなところにいきつくのですね。
これも個人的には、後でわかったシンクロ、全部、見るもの聞くもの繋がってくる。

マトリックスシリーズ お買い得パック(4枚組)<初回限定生産>マトリックスシリーズ お買い得パック(4枚組)<初回限定生産>
(2007/12/07)
キアヌ・リーブス

商品詳細を見る


子供の頃、日本でよくみかけた床屋さんのグルグル回る看板を思い出します。
でもあのようにきっちりしていない螺旋状だから、完全な輪ではないわけで、なにかのはずみや具合によってぶれて、グルグルしているうちに輪としての形状も変わるし、下手すると逆行しちゃったりすることもあるかもしれない・・・・これがよくいわれる「時空のゆがみ」とかいうやつなんでしょうね。

そうやって考えると、ここ数年ですっかりおなじみになった言葉、「シンクロ」というのも説明つきやすくなったりして。別に、説明しなくてもいいことなんですけど。これはSFの世界の話ではもはやないですね。

そう、私達の勘違いの多くはこの「全て説明しなくてはならない」と思い込んでいることなのかもしれません。「納得しなくてはならない」確かに、今の世の中、「法律」とか「道理」というものがないと機能しないんですが、本当ぉ〜に昔、昔、そういうものではなくて、自ずと「自然の法則」というものを敬って人は説明しないで生きていたらしいんですわ。

たとえそうだからといって、理屈で説明したり、納得しなかったりしたら、生きていけません。というか、まだ危険です。少なくとも今のところ、私は嫌です。でも、感覚で変なことは大抵、わかりますよね。

とにかく、ここんところの読書とかで「今を未来のためにあると思わない」ということをよく理解しておこうとおもうようになりました。

最近、片付けものをしていての気づいたのはいかに「執着をなくすことができるか?」というものでした。そして、使いもしないもの、入りもしないもの、好きでないものを、「いつか」「もしも」「あのときは」などという理由で持っておくことが非常に、私は嫌だなぁと思いました。
何より、管理の手間、スペース、費用なんかも気にしないでよいので合理的ですしね。

例えば、人のことを好きになる瞬間というのは、理屈ではないじゃないですか・・・・。
これも因縁とかいいだせば、いろんなことがあるらしいのですがね。
未来についての恐れや期待というより、「あ、好きだな」とか相手がただ光っちゃうとかそういう
かんじでしょう。

相手の外見が優れているから、お金持ちだから、地位があるから、素晴らしいから、誰かに似ているから、「あの人が欲しい!」というのは「好き」というのとは違うんです・・・過去のコンプレックスを未来で挽回してやろうとか、執着。結構、しつこいんですよね、こういう人達って・・・・。
嫌ですわねぇ・・・・・。

勿論、ホルモンに左右されて「のぼせて」好きになるのとも違う・・・動物磁石っていうんでしょうか・・・、それでもお互いに磨いて光っていければいいのでしょうけどね・・・飽きるんでしょうね、こういうパターンって。

ここらへんが、よくいう、その人の魂というか精神的というか霊的なレベルの差がでてくるところらしいですね。う〜ん、人生って深い。(笑)

単純明快であることと、やはり深くそしてなんともいえない「妙」な持ち味(妙というのは言葉に表せない繊細さというよな意味で使っています)をどうバランスさせるか、それぞれの人の色でいろんなあり方があるもんですけど、エネルギー的にも綺麗でありたいと思います。

なんかよくわかんないけど、こういう「」な世界で遊ぶのもいいものですよ。
いつも、目的がはっきりしている、損得ばかりじゃ、色気(面白み)がない。
男性も女性も「ちょっとぬけてる」くらいが丁度いいのかもしれません。(笑)
常に頭を適度にゆるめて、常に細胞で感じとるような生き方ができたらいいのになぁ。
それじゃ、宇宙人ですね。(笑)

「今を生きる」とは、実は一言でいえる、人生の「妙」を味合うということなのかもしれません。

雅楽〜日本の宮廷音楽雅楽〜日本の宮廷音楽
(2000/08/02)
雅楽

商品詳細を見る


私は今年から、雅楽にはまっています。
「妙」というものを味合うには最適です。

2008年5月21日 マヤの時間

英語で「時間の砂」という表現があります。
とても時間というものを感覚的にうまく表現したかんじがあるなぁ・・・などと思っていました。

どういうわけか、最近「時間」ということについて考えるようになって、ある本の存在をしりました。
日本からとりよせるまでもなく、イギリスでその本をみつけたので早速購入したのですが、まだ読んでいませんので、週末にでもじっくり楽しみたいとおもっています。

ちなみに、これはマヤ文明、特に彼らの時間の概念を研究なさっている方が書いた小説です。
前書きだけちらりと読んだのですが、この方は大学生の息子さんをなくされて、その真っ暗な悲しみから抜け出したときに、この小説を書き始められたとのことです。
まだよんでいないのですが、ひょうきんで明るい小説のようです。
誰かにききましたが、人を涙させることより笑わせることのほうが実は尊いんですって。

時空のサーファー―マヤの「聖なる暦」から始まる大冒険時空のサーファー―マヤの「聖なる暦」から始まる大冒険
(1995/12)
ホゼ アグエイアス

商品詳細を見る


私達の「時間」というのは、私よりも皆様はご存知のことかもしれませんが、あくまでも三次元の世界にある概念です。まぁ、それについては哲学書やアインシュタイン、物理の教科書などを読んでいただくとして・・・・・。ここでいう時間というのは4次元の世界から3次元をみた場合のことをお話しているらしいのです。

スピリチュアル系に関心のある方も、これといってそうでもない方も、いろんな情報のアンテナをしっかりと張っている方々には、ここ2、3年、「2012年に何かが起きる」かもしれないという話を聞いたことがあるかと思います。

よくいう、「アセンション(次元上昇)」といわれている現象です。地球が5次元世界になるというものなんですけれど、人間は人間(3次元的存在)ですから、5次元というものをどうやって認識するのかなぁ・・・と思います。4次元というのは巷の「霊能者」の世界、私達のような普通の人にとっては情念の世界なんで、わかりやすいんですけど、その「上」にいくらしいんですね。その上昇する際に、多くの人が淘汰されていくということで、次元上昇に「ついていける」ように意識を高めていこうという運動が起きているらしいのです、世界各地で。

それがいかなるものかは、多くの皆様は私などよりご存知ですが、さもなくば本やインターネットに山ほど情報がありますので(玉石混合ですけど)、そちらをご参照いただくとして、どうやら、「神聖暦」といわれるマヤ文明時代の暦がその2012年の12月何日かで終わっていることから出てきた話らしいのです(そうでない場合もあるらしいんですけど、詳しくはないのでこういう言い方にしておきます)。

「ふ〜ん」、っていうかんじなんですけどね。
どういうわけか、「時間」と「次元」という単語に最近耳が鋭く反応する、これってなんか自分のアンテナがキャッチしている証拠なんですけど、そのまま素直に関連することを楽しむことにてると、いろんなことがおきてくるというか・・・・判ってくるんです、「あ〜、そういうわけで、そうだったのかぁ」とか。
巷でいう「シンクロ」という奴です。

例えば、そんな本について考えていたある日、散歩してたらあるギャラリーがありまして、普段はあまりのぞかないギャラリーなんですが、なんかやけに気になるので、行った道を戻ってウインドウを除いてみました。すると、そこには世にも美しい鳥の羽や木や石でつくったインディオの装飾品があったんです。実際、パリやロンドンにはよく、アフリカからもってきた呪術用の装飾品とかお好きな方がいらっしゃるんですが、私は非常に苦手なんですね・・・。あぁいうものがあったらおそらくいらいらしたり気持ち悪くて生活できない・・・

