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Author:つばきりゅう
なんかその都度「?」と感じた一見関連性のない細かいことが最終的に大きな像を結ぶ。そんな観点から幸せを実現していきたいという気持ちからはじめたサイト。よろしくお願いします。

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2008年6月29日 日曜市場のカルティエ




何故か、私は今朝からこの愛しい木のことを思い出していました。
なんの気なしに写真にとっておいたことを思い出し、ファイルをみるとまだあったのでアップしてみます。見る人が見ればわかるというかんじかな・・・・?

本日は久しぶりに日曜の朝市に出かけることができました。
目的は蜂蜜と蕪。

蜂蜜は、以前「食」のコラムで朝市を書いた際に写真に撮った養蜂家の方から分けてもらっています。
今回は塩茹で小豆にのせてお善哉のようにしていただくことを考えていたので、まよわず栗(シャテニエ)の木(花)の蜂蜜にしました。小さいものを500円くらいでちょこっと頂きましたが、綿のお買い物バックをプレゼントしてくださいました。ラッキー!(笑)

蕪は鉄分をはじめとするミネラルや酵素が豊富な葉が目当てなので、鮮度が大切なため、この市場で買います。ご存知の方も多い通り、蕪の葉はその日の朝もいだものでないと色がすぐにかわってしまうのです。また、ウサギなどは蕪というと真っ先に葉を食べるそうです。これを酸味と塩のきいたドレッシングと木の実や唐辛子やにんにくやハーブと一緒に和えて頂くのです。

さて、今日は早々に市場を引き上げようとすると、私の視線をとらえるものがありました。3,4メートル先にいるある女性のしていた腕時計です。銀色で華奢なつくりで、文字盤が楕円になっているようです。いきかけたのですが、あまりにも気になったので引き返しました。

そして、立ち去ろうというその女性の腕をつついて呼び止めました。
「あの、とても素敵な腕時計をしていらっしゃっるので、どちらの時計なんですか?」
すると、彼女はアウ・・・アウ・・・というかんじで、私の顔をみてます。
様子と顔立ちそして格好からして、フランス人ではないらしいので、英語で、「あの、フランス語はお話にならない?」というと、ア・・・ンとやっているので、これは英語圏の人だと思い、「とても素敵な腕時計、どちらのお店にいったらあるのかと思って・・」というと、「あっ、これは」と、下唇を噛む。
言いたくないのか、それとも、一点もの?と思って、彼女の手元をあらためて見やると、なるほどカルティエでした。

「あ、カルティエかぁ?」というと、「イ、イエス・・・」といってうつむきがちになるので、「ありがとう、今度お店でみてみることにしますね!」といって立ち去りました。びっくりさせちゃったかも、ごめんなさいね。

カルティエというと、サントスとかタンクとかを、「あのね、カルティエなの」というかんじでしている方が多くいるのですが、あまり似合っている人みたことない。ただ、いい時計ですね、というだけ。もしくは、自分のラベル代わりに身に着けているかんじが臭うかんじで、今ひとつ。この彼女は全然そんなんじゃない。とても素敵だったんですよ、全体として。

その市場であった彼女は30代前半から中頃で、背丈は私と同じくらいかな・・・?(170センチ前後)で、太ってはいないけれど痩せてもいない・・・。履き古したジーンズにオリーブ色がかったパープルのような地味なTシャツをヨレっときていて、ライカの古いタイプのカメラを斜めにかけていました。髪はショートの黒髪ですが、寝起きのかんじ(笑)で、ノーメーク、鼻と額に大きな赤あざがあって、おそらくはスポーツか何かで転んだのでしょうね。アーチストというかんじではなかったかな、多分。

そのいでたちなのに、カルティエのドレスウォッチ。おまけに文字盤の周りにはメレダイヤが輝いていました。不思議にね、とっても素敵だったのですよ。全体としてさりげなく。

時計とシャツの色とライカのカメラに注意がいってしまって、彼女も人見知りするかんじだったので、本当にすれ違い様のような出会いだったので、それ以上、彼女についての情報を目が記憶していないというか捉えていないのですが、あぁいうあり方はとても素敵だと思ってしまいました。

自分が美しいと思う、気持ちがいいと思うものだけを持つというか、余計なことがなくて、でも最高のものを大切にする生き方というかんじがしましたね。たまにいるんですよね、こういう人達。

でもこの手の人達って、あんまり多くの人が繰り出すところにうろちょろしていないし、一見、地味なので目立たない。あぁいう楽しみ方を見てしまうと、カルティエも悪くないなぁ・・・と思っちゃいますね。

実際、誰もがあの格好にあの時計して素敵にみえないっていうのが大切な点なんでしょうけど。

ライカにカルティエの域までは行きませんが、私なりに一度気に入ると、と〜っても一途な達で、愛用の腕時計はもう15年前に購入したルクルトのみ。ど〜しても文字盤が丸くて、綺麗なステンレスとできれば18金がコンビになったベルトで、何よりも厚みが薄いものということで、限られた予算の中から探すこと1年。探してもないので、でも諦めずに出会うのを待って、みつけた時計です。たまにに友人の付き合いで行く宝石屋さんのセールのときに、片隅にひっそりとあったのがこの時計。

ちなみに、フランスに来てからも電池交換を2,3度したことがありますが、そのうち一度はメーカーのご好意で部品交換や内部洗浄と電池交換あわせて無料でしてくださったことがあります。メーカーのラボの職人さんから、「この時計をまだ大切に使ってくれている人がいるんですね」というようなコメントがついてきたこともあります。私の愛用するものは、すでに製造中止になっているもののようなのです。ここんところ、マーケティングだなんだと変わってきてしまったようで、まだヨーロッパのものづくりの心が生きているなぁと思って、嬉しかったことがあります。