ただ、そこのギャラリーのものは凄く「すがすがしい」気持ちになるの、みていて。なんでかなぁ?とおもってちょっときいてみると、これはブラジルのあるインディオの種族のものでした。私はブラジルという国が理屈ぬきにすきなのですが、実はこのオブジェがきた地域は、私が旅行で訪れて現地で人や動物(やおそらく植物もでしょうね・・・笑)に歓迎していただいた土地から遠くないところだったんです。とてもいい波動(雰囲気)だったんですね、健康的で自然の力と美しさがはじけでていました。




今、他のアメリカ人の「マヤ文明」の研究をされている方の本を読んでいるのですが、個人的にその場所を訪れようとは思わない(むしろリオやサンパウロでビール飲んで踊っているほうがいい・・笑)のですが、なんか知る必要があることがあるのかもしれません、その分野でね。

そういえば、こういう凄い(ショッキングなんですね、やはり・・・)映画もありました。
世界的、地球的にやっぱり、そういう傾向の人ってここ2、3年増えてきているみたいです。
皆さんも、時間について新しい見方を楽しんでみませんか?
とりあえず、既存の時間感覚と平行して。
それにしても、メル・ギブソンって実際にあって話してみたい・・・・凄いエネルギーというかなにかを持っている方なんですね・・・・確かに、映画は観るのはつかれますけど・・・ね。
ご覧になりましたか?(残酷なシーンがあるので、15歳以下禁止だったとおもいます)

パリではあまり人気がなかったようですが、見た人はみんなうなってました。
映画がどうこうというより、好感度ばかり追い求める(不快なのもよくないけど)人は、きっとエネルギーがないんでしょうね、と思ってしまいました。
よく、作りましたよね、これだけのものを。エンターテイメントですけれど、それだけじゃない。

アポカリプトアポカリプト
(2007/11/21)
ルディ・ヤングブラッド

商品詳細を見る

2008年5月17日 女性の一側面

今日のパリは午前中に強い雨がいきなり短時間降ってましたが、長袖のシャツ一枚で気持ちのいいかんじの温度。それにしても、海外で暮らすのが楽だと思うことのひとつに、自分が暑ければ薄着でもいいし寒ければ厚着をしていても全然、気にならないということ・・・・そんなことを考えている自分はやはり日本人なのね、と逆に思ったりします。

何故かしらないけれど、イギリスでの短期休暇明けから戻ると、以前にもまして凄まじいほどの片付け物衝動が起きて、昨日は一昨日に続いて「大物」を処分しました・・・・。

いらないものは殆ど捨てるか、寄付するか、人に譲るかしていたのですが、実は人知れず「開かずのつづら」みたいな箱があり、その中には20代後半にブランド病を患っていた頃の「戦利品」が収まっていたのです。皆さんにもあるのではないでしょうか?そういうものなりスペースが。

そこで、サンジエルマン・デ・プレに一軒、たまに足を運ぶ古着屋さんがありましたので、そちらに「行商」にでかけました。ご存知の方も多いと思いますが、パリには古着屋さん、特にブランド物のバッグなどの小物を専門とする店がかなりあります。ただし、ここのところ、パリの街は移り変わりが実は激しく、知らないうちに消えていったお店もあります。私の行くこのお店は、小さくて薄暗いのですが、他の店にくらべると趣味のいいものが置いてあり、状態のいいものがリーズナブルな値段で手に入ったり、何かと気に入るものがあるところです。母娘二代で競争激しい世界を生き残っています。

それなりに自宅で選んでから、ブランド病時代の遺品を持ち込んでみました。そのうち、数点、受け付けてくれました。

はじかれたもののうち、一点、実はいらないと去年から思っていたハンドバックがありました。
フランスの某有名ブランドのもので、特別に知り合いの宝石屋さんが買い付けたものを15万円で買ったことを昨日のことのように覚えています・・・・。半年後くらいに、日本の老舗デパートで当時、そのバッグと色違いのものをみたら45万円していたので、のけぞった記憶があります。

本当に、凄まじい「物欲の時代」だったんですねぇ・・・日本はあの頃。
なんだか、このバックをみているとこの春あたりから暗いかんじになるんです・・・・使っていたんですけどね、ちゃんとたまに・・・。人にあげてしまおうかとも思いましたが、白い袋にいれて、「ありがとう」といってから捨てました。これまで捨てたあまたのもののうち、2番目にインパクトが強く、昨日はなんだかひどく眠りたくなりました。非常に大きなことをした後のような疲れがあったのです。

一方、定価10万円もする(実際は8割引でかったと思う)という、ある意味恐ろしいチェーン・ベルトを引き取ってくれましたが、これは確かにゴージャス。身長が169センチと決して小さくはない私であっても、このボリュームには押しつぶされてしまうかんじで、バランスが取れませんでした。「大人になったら、こういうものもスカッとワンポイントに着こなせるはず・・・」と思って大切にとっておいたのですが、これは今冷静に考えると、私の雰囲気ではない。ボリューム的に身に余るんですね。

それにしても、このつづらの中身、遥か昔のことであっても値段をきっちり思い出せるところをみると、たいていは、値段やブランドにこだわっていただけなのかもしれません。(苦笑)

とにかく、今回、この「開かずのつづら」を処分することで、自分についていろんなことを教えてもらいました。何を勘違いしていたのか、何を夢見ていたのか、何がずれていたのか・・・・、恐ろしいのは、おそらく、この作業をしないでいたら、さもなくば、きっと今回、決別した変な思い込みの半分は、私の中では永遠に「有効」だったのではないだろうかということです。怖い。

特に30代以上の女性の方、思い出してみてください。
小さい頃、または思春期の頃、そして20代の頃、どんな女性に憧れていましたか?




かなり深いんですよ・・・・片付けものって、ある程度、量が減ると本当、一点、一点の品について考えることが多くなるのでセラピー効果が高くなっていく・・・・身に着けるものとか車なんかもそうですけど、自分の持っていたまたは持っているセルフ・イメージを目の当たりにすることになります。
あくまでも個人的な考えですが、人間やはり自分の不変ともいえるピュアな部分は大切な持ち味として持っているべきだと思います。一方、歳をかさねるにつれ、リフレッシュしていかなくてはいけない部分ってあると思うんです・・・。

人によっては母親の影響をモロにうけたまま大人の年齢になる人、「女っぽい、色っぽい」ということに存在価値がすべて帰結するタイプの人、常に自分がこれではいけないとか「完璧に」とか思っているので武装が必要なタイプの人、また自分が「私は特別な女」というある意味、妄想(確かに一人ひとりが特別な存在ですが、人と比べるもんではないでしょう・・・)を持っている人、または「これくらいもっているっていう基準(どういう基準か判らないけど、日本人の女性はこういう言い方をする人がいました)は満たしたい」と何かの安心のために買う人、今回のような使わないブランド品を負担になりつつも保存していたり、山ほど洋服をかかえこんでいる人の場合、ファッション・ヴィクティムだった頃の原因を探るというのは、自分の中の弱さや傷、「バグ」を発見するよい機会です。

それにしても、本やCDの整理もかなりインパクトがありましたが、かなりお金をかけた洋服やハンドバックはきつい。まだ、物欲から抜け切れていないのでしょうね(笑)。
まぁ、人間であるので、物欲も多少あったほうが人生は面白いけど。

今日、DVD屋さんにある映画を探しにいって、思わず違うのを買ってしまいました。
おそらく邦題は「ハイ・ヒール」というこの映画はPedro Almodovarという監督の映画で、かなり昔のものです。以前、映画関係の仕事をしているときに、友人から「すごいよい映画であんたがすきそうなのがあったんだ」と、サンプルのヴィデオ(その頃はそういうメディア)を借してもらったことがあります。シャネルとかディオr−ルとかとにかく衣装も素晴らしいけど、それもとりまぜて、母娘の問題を鋭く描いています。ただ、日本ではこのDVDってもう中古でしか入手できないのかもしれない(とてもいい映画なのに)のですが、同性愛者ということを自ら認めているこの監督、母親の影響(スペイン人の男性って本当、母親に対する思いというかこだわりが凄いと思います・・・・みていても)はすさまじく、母親とか女性の母性を映画の中に引き出して、女性の本性と死というものをテーマにしたものが多いようですね。こちらも、フランス人は賛否両論ありますけど、私はこの監督好きなんで、映画館まで見に行きました。

ただ、テーマは暗いですよ・・・・ラテン系の本質というのはそういうものなのだろうかと思っています。
これからみてみようという場合、そのつもりでご覧くださいね。

ちなみに、同じ監督のものですが、こちらの映画はカエタノ・ベローゾが音楽を担当しています。
男性の究極の愛を2パターンだしてます。
愛においても、女性と男性はこうも違う。
これをみて「病んでる」と思うか、情熱とはこういうものだと思うか。

トーク・トゥ・ハー スタンダード・エディショントーク・トゥ・ハー スタンダード・エディション
(2004/02/16)
レオノール・ワトリング

商品詳細を見る


本当に、ラテンというのは素晴らしくもあり恐ろしくもある。
日本人にはとうてい持ちこたえられないような、血なまぐさいというか非常に人間の動物的な部分というか愚かさ、そして強さ、とにかく人間っぽいなぁというところがあります。
だから彼らは情熱的なんだと思います。

どうも、スペインの映画や小説とブラジルの映画や小説は私には近いと思えることがよくあります。
私のブラジル人の友人も、日系以外はポルトガルかスペイン系の姓をもっているようですから、不思議はないのだと思いますが。

ボルベール<帰郷>コレクターズ・エディションボルベール<帰郷>コレクターズ・エディション
(2008/01/01)
ヨアンナ・コバ、ロラ・ドゥエニャス 他

商品詳細を見る


とにかく、これらの映画はある意味、ある程度人生経験がないとよさがわからないかもしれません。
というより、人間の本質について素手でさわってみようという気がない人にはかえって不快かも。
ただ、ヘビーなテーマをカラッと描いています。
この矛盾に耐える生命力、だからラテンなんです。
ただ、この監督にはまると、はまります・・・。

話はもどって、必ずしもものを捨てればいいというのではないと思います。
ただ、上手くそしてときには思い切って、自分のこれからを愛する気持ちでとりくむと、大きな大きな収穫があるみたいですね。きちんとした気持ちで自分を整理すると、変わってきます。いや、もうそういうことをはじめた時点で、変化ははじまっているんだと思います。

ちなみに、同じ映画でも、今回は違ってみえました。

2008年5月15日 シンプル・ライフはハッピー・ライフ

パリは初夏のような陽気だったのが、凄まじい夜間の雨で心地よい湿度と温度に戻ってとても快適にすごせます。

今晩はこれは立派なソラマメ、お豆はアルファルファと赤カブと南瓜サラダ、さやの部分はお醤油味で煮てみました。意外とサヤの部分のほうが美味しいかもしれません。しかし、なんといっても、さくらんぼ!たっぷり、1キロちょっと仕入れてきました。おそらく、あさってにはまた1キロくらい仕入れなくてはならんでしょう、ふふふ、笑いがとまらない。(笑)

一方、イギリスから戻って、私はシンプル・ライフの決意を新たに、今日からまた荷物の整理。
日本語の本をあらたに古本屋さんにひきとってもらい、その上がりで結構、おいしいキムチを仕入れることができました(笑)。カッペリーニ(天使の毛髪と呼ばれる細いパスタ)と生野菜を使ってゴマキムチ・パスタを作ったのですが、これが非常ぉ〜に美味!日本人の味覚にきゅ〜っときます。
このパワー・ランチで片付けに気合をいれます!(笑)

CD、DVD、本と整理したはずなのに、出るんですねもういらないだろうというものが、これが。
来週は現地のお店にフランス語ものをひきってもらいにいくことになりそうです。
それはさておき、今回は、今まで割と過激にモノを減らしてきたはずの私の盲点というか、本人がダラダラと「決断」を伸ばしてきたモノを手放す作業でした。ものを捨てる際、やはり割り切れない時点で無理はしないようにしています。自分なりにやはりタイミングを大切にしているつもり・・・・ただ、傍からみると結構、大胆な捨てっぷりのよう・・・。

経験のある方はご存知の通り、モノを捨てるかとっておくかというのは、ある段階まで作業が進むと、非常に大変なんですよね・・・まさに、自分と向き合う作業になってくる・・・・。
・状態が非常によくて、新しくかったら高価なもの。
・家族や友人からの想いがこもっているものですが、必ずしも必要でなく、またかさばるもの。
・自分はもう欲しくないが、欲しがる人が多いブランドのものなど・・・・

リサイクルに出すこともしていますが、洋服や靴など、かなり売るのが難しいものもあります。
人にあげようとおもっても、サイズがあわなかったりして。
そうこうしていると、何ヶ月もかたづかない。

勇気を出して、捨てにくいものをエイ!ヤ〜と今朝、捨てました。
基準は、自分が遺言状を書く立場にあるとしたら、遺品リストに何を記載するかということです。
非常に、極端な発想と笑う人もいるんでしょうけれど、確かにね。
でも、こういう想定でものを行ってみると、本当に自分にとって持つに値するものは何なのか?
ということがクリアになってきます。

あるタチアナという美しい名前(本当、なんか綺麗に響く・・・)のドイツ人の友人の家に何度かお茶を飲みに行ったことがあるのですが、その子供部屋が大変、スッキリとしていました。木の積み木などのおもちゃと子供用の自動車、そして大きな古い熊のぬいぐるみがあったのを覚えています。そのぬいぐるみと積み木は彼女が小さいときに大事にしていたものだそうです。

流石、ドイツ人の血をひく子供というかんじで、母親はともかく私の顔までもおしゃぶりをくわえたまま、正面からきちんと見据えていたのが印象的。骨格がしっかりしているのか、6ヶ月で本当に首がしっかりしていたのが驚きでした。ドイツの家庭では赤ちゃんには紐靴をはかせて、足首がはやく整うようにするといっていたのにも感心しました。

彼女はジャーナリストの仕事をしたかったのですが、流石ドイツ女性(!?などというと、「現代的」と自負するドイツ人の女性に怒られました・・・・彼女は伝統的なドイツの女性の役割に強く反発している人でした)、子供と朝と夜しか会えない生活などできないと、泣く泣く専業主婦になっていました。
でも、「こんな美しい暮らしってないでしょう?」と、キャリアへの未練を振り払うように、私にききます。自分の使っていた積み木と熊のぬいぐるみで子供が遊んでいるのをみると、自分もこうやって親にみつめられて育ったのねぇ、と感慨深いものがあると話してくれました。
何も、報道現場で右に左にと飛び回るのがジャーナリストと決まったわけではないと、私は答えたのですが、日常を観察して伝えていくことだって立派なことです。