逆にね、こうして教えていただいているように思うんですね、「ものを大切にする」という良識のような、もっといえば真心の価値を。

この年齢(?)になったら、ドレッシーな時計のひとつは持ったほうがいいのでしょうが、そういう場合は時計は持たないでおけばいいと思っていたほど・・・。(笑)他に目がいかなかったからです。今日、ちょっと欲しくなりましたね、華奢で出来のいいつくりの時計が。
でも、気軽にひょいっと買えるようなお値段ではなないかな、プレゼントで頂くとしたら相手は大変でしょうね、大抵の場合。(笑)

だから、凄いと思うんですよね、浮かないであの時計を日曜市場に起きぬけの髪で身に着けて素敵なんだから・・・見た目なようでいて、見た目じゃないところが素敵なんです。

そういえば、先日、「バーキンでござるぅ」という佇まいでエルメスのバーキンという型のバックを持っている人がいましたが、見ていて素敵ではありませんでした。バックに「持たせてもらってる」っていうんじゃ、あまり面白くない。カルティエも然り、ですが。
ましてや、気合いれてもつもんじゃありませんよ、臼じゃないんだから。(笑)
自然体でもてないものは、買ってまでもつもんじゃないというのが、私の私見。

本当に自分が好きなものをもつと、なんでも最小限で満ち足りる。
道徳的な意味からでなく、「足るを知る」っていうことはかなり格好いいことみたいです(笑)
今日みかけた女性もそうなのでしょうか?

とにかく、見過ごしてしまいそうなさりげなさでしたが、素敵な人でしたね。
ご自分の感覚を重視した生活、でも全然、「とんがってない」そんな佇まいでした。
あぁいうの、品があるっていうんでしょう、きっと。
自分の感性とそして物を愛でる気持ちを大切にしているっていうかんじかなぁ。

美しい(容姿云々とかではなくて)って大切な要素ですね。美人・美男って飽きるけど(本当)、生き方とか佇まいの綺麗なというか素敵な人って飽きませんものね。

<とんぼの本>向田邦子 暮しの愉しみ<とんぼの本>向田邦子 暮しの愉しみ
(2003/06/25)
向田 邦子向田 和子

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向田邦子さんはとてもエレガントな方だったんだそうです。
日本でOLをしていた頃、赤坂見附にある彼女の姉妹がなさっているお店によく、さつまいものレモン煮というのがたべたくて通っていました。現在は、勿論、自分で煮ます。(笑)

2008年6月28日 不思議な体験談・・・睡眠前後はいろいろなお客があるのね

パリは夏の観光日和、それにプラスして、バーゲンシーズンに水曜日から突入しております。
それにしても、先週はパリの音楽祭だ、今週もなにやら爆音がなり響き、これって中高生とかこういうなんていうんだろう・・・どくろマークの好きな若い人が好みそうな、あまり健康によくない類の音楽を「押し付けられている」かんじ。今ではピンクやパウダーブルーの可愛いどくろTシャツとかもあるのをみかけますが、どくろマークをつける人の気持ちが判りません。なんか、これって意味があるんだと私は思っています。

うるさいですね、かなり・・・自由とか平等とかっていっていろんなイベントをするパリ、楽しいとか素晴らしいと思うこともありますが、半分は大人には迷惑モードです。こういってはなんですが、下手くそで趣味の悪い音楽を大音響で聞かせられることは、上手く切り替えないとストレスです。パリではちなみに、冷房というのは一般ではあまりつかわないので、窓は開けてます・・・。本当、最近では割り切って、これも住民税の一部だと思っております。

ルーヴルは観光客でごったがえしており・・・お昼時に大分波が食べ物関係に流れるのでしょうが、午後は大盛況(?)でしょうね。今日は気温がガンガンあがっていますから、みんな真夏の格好で出かけています。この写真は、ルーヴル美術館のナポレオン由縁の家具、調度品を展示してある一角にある鏡台です。




キラキラしていて、前に座るだけで器量がアップする気がしますね〜。(展示物なので、勿論、座れませんけど・・・笑)

本日は、新しいリンク先をアップしました。
「パンドラ」という知る人ぞ知るというスピリチュアル系サイトなのですが、このサイト、ご存知の方も多いかとおもいますが、ただものではありません・・・。(笑)私もひょんなことからこのサイトに出会い(犬も歩けば棒にあたる〜)、あちゃこちゃと面白いわぁと思いながら覗いていたら、シンクロがガンガン起きてきました。今朝、パンドラの管理者の方にリンク先のご快諾を頂きました。ありがとうございます。
凄いと思うのは、間口が広くて奥行きも深〜いというか、そういう太っ腹で懐の深い(同じ意味ですか)スピリチュアル系のサイトですよ。

お時間、ご興味のある方は是非、遊びに行ってみてください。
あのサイト、何故パンドラというのかは判りませんが、まるで水甕の中を覗くようなかんじです(笑)。
あまり首を突っ込んで夢中になるのも楽しいのですが(笑)、そっとそして何が見えるのかと自分なりの知恵の光を照らして、そう思って覗くと、そこには映るのは、そう、貴方の姿です。


さて、ちょっと、今日は不思議系のお話です。

昨日の夜は寝しなに凄い変なかんじがしていましたら、案の定、真夜中に目覚めると白い乾燥春雨のようなものがうじゃうじゃと空間にあります・・・これは光線の加減かそれとも目がチカチカしているのか・・と思うと、そうじゃない・・・・変なものが出てきそうなので、目を閉じて意識をそちらにとられないようにしてじ〜っとしてましたが、様子を伺いに目を開けると、真上の天井に黒い濃い塊のような影ができています。それをみると、それから足が開くようにして出ます。蜘蛛みたいです、大きな、頭大の。勿論、そういうビジュアルのみです。

ちなみに、私は薬のたぐいも、幻覚を誘引するような物質も一切、摂りません。(笑)