ドイツの実家は衣類などは「かわいいからと」送ってくるけれど、おもちゃはむやみに送ってこないんだそうです。だんなさんはカナダ国籍の人ですが、彼の実家からは「今どき」のいろんなおもちゃを送ってくるそうですが、仕方ないので物置にいれているとのこと・・・。(たずねてきたときには部屋に並べるなどの配慮というか苦労があるそうですが)

なんか、子育てにしても物をすっきりさせると、かえってものを大切にしたりものの価値が判る人になる教育ができるのかも・・・と感心したことがあります。

よく、子供に最高の教育をといって頑張られる人や、凄まじい投資をする人がいますが、そういうこととは違う・・・。また、最近、そういう従来の「一流」「上流」を最優先した考えは時代遅れになるという見方もあります。

人生いろいろあるのでしょうが、親がシンプルに暮らして満足しているので、その子供もシンプルな環境で情緒が安定し、自分というものの真価を損ねないように育ちやすいのではないか?と思ってみていました。特にこのくらいの年齢の子供にとっては、親との交流や自分にとっておきにいりのごく限られたおもちゃ、何より親の情緒の安定を必要としているだけなんだろうなぁ、と思います。贅沢というより豊かさを与えるというのはこういうことなのね、というかんじが伝わってきます。

物が少ないと、大人も子供もクリエイティブになるからだと思います。

こうしてみると、モノというのは実は自分の欲やコンプレックスや恐れなんかの表れなわけで、よくいわれるようにモノをもたいないでいる人は「スッキリ」しているのはそのせいなのかもしれません。

人間、生きていれば垢もたまります。体とおなじように、やはり心もスッキリさせるには、変に特別なことをするより、持ち物整理あたりから入るのが手っ取り早い(笑)と最近、痛感しています。

シンプルな生活って、幸せが何かを教えてくれるような気がします。
逆にシンプルな生活にしていくと、モノの量ではない、またはモノには変えられない豊かさで自分が満たされるようになってくると思います。

イギリスでの休暇中、真っ白なベッドで目を覚ますと普段仰向けで眠り込んでいる私の目に、一番はじめに写るのが窓に揺れるこの天使。(笑)




「あぁ、気持ちのいい朝・・・」と穏やかにそしてスッキリとした気持ちで朝を迎えることができたのはもしかすると、こんな小さなことのお陰だったのかもしれません。

寝る前、起きるときは特に、かわいいものや綺麗なものを見るようにするといいみたいです。
皆さんも、自分にシンプルな形で、ただ単にやさしくしてくださいね。
私は明日も、いろいろと用事にお片づけ!


イギリス式暮らしのシンプル整理術―心とお部屋のおかたづけイギリス式暮らしのシンプル整理術―心とお部屋のおかたづけ
(2003/11)
ドンナ ウォルター、マーク フランクス 他

商品詳細を見る

2008年5月11日 メタボにならない自然のなかま達

ロンドンで食料品の買い物をしていて思うのは、なんでも「オーガニック」とつけてあればいいというものではないでしょうに、ということです。
これではファーストフード店で、「サラダを食べて健康に」と薦められているのと同じ。
精製した小麦粉や牛乳だお砂糖だバターだとたっぷりつかっていては、これではあまり意味がないと思ってしまう。

世の中、メタボリック・シンドロームをわずらわれている方のなんと多いことか!
自分達の体をあんな風にするのは悲しいことでしょう。
やっぱり。




確かにね、誘惑が多い。
一方、自分でも驚いたのが、バターフィンガーやクロテッドクリーム、チョコレートでさえも今回は欲しがらなかったことです。
イギリスは本当、そういうものが美味しい。

私は体が生食になれてきたため、生野菜や果物の食事にパンや穀類が夕食につけば満足になってきたからなのです。そういう人も増えているらしく、そういう人のためのチョイスも充実しています。勿論、植物性だけでもボリューム的にも文句なし。




こうして自然に囲まれて自然の食事(有機ものを中心に極力、加工しない)をしアロマテラピーの製品なぞを使ったりして、「麗しきナチュラルライフ」を送るのは気分的にはいいのですが、自然とつきあうのにはそれなりの覚悟が必要だと改めておもいます。

そのひとつが、虫、特に寄生虫対策です。

例えば、ブラジルに行くと大自然ツアーに参加するのが趣味になっているのですが、あちらはいる虫とか動物とか、勿論、寄生虫の数や危険度もかなりアップします。
そこで、パリを出発前からスペシャルカプセルをベルギーに発注し、その強力なエッセンシャルオイルのブレンドで体の中から寄生虫や真菌類などにたいするバリアーをはってでかけています。なので、ブラジル人よりも現地では軽武装だったりします。

ちなみに、ガイドをしてくれるインディオの人達は衣類や靴こそ同じですが、全然そこらへん丸腰で、大丈夫のようですよ。おそらく、彼らの腸の中とあちらの土の成分はかなり近いんじゃないかと思ったりします、彼らは凄い。

これほど究極のケースでなくても、私は一年に1、2度、ハーブもので寄生虫駆除の効果のあるものをとるようにしています。たとえ、症状や心当たりがなくても、とっています。

よく言われるとおり、日本でも有機野菜を食べる人が増えたせいで、ギョウチュウとか回虫とかをはじめとする体内寄生虫がまた増えてきたともいわれます。いくら丁寧に洗ったといっても、目に見えない大きさの卵まではわかりませんし、それこそ、とにかくどういう経路で虫がくるかはわかりません。子供がいたり、またはペットなどがいたら尚更です。

一方、面白いことは、戦後のギョウチュウや回虫駆除などの効果が現れてほとんどそれらがいなくなると同時に、アトピーやその他のアレルギー疾患が激増しているということ。

そういえば、日本ではなんでも「抗菌」という文字がついていたり、消毒殺菌したもの、するものが目に付いてびっくりしてしまいます。ちょっと、あれは異常だと思ってしまう。

かえって寄生虫のほうが抗体抗原反応による炎症がでる確率が低いので、アトピーにかかるよりも寄生虫をもっていたほうがいいという説まであるほどです。寄生虫は勿論、その代謝物(排泄物)も含めて異物ですから、人間の免疫が作動し抗体が出ますが、ヒスタミンなどの刺激物質を出すために必要なマスト細胞の作用を寄生虫が不活性にしてしまうというのがその理由らしいです。

おはよう寄生虫さん―世にも不思議な生きものの話 (講談社文庫)おはよう寄生虫さん―世にも不思議な生きものの話 (講談社文庫)
(1996/10)
亀谷 了

商品詳細を見る


スーパーモデルで回虫を飲んで体型を維持しているという人もいるらしいですが、ちなみにその件で有名な方は暴力事件等を何度もおこしているようですね・・・・一説によると、「腹の虫」が起こしているらしいですよ。
こわいですね〜。

いずれにしても、アマゾンのインディオでさえ、病気や栄養失調で体の免疫がおちれば、寄生虫でおなかが膝のあたりまで垂れるほどになってしまうそうです。免疫力というのは生命力のあらわれですからね、落ちれば寄生虫にも寄生されやすくなるし、アレルギーにもなる。

そういう意味では、私は抗菌、殺菌というのは手術などのときにとる手段、非常事態のときのための方策だと思っています。パスツールが発見した「ばい菌理論」はまだ生きているようです・・・・彼は
晩年、その自説の誤りをみとめているということは、よくいろんなものを読むと書いてあります。
フランスではそういうことをいうと、「おかしい」と思われるようなので、話しませんけどね。