さて、どうしたもんだかと思って・・・その蜘蛛をまず、お腹に力をいれ、お守りを心臓にしっかりと押さえながら、凝視して、目の力でグ〜っと窓まで引きずりました。そして「出て行け、そなたに用はない!出て行け!」と心で怒鳴りつけました。これでまずは一段落。

さて、「やっぱり、変だ」と思ってそれで寝ようすると、今度は凄い羽音をたてて、どこから来たやら久しぶりに狂暴なモードの蚊が顔面あたりに突撃してきます。なんか、それだけでなく、気持ち悪い・・・・お花もそういえばここ2日あたり変な枯れ方をしていたし、大体、なにか肝心なことが達成する直前というのは邪魔されることがあったりする。

そういえば、一昨日の夕方、どこからか虫の蜘蛛が現れてきて、殺そうかと思ったけれど、「殺さないで逃がしてやろう」といって逃がしてやったんです。人間とおなじでよいのと悪いのって大体わかるんだけど、あれはどっちかわからない・・・なんか関係あるのかな?それとも私の潜在意識に蜘蛛のそういう刷り込みがあるのだろうか?

話は戻って、そこで、ベッドから起き上がり、明かりをまずつけて部屋の様子を伺いました。
すると、大きな蚊が壁にいるのがわかりましたので、それを気合をこめて手のひらで始末して、手を洗い、なんとなくベッドを整えて、小さな音で「大祓の祝詞」のCDをかけてから、クリスタルの塊を首の下にしいてかすかに聞こえる祝詞に神経を集中させて眠りました。気のせいですが、スッキリ。
朝目覚めたときは、空気がサラリとしていました。凄いです。祝詞の威力。

実は、私はこの蜘蛛みたいなのに長いこと付きまとわれていたらしいんです。
当初は、とてもハンサムなかんじの歌舞伎役者みたいな衣装を着て、よく寝るときに天井の真上からにらみつけてましたが、ほどなく、これは「変だ」とこちらにバレてしまったんですね。
私についたり触れたりはできないのですが、つきまとっているというかんじで、いろんなエピソードがあるのですが、いろいろなお陰様で、これが取れたんです。でも、同じのかどうかわからないけど、昨晩、戻ってこようとした(?)らしいんだが、無理でしたね。

イギリスのある聖地の井戸にある美しい足の長い蜘蛛がいたのですが、あの蜘蛛は大好きで、その井戸に初めていく前の晩、寝室の窓にその蜘蛛が巣をはったんです。「?」と思ったのですが、現地にいってみてその蜘蛛をみたときに「あぁ、貴方ね」と思った(私は危ない人ではありません、変ですけど)ことがありましたが、あぁいう美しい蜘蛛ではりませんでした。

ここのところ変ですわ。
2日と3日前には山犬というか狼、そして狐(似ているようで違う)の顔の特大アップが寝しなに出てきました・・・どういうことかわかりませんが、「私にむやみにつくでない!」とまた心で言い放ち、毅然としていると立ち去ります。

これはルーブルに同じく展示のある銀行家の奥様である貴婦人の寝台。
美しいけれど、私はもっと広々としてナチュラルなかんじのベッドがいいですね。
見てるだけで窮屈なかんじのベッド。
ただ、ピンクのサテンが綺麗でした。




変なのは、夜の寝しなというのはこういうことが多くて、朝方の4〜5時くらいというか朝日が差し込む頃に、目がふとさめることが多く、そうすると決まって、自分の目線の壁や天井に気持ち悪い煤のような影があるの。その影も巨大な虫のように動くのだけれど、最近では視線で捉えて、窓まで引きずってポイしている・・・何匹でもでなくなるまでやるというか、ただ傍から見るとなんとなく眼球を動かしているだけのようみみえるらしいけれど、下腹に力を入れて・・・  一度、愚痴が多くて疲れている状態だったときに、この煤のような気持ち悪い影をほおって置いたら、それがみるみるうちに壁を伝ってやってきた・・・そのままついてしまったらしい・・・あくる日は朝からぼ〜っとしていて、キャッシュディスペンサーでお金だけおいて立ち去るという「芸当」をしました。すんごい、自己嫌悪でしたよ。

ただ、おそらくこれで大難を小難にしてもらったというか、これでその頃自分がふらふらと間違った考えをしていたことに気がつかされました。

それ以来、この朝の影には気をつけてるんだけど、最近ではでても薄い影しか出ない。
あれは一体、何なのか?
変なことってあるもんです。

そういえば、2年前に寝ていたら、顔の前に青銅のような青い色をしていて赤い目をしたマントヒヒがどアップででてきたことがありました。「なに?これ?」とおもってみていると、「龍」だということが判りました。本来ならばありがたいもの(縁起もの)なのですが(笑)、初めてのことでしたからパニックになってしまい「お願い、怖いから、怖いよ〜」といって叫ぶと消えてしまいました(小心者め)・・・。その数日後、日本に帰国してからある高名なヒーラーの方にお目にかかったのですが、その方は某霊山の大先達までつとめる方。彼にその話をすると、「龍神さんがね、ほぉ〜、ご縁があったね」と、これはこれは見事な龍雲の写真をプレゼントして下さいました・・・。この方が私に触れている間に、素晴らしい金色の龍が見えましたから、本当凄い・・・。

不思議世界一色のお話ですけど(笑)。
聞くのも話すのもとまらなくなる、不思議な吸引力のあるお話。

今回の件、守護やご加護を頂いていても、最終的には自分だとお知らせいただいたのかな?と思います。本当に危ないときは、ここでは書きませんが、必ず助けてくれますからね、神様や天使やご先祖様が。

とにかく、人間関係も目に見えない世界も、こうなれば一緒で、悪いものが近寄れないような「気」を発していることが大事のようです。街歩いていると、本当、いろんな人がいますものね。

今日は不思議系の話題をちらりとでした。(笑)

私は多少の霊感(人並みに)はあるのでしょうが、普通の人ですから、神様や天使さんなどといった正しいというかそういう方面のみに関わりたいタイプです。ただ、自分も人間である以上、必ず影の部分があると思います(自分の意識しない部分ででも)・・・とにかく、ある意味、人間関係でも不思議関係でも、遭遇することはある意味「鏡」として知的に認識すると同時に、絶対に悪いものとは進んで関わらずに変なつながりをつけないようにということを、最近学んでいるみたいですね。
例えば、中途半端な八方美人とか、気をつけるようにしています・・・いろいろありますからね。
善人とか善意だとか自分で思い込んでいることで、人にとって悪を働いている(?)場合ってあるんでしょうね。反省。

皆様もよい睡眠を(笑)!

私が「スピリチュアルごっこ」好きだった頃、この本を読んで、そういことについて、自分なりの一線を引くようになりました。
そういった気のある方にはお勧めします。(笑)
やっぱり、普段の生活をきちんと生きるその意識、行いというか姿勢でしょうね、あちらもこちらの世界も(笑)・・・ かなり真面目な本ですよ。

神道の神秘―古神道の思想と行法神道の神秘―古神道の思想と行法
(2000/05)
山蔭 基央

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それと、パンドラさんのサイトで知った本。
ドリーンさんの本はみんな綺麗で、読んでいるだけで祈りとか瞑想と同じような効果があるようにいつも感じます。私は、これを日々の指針にしてます。
時をあせらず、おくれずに周囲の出来事と調和して生きるという訓練(?)に効果的です。
超お勧め。
エンジェル・ナンバー―数字は天使のメッセージエンジェル・ナンバー―数字は天使のメッセージ
(2007/01/19)
ドリーン・バーチュー

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2008年6月26日 ホメオパシーについてのさわり




眠りやすくそして日中はカラッとした夏のようなですごしやすいパリの陽気。
乾燥しているようで湿気に悩まされる暗い冬とは大違い。

お陰様で、断食93時間見事、敢行しました。(笑)
今回は蜂蜜や梅干といった助けをかりずに、水のみで過ごしましたが、蜂蜜ありの15日間よりもつらかったかもしれませんねぇ・・・・しかし、お陰様で、自分がちょっと気になっていたというかたまに痛んでいた部分がどういうところから来ているのか、判りました。痛みというのも、「排泄」の一種と考えると、痛みながらも冷静に観察できたりします。

「痛みも排泄の一種」といえば、この考え方はホメオパシーから学んだことなのですが、先月、またまたホメオパシーについて知りたいという人がいたのを思い出しましたので、ちょっとだけ書いてみます。興味のない方はとばしてくださいね。

日本でもいろいろな人のご尽力があって、ホメオパシーというものが広まりつつあります。
私はもう3年くらい、健康管理は食事とホメオパシーのみで、お医者さんも化学品のお薬も、サプリメントも針灸も一切、無縁の生活を送っています。歯医者さんすらかからなくなっています。(笑)

ご存知の方も多い通り、ホメオパシーとは「同種(似たもの)によって治す」という治療法で、対する対症療法的なアロパシーと呼ばれる治療法(科学的なもの、自然の薬草などを使ったものも含める)は、「違うもので治す」という治療法です。

ホメオパシーのルーツは古代ギリシアのヒポクラテス、もっと、それ以前にまでさかのぼる、古いものですが(真実とは時間や人類の進歩に左右されませんからね)、ルネッサンス初期の医師であり錬金術師として知られている人でパラケルススという方によって治療法として現れはじめます。彼は当時、優秀な医師でしたが、ほどなく自らの思想を説き始め、異端児扱いされながらも過激に(?)自分の考えを貫き通した人だったらしいんです。

彼の考え方は自然神秘主義というカテゴリーに入るもので、ネオプラトニズムの流れを汲むともいわれています。ネオプラトニズムとはプラトンの思想とは大分違い、プラティノスという人によって確立されたともいわれますが、一言で言うと「一者からの流出」という概念で、簡単に言えば全てのものは無限のあるものから流れ出たものであるという考えが基礎になっています。

パラケルススは万物は自然の法則により、神から生まれたとし、人間を肉体と気と霊魂という3つの層で捉えました。また、具体的には、錬金術でよく言われる第一元素(硫黄、水銀・塩)というものが元になってこの世を形成する第四元素(火水土風)が生まれるとしました。スイスの医師でありながら、結局は放浪の魔術師のような形で生涯を終えた、まるで日蓮聖人をおもわせるような弁舌鋭い、信念の人だったようです。ご興味のある方は、詳しいことは、素晴らしい翻訳と注のついたこちらの本を参照ください。

奇蹟の医書 新装版奇蹟の医書 新装版
(1991/07)
パラケルスス

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その後、18世紀から19世紀にかけて、ドイツのお医者さんであるハーネマンという方がホメオパシーを確立されました。当時は、病気になると瀉血(血管を切ることによって血を出し、毒や病気のもとを取り除こうというもの)や猛毒の水銀や砒素といったものを使う療法が乱用されており、病気ではなくこのような乱暴であまり知的ではない治療法で命を落としたり、苦しんだりする患者さんが多くいました。(ヨーロッパの時代ものの映画などでよく、残酷というか、変な治療をしているシーンをみかけますけど、あれは怖いですわね・・・)そういう有様をみて、この偉大なるハーネマンは従来の医学、医療というものに疑問を抱き始めます。それが災いして、社会的な地位を追われるのですが、彼はいくつかの語学に堪能でしたので、翻訳をして生計をたてながら、自らの直感、思いに忠実に研究を重ねていかれるわけです。