自然と共存するというのは結構厳しい側面があるということを、私のようなお気楽な自然派でもおもったりするわけですが、健康なもの、生命力の強いものにはばい菌も病気もつけないんですよね。
綺麗で清浄な環境で過ごすこと、農薬や汚染されたものからフリーな水や食べ物をとることとというのは抗菌、殺菌とは似て非なるものだと思いますが、これも個人の感覚の問題。

それにしても、健康であるということは美しいことですね・・・あの庭で飛んでいた鳥達(餌をあげるなどという、極めて不自然なことをする人はいません、禁止という文字さえみませんでした)は体中の筋肉をしならせて、まるで魚が泳ぐように空を泳いでいました。

ちなみに、裸足で歩いたり、水からも寄生虫は移るそうです(笑)。
でも、体が健康で「生きていれば」、大丈夫。

心もそうでうよね、健康であれば悪いものや考えに囚われない。
神道でいう「穢れ」とは「気枯れ」ということで、生命力、元気の枯れた状態らしいです。

通りにひしめく・・・・メタボ軍団(?)をみながら、屋外ですくすくと育つ花や野生の動物(虫も含む)のことを思い出すと、やっぱり、メタボというのがいかに自然から遠いものだと思います。
自然なものというのは、小さなものであっても見る人の魂を揺さぶりますもんね。
人工的なインスタントな美というのは、刺激することはできても感動はさせてくれない。
刺激だけで感動がわからなくなったら、心というか魂がメタボ・・・。
そういう人も結構いるみたい。




こうやって自分達の体に宿る自然の力を考えるとやはり、考えてしまうのがこの話題。
お子さんのいる方は特に必読です。

予防接種は果たして有効か? (海外ホメオパスによるホメオパシー講義録 (2)) (海外ホメオパスによるホメオパシー講義録 (2))予防接種は果たして有効か? (海外ホメオパスによるホメオパシー講義録 (2)) (海外ホメオパスによるホメオパシー講義録 (2))
(2003/03/18)
トレバー・ガン、由井 寅子 他

商品詳細を見る

2008年5月10日 スピリチュアル探索

早朝、6時前に音をたてずにそっとベッドを抜け出して、この不思議な
井戸、Chalice Wellの水を汲みにいきます。
井戸の手前に、水を汲む場所があります。
ヒイラギのふもとで常に水をサーヴするライオン君に挨拶してこのマジック
ウォーターを頂く。




この水は別名、「赤い水」ともいわれるほど鉄分を多く含んでいて、鉄サビ
のような味がします。キリストの血を受けた聖杯を沈めたという言い伝えの
ある井戸から湧き出ているため、キリストの血の水だという人もいます。

この水はホメオパシーのレメディーやフラワーエッセンスなどのようなエ
リクシールにも使われ、Subtleなエネルギー効果による精神的な治療は
勿論、実際に喘息などの治療効果もあるといわれています。

イギリス人のここの常連でさえもこの水はたくさん飲めないという人がいる
のですが、不思議と私はこの水が美味しくて、滞在中は一日に2リットル
は飲んでいます。ちなみに、水道水もここはなかなか美味しいと思いまし
た。

午前中は、ゆっくりと朝風呂を頂いてから地元でとれた果物をどっさり朝食
に頂き(馬かウサギを群れで買っているようだといわれます)、朝露が残る
芝にしっかりと裸足の足をつけたり石畳の砂利に飛び上がったりして、
1時間ほどぐるぐると歩いてみました。(ミミズが指の間から出てこなくてよかった)



昨日のブログで書いた画家のパムの絵を思い出すような花達。
海中で遭遇した銀の体を光らせておよぐ細かい魚の群れにも似ている。

ここのミステリーのひとつが、ここにいると絶対に虫に食われないのです。
私自身、食事を変えてから殆ど、虫に食われなくなりました。
それは、血液の質が変わったかららしいのですが。
ただ、ここにはありとあらゆる虫がいるんですが、私だけではなく、みんな
に無害のようなんですわ。

この庭の要である井戸は上のライオンの写真の奥にあるのですが、ここは
それこそ世界中から悩みや苦しみや「どうしても願いを叶えたい」という強い
念をもった人達が祈ったり、瞑想したりしにくるところです。

よくそういう場所って、そういう人の念が残っていたり、変なかんじがするとこ
ろが多いのですが、不思議なことにこの井戸は違うんですね・・・・静かで
穏やかだけど、そういうものを優しく流してしまようなパワーがあるみたい・・・
それだけ強い思い込みや念がある状態自体、ある意味、逆に癒す必要が
あるんだろうなぁと思い当たってしまいます。

誰もいないときを見計らって、井戸の縁で寛いでいると、一匹の蜂が・・・・
私は蜂と猫に何故か異様に好かれるんですが・・・・
この蜂、不思議な奴で、目はアブみたいなんですがあんなに醜くなく、体
はレモン色と茶色の縞々なんですが、蜜蜂のように胴体がわかれていない
んです・・・・なんか可愛いの。

ここにいると、まるで鳥や虫がスローモーションで動くみたいなんです。
羽がブンブン震えて手足(?)をだら〜んとしたまま、宙にういてやんの、
こいつ。(笑)肩にとまったり、居なくなったかな?と思ったら、頭にとまって
いるよ、と言われ、耳のあたりにまとわりついたり(耳に入ったら大変だ)
して、20分以上くっついていました。

「あんた何?」と言っても、ぶ〜んと羽音をたてて、肩口あたりにただよっ
ている。不思議なことに、その蜂がとんでいたあたり、後で軽く痺れて、
こちらに来て以来、なぜか軽く痛みをかんじていた頭とひじの部分が
なんともなくなったようです・・・・あれは天使だったのか?(笑)
他にもこういう小さな面白いことがよく起こります。

小さな命のおかげで、すっかり、優しい気持ちで一杯になりますよ。(笑)

この場所と小さな通りをはさんだところに、ある奇妙な場所があります。
そこにはコンクリートの建物があって、いつもバックパッカーやヒッピー
のような、「アウトサイダー」系の人達がたむろしています。
あまり近づかないようにしていたのですが、今回はそちらに行ってみました。
なぜなら、そこには「白い水」と呼ばれる湧き水がでているのです。

ここには古くからいろんな地質学者なども調査に入っているそうなのですが、
前述の赤い水とそちらの白い水というのは非常にミステリアスなのだそう。
殆ど、目と鼻の先にあるのに、まるきり成分というか特徴が違う水が出て
いるのです。白い水のほうはカルシウム分がとても豊富なんだそうで、これ
もある種治療効果があるんだそうです。

この白い水というのは、これもまたスピリチュアル好きにはたまらないという
小高い丘の根元から出ています。以前にこちらでも写真をアップしましたが、
これは2年前のもの。今回も上りましたが、前回はカメラと携帯が突然壊れて
しまった(聖地関連によくいかれる方はご存知の通り、電気的な強い作用で
こういう機器がこわれてしまうことがよくあります)ので、そちらで今回は写真
はとりませんでしたけど、頂上はこんなかんじです。




で、東洋的にいうと、これって元来は陰と陽(白い水と赤い水)なんではないか
と思えますよね・・・・・。例えば、赤い水の井戸のほうは世に認知されていて、
きちんと保護管理されていてある意味、正統派の聖地。一方、白い水のほうは
ヒッピーとかサブカルチャーなイメージが強い聖地。

日中に行くとそこには観光客が水筒をもって結構きていました。(安心)
コンクリートの壁から無愛想にホースがでていて、そこから水が出ている。
おそらくはこれがあの白い水。さっそく、私も半分赤い水が入ったマイボトル
にこの白い水を汲みました。そして、シェイクしてのんでみる。
ちょっとサビの味がまろやかになったような、色もちょっとにごったような・・