そして、あるとき、彼はスコットランド人の有名な女医さんの書いた薬効文献を翻訳している際に、マラリアの特効薬であるキナという植物の皮はその苦味成分故に効くという表記に疑問を抱き、「だったらどうして他の苦いものでは効かないの?」と、試しに自分でそのキナの薬を飲んでみます。(笑)勿論、彼はマラリアにかかってはいませんでした。
すると、マラリアとまるで同じ症状が、短期間ですが出たのです。
そこで、ハーネマンは、健康な体に病気の症状を引き起こすものが、それと同様の症状を治す薬となることを発見されたわけです。(パチパチ)

これは、ホメオパシーを学ぶ人が、たとえどの流派であろうがどこの先生であろうが、最初に耳にするお話しですが、これが一番よく、ホメオパシーのなんたるかを説明しているようにおもいます。

ホメオパシーというのは、病気というものは体の生命力の表れであり(厳密にいうと良訳ではないかもしれませんが、ヴァイタル・フォースと呼ばれています)、本来の健やかな状態が狂ってしまった心身をもとに戻そうという自然の力の表れであるとかんがえています。
中国では「気の流れ」などともいわれていますね。

解明できなくても、実際、この形のないエネルギーで生き物は生きているとうか、文字通り「生かされている」わけで、一番不思議なことが一番私達の存在の大元なわけです・・・ご存知の通り、科学の抗議を受けても、この生命=エネルギーがなんでどういうものかという説明はされませんよね。いくら細胞を顕微鏡で覗いても、この生命がなんたるかは、説明しきれないのです。

ここでいえるのは、科学とは次元が違うところに、生命の神秘があるからなんですね。
神様の領域なわけです。

例えば、ホーキンスの本など、高校生の頃読んでみましたが、他はほとんど頭に残らなかったけれど(笑)、あの天才物理学者が科学の限界を認め、神学や哲学に道を譲ったような表現をされていたことを未だによく覚えています。

このヴァイタルフォースというものは、何も体の力に限ったことではなく、各々の存在、才能、個性、全てにかかわっています。健康な状態というのは、体、心、魂、そして社会的にも愛情生活的にも安らかな、存在ということなのだそうです。すなわち、これらのどの側面、レベルでもエネルギーがブロックしたり、淀んだりすると病気や不幸、心や人生の病という形で現れるともいえるでしょう。

ですから、ホメオパシーでは体、心、魂のレベルから「健やかさ」というものにアプローチしていく療法なわけです。例えば、遺伝的体質というものや、生い立ち、境遇という、自分で選択の余地のないようなテーマについても深い洞察をもって治療に当たられる、素晴らしい専門家もいらっしゃいます。精神的な問題、身体的な問題、またはそれを超えたような問題からアプローチする仕方があります。
なんでもそうなのですが、良い治療者をみつけることが大切ですけどね(笑)。
治療を受けるにあたっては、基礎的な考えは読んでおいたほうがいいと思います。

ホメオパシーについては、本当にいろんな方から質問を受けます。
特に、お子さんのいる方とか、ブラジルのよくいくお店の人からも処方を頼まれたことがありますが、私はまだ学生の分際です・・・。風邪をひいたとかそういうことでは、フランスでもヨガの友人にアドヴァイスしていますが、プロじゃないのであまりしたくない。(笑)

電車の中で本を読んでいたり、自然食品店で買い物をしたりしていると、何故か、知らない人からもよく質問されます。あるときも、地下鉄の中で生化学系の本を読んでいたら、離れたところに座っていたインド人らしき中年の男性に、「心臓を患っていて、でも家族がいるので何とか治しながらここで生き延びたいので、自分を助けてくれないか?」と、身の上話から入って、処方を懇願されました・・・・
何故、私がホメオパシーを知っているのか判ったのだろうと、未だに不思議です。ちなみにインドはイギリスとはまた別ですが、世界でホメオパシーが最も進んでいる地域のひとつです。

詳しいことは、いろんなサイトやブログがありますので、本などもあわせてそちらをご覧頂いたほうがよろしいかと思いますね。ただ、スピリチュアルごっこみたいので使っている方もいるみたいです。別に悪くはないけれど、面白いですしね、そういう使い方が主流ではありませんので、念のため。

ちなみに、フランスでは、原則、科学万能主義ですから、ある制限の枠内でホメオパシーを使っています。私は3回こちらでホメオパシーのお医者さんにかかりましたが(フランスではイギリスや日本と違い、医師の免許があるものが正当という考えが強い)、全部、全然、ききませんでした。その後、自分で勉強をかねて2年近くいろいろ試しながら、本格的に勉強を去年からはじめましたが、風邪もひかないし、冷え性もなおり、その他いろんなことが解決しました。彼らの処方箋を今みると、古いそして限られた資料しか読んでいないように思います・・・。新しいものに飛びつくのはどうかと思いますが、やはり考えを固定しないことは大切です・・・。

現在も、自分の研究テーマに沿って、自分である処方を試しているところですが、身体症状もともかく、精神的なこと、そして日々の生活における現象までも左右するときがあります。

ご存知の方も多い通り、ホメオパシーに使う薬というのはレメディーと呼ばれていて、植物や動物や人間の体の病気の細胞やクリスタルや海の水や虹、チョコレート(笑)、猛毒物質までいろ〜んなものを天文学的な倍数まで希釈し、それを叩い(振盪)て作ります。実際は、お砂糖の小さな丸い粒にその作ったものを塗るというか吹き付けたりしてレメディーとなるのですが、通常考える薬のように、もととなる物質の分子構造ももはやないような状態にされているものですから、生化学で説明されるような効きかたではありません。簡単にいうと、そのもののもつ「波動」がそれを摂取した人の「波動」に作用するということです。だから、怪しいとか宗教みたいとかいう方が結構未だにいますが、そういう方は、従来どおり、お医者さんにかかられていればいいと思います。

簡単にいうと、形のないものに関する分野です。
なんてったて、自分の存在自体に関わるものですから、感情や忘れていた記憶、夢という形でもいろんなことが出てきたりするのです。自分の中で無視されたり、都合が悪いと押し込められたりしてきたものというのは、化け物化して、それが病気になったりしますが、そういうものが出てくるかんじの場合もあります。それらを解放する過程で、自分の本性や、自分の今まで経験した出来事の意味に「そういうことだったのか」と思い当たることが出てくるわけなんですね・・・・。

私はお仕事でイギリスのホメオパシーの専門家で、素晴らしい方達とご一緒させていただくことがありました。彼ら2人とご縁を頂いたことは、奇跡。数あるホメパシーの専門家の方がいらっしゃいますが、
本当に素晴らしい方達に会えました・・・。
決して、派手さを狙わず、ご自分なりに真実に向かって生きていらっしゃる、内に頑固というか強い部分がある一方、あれだけの知識や理解やご経験がありながらとても謙虚です。そして、イギリス人特有のユーモアのセンスと格調、柔らかいマナーがあります。
そういう出会いもあって、私はこの勉強を続けているのでしょうね。
学校のレポートのほうは滞っていますけどね、とにかく、新聞から映画からいろんなものを見たり、人と会い、自分を含めて観察する楽しみをもてたのは、このお陰です。

私はおそらく、職業的に治療者になる道はとりませんが、自分と家族、そして周りの人のお役に立つことからはじめて、何らかの形で知識や経験を活かしていこうとは思っています。

個人的には、これを知るようになってから、自分のこと特に家族や親しい間柄の人達のことを、感情を超えて眺めることができるようになってきています。いろんな方をみていて思うのは、謙虚さとバランスそして常に視野を広く持つというのが、この偉大なるホメオパシーに携わる上で一番、肝心なことのようにも思えます。

本物というか、真実の探求というのは、他の分野に増して一層の人格が問われるようですね。

個性的で、ホメオパシーを総合的にコンパクトに知るのに判りやすい本。
ホメオパシーin Japan―基本36レメディー [ホメオパシーガイドブック1] (由井寅子のホメオパシーガイドブック (1))ホメオパシーin Japan―基本36レメディー [ホメオパシーガイドブック1] (由井寅子のホメオパシーガイドブック (1))
(2005/03/01)
由井 寅子

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本来、自分達の体や心だけよければいいということでは健康は成り立たない・・・まずは自分からということが基本ですけどね。フランスでもビオディナミクス(バイオダイナミクス)という有機農法の講義を受けて、ミミズの重要性に深く感心したことがあります。
日本でも試みているところがあるようですよ。有機野菜を食べるようになってから、土と水、勿論、太陽そして月なんかも、自分の血となり肉となり繋がっているということを実感できるようになってきました。食や環境に興味のある方に。

マリア・トゥーンの天体エネルギー栽培法―進化したバイオダイナミック農法実践本 (ホメオパシー農業選書)マリア・トゥーンの天体エネルギー栽培法―進化したバイオダイナミック農法実践本 (ホメオパシー農業選書)
(2007/03/06)
マリア・トゥーン

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フランスではドキュメンタリーがDVDで出て結構、売れているようです。
農業大国であるということで、フランスはOGMに反対する強力な守りがあります。
日本では、どうでしょう?もっと、日本でも、もっとたくさん、自分の国で作った栄養一杯の良質のものを食べることができればいいのにと思います。

遺伝子組み換え企業の脅威―モンサント・ファイル遺伝子組み換え企業の脅威―モンサント・ファイル
(1999/12)
『エコロジスト』誌編集部、

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2008年6月25日 後悔先に立たず、でも何もしないよりかはマシかな・・・

引き続き相変わらず雲の多い晴れの空のパリ。
午後に気温があがるものの、ひんやりしていてすごし易い。
断食も現在で68時間目に突入。(笑)
「峠」を超えているので楽なのですが、臭いにいつもよりさらに敏感になってますね。

そんな中で、目を引いたニュースがひとつ。
アメリカのワシントン・ポストの編集部の主幹が時勢を考えて道を後進に譲るということで9月3日で職を辞すというもの。その後は同紙の経営陣として重役室のポストにつくとあります。
このレオナード・ダウニーという報道のベテラン、現在は66歳。22歳でワシントンポストにインターンとして入社し、派手さを狙わず報道現場で44年間活躍され、17年間に亘り編集主幹として報道ルームを仕切っていたとのこと。彼の功績により同紙は25回、ピュリーッツア賞を受賞し、購買部数も伸び、ウェブ上でのニュース配信も果たしたとあります。

興味のある方は、ワシントン・ポストのページ(英文)をご参照ください。
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2008/06/23/AR2008062301440_pf.html

私はワシントン・ポストは殆ど読まないのですが、このニュースが気になったのは、イラク戦争の理由について徹底追及をしなかったことが悔やまれると、彼がコメントされていたからです。

一方、ワシントン・ポストのハワード・クルツ(Howard Kuruz)という記者によると、イラク戦争の数日前、ウォルター・ピンカスという同紙の記者が「サダム・フセイン氏が大量破壊兵器を隠しているという証拠をブッシュ大統領がつかんでいるのかどうか」、という疑問をひとつの記事にまとめていたそうです。しかし、その記事は多数の編集の反対にあい、結局一人の編集補佐の手で17面に記載されることになったのだそうです。

その編集補佐の人はあるインタビューの中で、「自分達の仕事は充分とはいえなかった、強く悔やまれるのは、もっと強行に主張しなかったことだ」と語り、「ワシントン・ポスト紙は読者にあの戦争をするための根拠は(一般に信じられているよりも)不確かなものである」と、まさに一面に掲載して然るべきであったと話しているそうです。