ドアのないこのコンクリートの建物の中は本当に、真っ暗。ろうそくの明かりが
あちこちにみえます。中に入ると、お香の香りが四方から漂ってきます。
すると、なんとなくインド好きっぽいかんじのイギリス人女性が2人、手をつな
いで大きな声で歌をうたいながらやってきて、ある壁にむかってたたえるような
しぐさをしています。本当に、真っ暗でなにがなんだかわかりませんが、その
壁にむかってシャッターを切りました。すると、びっくり。




こんなに美しい絵がかかっていました。
2人の女性はブリジットという女性神をたたえるような歌をうたっていました。
命の源である炎の強さ、この神は火の神様らしいのです。
歌も素晴らしいので、拍手などをしてお礼をいうと、すっかり気をよくした
彼女達、素直についていってみると、この絵の向かいにはちょっと怖い
かんじの石の祭壇がありました。
よく、ブラジルなどでみるブードゥーとキリスト教がまじったかんじのも
のです・・・・

このあたりになると入り口から光が差し込み、ろうそくの光も手伝って中
の様子がよくわかります。想像に反して、とても綺麗に掃き清められて
とても大切にされている場所のようでした。ここでは、夜な夜な、バック
パッカー達が歌をうたっているようです・・・歓声が聞こえたりします。
なんか、シェイクスピアの真夏の夜の夢を連想してしまいそうな空間・・・・
夥しい数の蝋燭、こちらはこちらで本当に自治的な管理があるすごい
ところです。

この丘、見かけによらず、実は人工のものだそうです。
古代人が蛇がとくろをまいたような巨大な建造物をたてたのですが、
それがこの丘だとか。
赤い水と白い水というのは、実は単に雨水が地下にたまったものが
湧き出たというのではなく、この丘の内部にある貯水システムのよう
な部分から出ている、古代の叡智による聖水なのだという説が、ここ
の地を知る人のいわば通説になっている感があります。

さて、お昼を軽くすませてまた庭に戻ることにして、お気に入りのベ
ンチがあるのでそちらで読書でも。すると、組んだ足のつま先に重
みが・・・ふとみると、Thrushとこちらでは呼ばれる茶色っぽいツグミ
が私の足先にとまっています。みると、私の周りには何匹もこれの
仲間やBlackbirdと呼ばれる、これもまたツグミの一種ですが黒く
てくちばしが鮮やかなオレンジから黄色をしているものが集まって
きています。

「あらぁ」といって驚いていると、生意気にも(?)はずみをつけて私
のつま先から飛び立って行きました。彼らは両方ともHolly(ひいら
ぎ)の実が大好物の、ヨーロッパでは一般的にみられる鳥達です。
赤い水と白い水が私の中で混ざって、鳥達をひきつけるパワーが
出たのかもしれません。(笑)

のどかなスピリチュアル探索です。




それにしても、お水も美味しいのがありますけど、イギリスはどう
してこう、お茶が美味しいのでしょうか?花や木や太陽や月や鳥
や虫たちに耳をかたむけながら、頂くお茶は格別です。(笑)

そういえば、自然の声をキャッチすることのできる人はブラジルに多い
ような気がしてます。

これは日本人の方でいまでもあるサンパウロにあるコミュニティーを
支援している方の体験記です。私も次回は、見学にいってみたいと
おもっています。なかなか面白い本ですよ。

耳をすまして聞いてごらん―ブラジル、貧民街(ファベーラ)でシュタイナーの教育学を学んだ日々耳をすまして聞いてごらん―ブラジル、貧民街(ファベーラ)でシュタイナーの教育学を学んだ日々
(1990/07)
小貫 大輔

商品詳細を見る


こちらに到着して井戸に出かけると、真っ先に私の目にとびこんできたのは
何十本もの色とりどりのリボンでした・・・・ ブラジル人の軍団があの有名
なボンフィンやバイアの教会のリボン(手首に願いごとをしてむすんで、それ
が自然に切れたらかなうというおまじない)を井戸のまわりの木に結んでい
ったのです。なんだか、本当、個人的に不思議なめぐりあわせの多い旅でした。

2008年5月9日 「イマジン」のゆらぎ

イギリス、おそらくはパリでもそうだろうとおもいますが、ここのところ
カラッとした暑さが続き、本当に体調がいいと寝るときにも目覚めた
ときにも、おそらく睡眠中も感じているのではないかと思う陽気です。
日本にいる頃は、いつも6月に体調も気分もすぐれず、夏は冷房病
で凄いことになってしまうことが何度もありました。

人工の空調というのは本当、生命力をすり減らしてしまうものなのだ
と思います。暑いときは汗をそれなりにかいて、日陰で涼んだり、暑く
ても寒くても体をそれなりに労わった暮らし方というのは、会社生活
をしていると非常に難しいのかもしれませんけどね。

とにかく、男女の別なく、その人の生命力というのは若さであり、最大
の魅力、美しさであるのですから、その「灯」がいつも輝く人でいたい
いたいと思います。そのためには「快」の感覚をできるだけ多く持つよう
にしています。とにかく、これをご覧のみなさまも御身大切にしてください。

この土地は、今回で2回目ですが、できれば夏にまた来たいと思います。
土地というのは、やはり心があるようで、何度も親しみや感謝の心をこ
めて訪問すると、ますます優しく迎えてくるれるような気がしています。




この「楽園」の庭は世界でも有数のスピリチュアルスポットで、イギリス
は勿論、世界中からたくさんの人が訪れています。日本の方も今回、
一組おみかけしました。さりげないところですが、全ての人の気持ちが
癒える、本当に不思議なエネルギーのあるところです。
赤ちゃんを連れて行くとよくわかると思います。

ジョン・レノンも生前、この庭で瞑想をしたといわれています。
彼はこの石のベンチで、空から「イマジン」を授かったといわれています。
ここがあの名曲の発祥の地だそうです。
なんともいえない、写真ではわかりずらいのですが、優しい顔の
天使(ちょっと東洋風の顔立ち)です。いつも誰かが野の花を腕
の部分に置いていきます。

そっと、そっと、写真を撮らせてもらいました。




それにしても、この曲はあらためて聞いてみると、非常にある意味、
過激な歌詞だと思いました・・・・。イギリス人的にいうと、Eccentric
といったかんじかなぁ・・。私はこの単語に悪い意味をかんじないの
ですが、中をとるとSensational・・・、これだとピンとこない。

そしてメロディーがとても優しく美しく、リズムが生き物の「ゆらぎ」をも
っているかんじがします。

これはあくまでも、個人的な印象ですが、おそらく一
人の若者としてのイエスというのが、この歌を聴いていると生身の優しい
若者として浮かび上がってきます。

ちなみに、この庭には、キリストの血を受けた聖杯(Holy Grail)を沈めた
という言い伝えがある聖なる井戸があります。ご存知の方も多いことでしょう。

メロディーが優しく体に馴染むリズムに載って流れ、そしてそれが、
なんというか・・・retrace(あえて訳せば「戻す」というかんじ・・・)して、
またそれが流れて、と繰り返すゆらぎの中から、なんだか、そのゆ
ったりとしたはざまのなかになにか、本当のこと、光のようなものが
見えるというか聞こえるというか・・・ね。

例えば、プールでクロールで泳ぐときに、私はこの曲を頭の中に流します。
そうすると、気持ちよく泳げるからです。

わたしはビートルズや彼のことには詳しくありませんが、この曲は人間技
ではないというかんじがして、あらためてうなってしまいました。
恐ろしいくらい、素晴らしいというかもっと不特定な凄い曲。

この庭は小さな田舎町のはずれにありますが、一日おきにお野菜や果物
などを買いにメインストリートにでかけます。このような田舎町でも、流石、
有機栽培ものやヴェジタリアン用の食材は豊富です。こちらに滞在中は
セルフ・ケータリングなので、本当に充実した食生活(土地の産物なども
入手できる)が楽しめます。

スピリチュアルグッズ(スピリチュアル・フリークのメッカともいえる場所が
いくつもありますから)やおみやげもの屋さんがひしめく中、気まぐれに
小さなギャラリーにふらりと立ち寄りました。

2、3人の作家の絵が混在する臨設展示のようで、その中で私の目を
ひいたのは、ブルーのなんだか、ファジーというかそういうかんじの網目
模様のような一枚でした。そちらにいた女性にその絵について尋ねると、
「私の作品なんです」と話されました。

彼女はPamela Shawというイギリス人の絵描きさんです。



彼女の息子さんも何年かパリで勉強していたことがあるとのことで、
ひとしきりパリの話題でおしゃべりをしました。

ふと、みやると、会場内には彼女の作品とおぼしきものがあと3点ありました。
ひとつは緑。そう、5月、6月の緑です。縦の線をおもわせるようなタッチになんか
こう、なんともいえないパターンが入り込んでいる。どうみても、自然の緑です。
そう、彼女の作品をみて浮かぶ言葉は「フラクタル」。

あまり、深い考えがあっていうわけではないのですが、と彼女に「フラクタルと
いう言葉がうかんだのですが、とても気持ちいいです」というと、「あ〜、イエ
ス」といいます。「あなたも絵をかくのですか?」ときかれるので、「とんでもない、
そのような才能は持ち合わせてません」と笑うと、「そうですか」と答えて、しばし
2人も会場にある絵にそれぞれ没頭・・・・・。

彼女のものとおぼしき、もう一枚の赤と茶と黄のなんというか、飛沫のような、
ちょっと野趣のある絵をみると、なんとなく、「硫黄の匂い」がしたような気がし
たので、「この絵は、硫黄の匂いがするみたい」と笑っていうと、「それは・・・
私がある山で描いたものですが、硫黄の匂いが確かにしていました」と言う。
「やはり、匂いまで伝わるものなのですね」というと、静かにうなずいていました。

その日の夜に彼女の友人のちょっと名の知れた絵描きさんがレクチャーをするの
で、来たらどうですか?と誘ってくれました。「いずれにしても、美味しいお茶が
でますよ」とウインクをして・・・・。その夜はちょっと予定があったので、いけませ
んでしたけど・・・とても、ナイスなひとときでした。

ちなみに、彼女の作品を写真に撮らせていただくことは遠慮させていただきました。
もし何か縁があれば、彼女の名前を耳にする方もいるかもしれません。

一杯、買い物をして、土地のちょっと酸味のあるみかん(クレマンティン)と苺、そ
して野草のような趣のサラダ(菜の花、赤カブなどをはじめとして、地元でとれる
食用の「草」の盛り合わせ)と木の実をフラックスシード油のドレッシングで和え
て、ポーチド・エッグを添え、カリフラワーと赤ピーマンをサワークリームで和えた
ものに、ソーダブレッドという、お店のほかのお客さんにきいたところによるとイー
ストを使わずに作った、ナッツバターを使ったパンというものを夕食にすることに
しました。

下ごしらえをすませて、太陽がまだあるのでもったいないと、また庭にでると、
お花がそれこそ「笑って」いるかのように、全てが美しい「ゆらぎ」と調和の中
で迎えてくれました。




日本人はおそらく、他の国の人より、この「ゆらぎ」の感覚に対して細やかな
感受性を持っているような気がします。
「間」の感覚、そして空の中に真の豊かさをみるセンス。

自然がどうしてこのように美しいかは、実はこの「ゆらぎ」があるからなのだ
とおもいます。




温室育ちのバラの美しさもあるけれど、私はやはり野に咲く花の美しさに
心ときめきます・・・・というより、エネルギーをもらいます。

薔薇の季節になると、この庭にある薔薇のアーチも華やかに彩り、匂い
立つことでしょう・・・・うっとり。(笑)

ジョン・レノンを「伝説」にしてしまうのはある意味、勿体ない・・・・かな?
彼の曲はいつでも、誰もがふと口ずさんで、ふと「本当のところ」に戻っ
ていけるようなそんな曲、常に人々のポケットにあるような日常的なマ
ジックだと思うからです。

とにかく、本当に凄いものってさりげないものが多いです。
神がかってます、本当に。

レノン・レジェンド~ザ・ヴェリー・ベスト・オブ・ジョン・レノン~レノン・レジェンド~ザ・ヴェリー・ベスト・オブ・ジョン・レノン~
(2004/11/17)
ジョン・レノン

商品詳細を見る

2008年5月8日 イギリス人の聖と俗感覚

今週の火曜日からイギリスは素晴らしい春の暖かさとなっております。
私は、今週は「楽園」滞在をいたしました。
ロンドンから車で2〜3時間の某所にて、命の洗濯です。
イギリスは春まっさかりのようで、この見事な桜。
日本でみる桜に近い、一重の清楚なものです。




日曜日は薄手のセーターに厚手の綿のコートを着ていて丁度よかったくらい
なのに、この暑さ。道行く人は殆ど真夏の格好・・・・他人事ですが、夏になっ
たらどうするんだろう?と思います。
私はスウェードのシャツで丁度いいくらいです。
こういう、まず日本では殆ど出番がない衣類がヨーロッパだと役に立ちます。
フランスやイギリスではサマーセーターは必需品と思い知ります。

それにしても、「楽園」が地上にあるとしたらこんなところだという見本のような
ところです。こちらは、知る人ぞ知るという場所で、ここのお庭を含めた聖域全
体を保護するトラストに私も2年前から加盟しています。

今年は、お陰様で、規定のほかにちょっとだけ寄付をすることになりました。
普段は、有機栽培や良心的な製品や商品などを買うようにして、それをある
意味消費者としての社会還元と考えているので、寄付とういうのはしない私
ですが、ここだけは別。これだけの庭を維持するには、イギリスを始めとする
世界からの隠れた寄付がたくさんあるんじゃないかなぁと思います・・・・。
こんな素敵な場所は世界中でもそうたくさんはありません。

それにしても、木が美しいこと・・・日本でも神社にうかがうと、木というものが
美しくて凄い神聖なエネルギーを放っているのだということを感じることがしば
しばありますが、本当、イギリスを訪問ですると頻繁にそれを痛感します。
木というものは、聖域を守る、いや作っているのかもしれません。

この写真の真ん中にCamellia Japonica、そう日本の藪椿といわれるも
のがあります。ちょっとこの写真ではみえにくいかもしれませんが、この庭
におそらく一本だけありました。
おなじみの赤い椿です。椿も極めて神聖な不思議な力のある花だとい
われています。いろいろな品種のものがありますが、やはり日本のも
のが最高(独断ですが)です。(笑)




パリで仲良くしていたイギリス人の友人の家は20区、パリのはずれにあ
りましたが、その近くの小さな教会の隣に英国風の庭がありました。通る
たびに、「イングリッシュしているわ」と思ってみていると、彼女もある日,
歩きながら、「あぁいうかんじをみて、いいなぁ・・・と思うと、私はやは
り、イギリス人だとつくづく思うのよね」と話していました。
ガーデニング分野に不案内な私などにしても、歴然フランスの庭とは違
うんですね、これが。