2004年とちょっと前になりますが、WND(世界の日々のニュース)についてのワシントン・ポストのインサイダーストーリーというタイトルで記事がアップしてありました。
http://www.washingtonpost.com/ac2/wp-dyn/A58127-2004Aug11?language=printer

その当時、私の勤めていたフランス会社に(ブリティッシュ)カナダ人の偉いさんがいて、その人のフランス語の個人教授としてある知的で良識ある、私の理解者の一人でもあった女性がいました。彼女や欧米のエキスパットと一緒にランチをしたりすることがありましたが、その際、「フセイン大統領が兵器を隠していないと言っているのに、どうしてアメリカはそうに違いないと戦争を強行しようというのか、理解できない」と彼女が話していたことを思い出します・・・。その発言について、ヨーロッパ人の同席者は「それがアメリカのやり方なんだ」と肩をすくめたり、悲しそうな顔をしたりしていましたが、なんと私とアメリカ人のメンバーは、「あれだけの悪政をはたらいている人間のいうことを信じるなんて、ウブな話だ、隠しているに決まっている」と言っていました・・・・。物を知らないというか、物事をきちんと読めないということがどれだけアホらしいというか救いようがないかということを、今、自分自身のこととして思い返しています・・・・。

その頃まで、私が好んで見ていたニュースはCNN、ABCといった、エキサイティング系の報道番組でした。そして、新聞をゆっくり読んだりするよりも、見出しの派手なニュース雑誌を好んで読んでいた頃です。最近では、あまり英語のニュース雑誌が面白くもなく、Timeなど酷い変わりようで手に取らなくなりましたけど・・・

その後、フセイン大統領の報道される人物像などの信憑性を疑問視するようになりました。ほどなく、ブッシュ大統領の真実がいろんな映画や記事で暴露されてきました・・・・現在では、彼はすっかり、悪者です。そういえば、彼が大統領に就任したとき、会社の弁護士の人と彼の印象について話したことがありました。私はブラジルのこれまた弁護士の友人と、彼は「目が泳いでいる」し、なんか人物的に変だと話していたことを言うと、その会社のオーストラリア人の弁護士は「彼は普通だよ、彼の父親が偉大な政治家だったしジュニアなんてああいうかんじじゃない?彼はまともな政治家だと思うよ」と語っていました・・・・そのオーストラリア人は勿論、私より知的な人だと思いますし、いろんなニュースや記事を私よりも読んでいた方ではないかと思います。

結局、知識量も大切なのかもしれませんが、まずどのようにして読むか、見るかという視点がきちんとしていないと、もっと言えば、「真実を見る」目を養わないと何が起こっても、「知った気」になっていて実は何も肝心なことがわからないままであるということなのです。

一方、その頃ある日本の友人とイラク戦争の話をしていて、彼女が「あいつら、悪者だからやっつけろ〜、殺せ殺せ!」とこぶしを振り上げて笑い飛ばしていたことがあります。ささいなことですが、それ以来、私は彼女と付き合うのを一切やめました・・・・一時が万事であると、それまでの付き合いで「?」と実は思っていたことが「やっぱりそうだったのね」と思ったからなのですが、でも、もしかしたら、日本で少なからずの人が、こういう風にただ思い込んで、意味もなく、無知というか悪い意味での無邪気さから間違った世論を形作っているのではないかと思い、「ぞっ」としました。だって、これってアメリカ国民が知らずに犯してきた過ちや、日本で過去に起きた戦争の悲劇と、なんというか同じパターンだからです。

派手に宣伝されたり、報道されたりすることは、時勢を知るという意味で知っておくべきですが、必ずしもそれが本当のことなのかどうかは別だと思う気持ちが大切だと、痛感しています。何故なら、それによってとんでもない間違い、取り返しのつかないことになってしまうからです。

例えば、原油の値段が上がるからインフレに備えろとか、穀物をはじめとする食料危機だから備えろとかニュースが騒いでも、「じゃあ、そのまた後ろ、根っこのところには何があるのかなぁ?」と思ってみることは大切だと思います。そういうことに気づきはじめた人が最近増えていますが、私も幸いにしてその一人です。

びっくりするほど安いものとか、脅威を感じるほど上昇する値段の裏には、それによって得をする人達が息をひそめています。そして、それに踊らされる人、なにも疑問をかんじないで「乗る」人がどうなろうと、彼らに興味はありません。

加えて、人目をひくようなニュースや功績、会社や組織の名前、単なるブランド志向とか・・・・そういう今まで、これは「れっきとした・・・」という考え方はひっくり返るような世の中になってきています。

私自身、何も特別に新聞を何紙も毎日読んだりしませんけど、日々の買い物や通りの様子、人の噂などの「出方」から、いろんなことが判ることがよくあります。結局、自分で考えたり感じたりすることなく、与えられるニュースや商品をそのまま受け入れるだけの「自動的な消費者」、「自動的な労働者」とかになっている人が多い国は今後、「アウチ」になってくるんじゃないかと思います。

また、政治家でも評論家でもジャーナリストでも、「あぁ、この人じゃなくっちゃ、この人の言うことは全部OK」と、どんな立派な人の場合でも、全てを預けて支持しきって、奉らないこと。これって怠慢以外の何者でもありません。夫婦関係でもそうなのではないでしょうか?その人を信じきって「幸せにしてください」などと思っていると、とんでもない展開になると思います。信じるほうも信じられるほうも、お互いに責任というものがあることを忘れないように・・・(笑)とにかく、至らない点を認めながらも自分を信じることのできる生き方(勘違いや無知蒙昧の思い込みでは勿論、いけない)をし、またそういう人を信頼していこうと思います。そういうのが、人を信じるっていうことだと思います・・・