こういう庭というのは、テクニックや知識だけではなく、もっと何か大きな
自然に対する愛とか理解がないと作れないというようなお庭です。こうい
うところに、イギリス人の洗練と高い精神性を感じます。

ちなみに、下の写真の正面から左にある背の低い木はHolly、西洋
ヒイラギといわれる(そのなかでもいろんな品種があるようです)、
モチノキ科のものです。その生えている場所は、丁度、レイライン
(という、風水というかイギリスやフランスなどをはじめとして古代人が
結んだといわれる地上のパワースポットの線)、サン・マイケル・ライン
(大天使ミカエル、この場合は太陽神のラインともいわれる)いうもの
が走っている場所だそうです・・・・。

ヒイライギは魔よけの神聖な木とされますが、成分的には実には毒性
があるものがありますので、可愛い鳥が食べていても真似して食べな
いように。(笑)

周知の通り、イギリスはスピリチュアル大国(?)でもあります。
この庭にいると、いろ〜んなことを教えてもらえます。




などと、どっぷりと素晴らしい自然の懐に抱かれながら、イギリス人の「自然と
いかに上手くつきあうか(人によっては制御するかというべきか・・・・)」という
部分を堪能するわけですが、なにやら5日にはロンドンで派手な事件が起きた
ようで、昨日、一昨日の新聞はそれで結構、もちきりなようです。

キングズ・ロード近くのマーカムスクエアで、というよりは、ロンドンにそれほど
詳しくない私のようなものにとってはチェルシーといったほうがいいかもしれま
せんが、そちららで銃撃戦があったというもの。びっくりしちゃいますよね、まか
り間違うと居合わせることもありそうな場所、本当にねぇ。

結局は、発砲した男性(この場合は犯人)は武装警官により射殺されてこの話
は終わったそうなのですが、実はこの犯人、オックスフォード出の上級弁護士
(barristerといって、下級弁護士とは区別されています)で、推定価格にして
220万ポンド(4億4、5千万円)のフラットにお住まいの32歳の男性。

評判によると、元気でそれでいて上品な物腰の冷静な人物ということですが、
5日の事件当日は朝からお酒を飲んでいたということです。夕方にこの事件
を起こしたらしいのですが、どうやら原因は、夫婦間の問題らしいです・・・
痴情のもつれかどうかはしらないけれど・・・
イギリス人が極めて好きなタイプの事件みたい・・・・、とびきりのゴシップ的
ネタになってきたかんじ。

「憧れのウエストエンド」の住人というのも、大衆の興味をそそるのかもしれ
ません。

この鳥や蜜蜂や蝶の舞う(本当いたるところに舞っている)、この世の楽園で、
昔、昔のペットショップボーイズのニヒルな「ウエストエンド・ガール」が頭の中
にこだましてしまいました。
う〜ん、やっぱりこの曲ってブリタニックしてる。




こうやって、あまり露骨なことを言わずにニコニコとしながら、イギリス人ウォッチングをする私も負けず劣らず「ブリティッシュむっつりすけべ」的なかんじ・・・ですが、本当、フランス人とは違います(爆笑)。
この神聖なるマジック・ガーデンで私はそんなことを思いながら昼寝でも・・・。

レイラインとイギリスについてはいろ〜んな資料がありますが、一般むけにはこの本がわかりやすいと思います。興味のある方には、ご参考まで。

風水先生レイラインを行く 神聖地相学世界編―荒俣宏コレクション2 (集英社文庫)風水先生レイラインを行く 神聖地相学世界編―荒俣宏コレクション2 (集英社文庫)
(1997/12)
荒俣 宏

商品詳細を見る


春、日本ではすでに初夏の息吹、自然のエネルギーをチャージしてみなさまもリフレッシュされてください。

2008年 5月3日 自分と向き合うための贅沢な環境

ちょっと、5区にあるRue Lagrangeにある好みの家具屋さんをのぞい
てみました。
ちょっとインドとか中国っぽい家具でそれでいてフランスしているかんじ
のものを揃えていて、シンプルで、傷がついてもそれなりに美しく使って
いけるようなタイプの家具がおいてあります。
それほどコロニアル調でもなく、使い勝手のよさそうな、それでいて安っ
ぽさのない大人のかんじ。価格もリーズナブルです。




う〜ん、それにしても、本日のパリは17時をすぎてからは、日差しがま
ぶしくて暑いほどです。こんなとき、家にいる場合は窓を大きく開けて陽
の気を一杯にとりこみにとりこみます。

こうなると、自分の中の片付け虫がうずきだして、片付け物がしたくなり、
もうここ数年定期的にひっくり返しているのですが、何度もたんすやもの
いれ、本棚全てをまたひっくり返して、書類の山(フランスで生活するこ
との秘訣のひとつは書類の管理です)をまた何か、ゴミがないかしらと
点検ます。何回、いや、もう20回近くやっていてもその都度ごみがで
ます。

昨日は、突然、洗面所の上の大きな鏡が急に落ちました。
最初は何がおきたのかわかりませんでしたが、鏡をささえている部分が
劣化してヒビが入っていたらしいのです。私が入居する10年以上前から
あるらしいので、仕方がないのかもしれませんが、おかげで洗面台
(とても華奢でかわいいんですけどね)が割れてしまいました・・・・

もしあれが、足に落ちていたら、血だらけの骨折だったでしょう・・・床に
落ちれば床のタイルは割れていたと思います。

おかげさまで、洗面台(かわいかったんですけど)が割れただけで不思
議となんの被害も(鏡そのものは当然駄目ですが)ありませんでした。
とりあえず、壊れたものをゴミとして出したり、掃除したりして、まずは落
ち着きました。(結構、突然なのでショックだったのです、実は)

なんか最近、変なことが多い(実害はさほどないのですが)・・・。
もしかすると、と思い当たることが。
最近、ちょっと面白いことをしていて、ある鉱石の波動を転写したレメ
ディーを摂っているのです。
これはホメオパシーというものなのですが、私が現在自分で試みてい
るのは、主に精神的な作用なんですけどね、勿論、心と体と魂はひと
つですから、いろいろ付随反応はあります。

このある鉱物、黒曜石というものなのですが・・・・、これは凄いというか
容赦ない効き目があります。この石はパワーストーンとしても魔よけの
代表格のひとつですが、縄文時代の矢じりとか、エジプトなどでは古代
の祭祀が生贄を切り裂くときにつかったりしていたそうですよ。

私は、それよりとても美しい石だという印象がありました。
これに、虹(正確にはスペクトラム)というもののレメディーをあわせて用いる
のですが、自分の問題(意識では忘れてしまっているようなものとか、理屈
では片付いているようなものも)でまだ完全に消化されていない、ひっかかっ
ているようなことに直面させるというものです。(人間、誰でもキッパリ生きて
いるようでも、人知れずそういう部分はでてきますもの)身体症状も眠さ、だ
るさ、そしていろんな排出がさかんに一時的になりますので、使う人を選ぶ
ともいえます。
わたしは、これをとった当初、グワ〜ンと眩暈がしました。(凄いパワーです)

とにかく、自分の中から見たくないものや、面倒だと思っているものが、外の
現象とか感情とか身体症状となってでてくるわけです。
偶然といって笑う人もいるのでしょうが、偶然みたいなことからなんらかの「きっ
かけ」を見出せるかもしくはそれを転機にできるかは、感性の問題なので、
人それぞれですけれども・