よく言われる、「まず、自分を信じたり愛したりできなかったら、人を本当に信じたり愛したりできない」ということですね。「信じ込む」ということと「信じる」という違いには微妙なようで決定的な大きさがあります。

今回のこのニュース、このワシントン・ポストの名編集者云々もまた素晴らしい業績ですが、それよりなにより、やめるときになってこういうコメントがクローズアップされるのだなぁ、とも思ったりしました。
ニュースというものは、どういうものであれ、「感動ドラマ」としてみてはいけないとも思いました。
ドラマはドラマとして、違う頭のスペースをとっておくことにしましょう。

こういう本を普段はあまり手に取らない方もいらっしゃるかもしれませんが、1冊か2冊は読んでおいても決して損はありません。新聞のそれこそ小さな記事に凄いことを発見したりする楽しみが味わえるようになるきっかけになるかもしれませんよ。

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2008年6月24日 のんびりと断食体験について

本日のパリは相変わらず、晴れているのですが雲の多いひんやりとした陽気。
かなり、快適です。

実は、日曜日の午後から私はのんびりムードで断食をしています。
今は断食が流行っているとのことで、久しぶりに個人的な問い合わせを受けたので、タイミングがいいのでちょっと書いてみます。

ちなみに、一日以上の断食は危険ですので、勝手になさらないようにお願いします。
必ず、お医者さんやプロの方の指導を受けて行うように。

私の場合は数年の断食暦があり、きちんとした指導をうけたこともありますし、自分の体や断食の反応ならびに「危機」が起きたときの対処法などが経験上わかっているので、自分の体調とやる気、そしてスケジュールが見合えば、たまに実行することにしています。今回は5ヶ月ぶりの断食です。

私の場合、痩せるということよりむしろ体調とか精神状態の維持、いってみればメンテを目的としたもので、特に断食による「自分に対する信頼」すなわち、自信をもつことに最大の意味があるのです。
個人差があるようですが、水を適宜摂取して、安静にすごせば、30日間は体に蓄えた脂肪やたんぱく質で生き延びるといわれています。食べないと体は最初、体にある糖でエネルギーをまかなうそうですが、1日か2日で消費してしまい、その頃にだるさや頭痛といった症状がでてくることが多いようです。その後は脂肪を分解して酸や糖に変換していくそうです。人によっては骨などの栄養を取るまで断食をしてしまう人が人がいるそうですが、それはよくないことです。

ですから、健康で丈夫な方は2日(6食)ならば、専門家による指導のもとが原則でトライできるというかんじでしょうか。

私の場合、はちみつを利用した断食で15日間というのを去年、経験しました。(興味のある方は、以前、「食」のテーマでそのときのことをちらりと書いていますのでご参照ください)水断食というのが基本のようですが、はちみつ断食は数倍、楽にできてしまいます。

そこまでの時間はめったに取れないので、体調と都合のかねあいがつけば、3.5日断食(11〜12食)というのをたまに行います。これが毎回、違うので観察してみると面白い。

断食初心者の頃は、断食をするということ自体が非常に怖かったです。

次の段階として、食事の時間がくると、矢も立てもたまらなくなる。これを超える間に思い知るのが、普段は「時計」で食べているのだろうなということです。本当に体が食べたいかどうかというより、頭、気持ちで食べなくてはと、思っているらしいことです。

実際、一日食べないと決めると、耐えられない空腹感でないのですが、時計をみたりすると我慢できなくなる。通常の生活に戻っても、ここで得た体験から、朝から胃が開いてもいないのに、たくさん食べることがなくなりました。空腹でしたら、果物を朝からモリモリたべて、クロワッサンの誘惑を退け、排泄に胃腸を使うことができるようになりました。便通を確認して、10時くらいに必要であれば間食したりするようになりました。

「頭」や単なる「習慣」で食べないという学習効果は大きいです。
さて、私の場合は2日目くらいから、そのうちに、自分が分裂してくるんですよ(笑)。

「食べないと体に悪い」といろんな今まで単なる「知識として」本などから経験した理屈がヤンヤヤンヤといってくる。そういう意味でも、きちんと期間をきめて、然るべき専門家の指導を受けることが大切なんですね、かなり不安になる人もいるみたいですから。

一方、「いや、これが正念場、まだまだ断行します」という自分がいる。この頃、食べ物のにおいとか、美味しそうなものをみると非常に葛藤するようになります。なんとか、自分の欲望を正当化しようと必死になっているかんじですかね。

この2日目、もしくは3日目、1日目の人もいるようですが、体のだるさや頭痛、動悸などが起こることが多いようです。そして、夜眠るのですが、体の節々がだるくて痛む。結構、これがつらいかも。

ご想像の通り、ここら辺から体の中が動いてきているわけです・・・・変化しているんですよ。
それまでは頭や舌、胃程度のレベルで断食を捉えていたものが、今度は他の内臓はおろか細胞レベルで変化してきているかんじ・・・・つらいのですが、自分の体のダイナミックな力をとっても強く感じるのです。体は、本当に「大自然」のパワーを持っているんですよ!

この期間は、流石の私も、スポーツや外出は避けます。というか、とてもじゃないけどできない状態。ちなみに、通常は断食中は運動や入浴、洗髪を控える場合が多いようですが、私はこの期間を過ごせば気温43度で90分ヨガをしたりしちゃいます。(ただ、人に話したら、これって荒行にいどむ修行僧のノリなんだそうです・・・普通じゃないみたい)シャワーも朝晩浴びて髪も毎日洗ってます。勿論、無理してやらないようにしています。ただ、睡眠だけは12時間くらいとるかな・・・・目覚めてもベッドで必ずこの時間は横になっています。

自分は何もしていないようでも、体は凄い勢いで働いているのです。
私の場合、この「峠」から体温が上がり始めます。体がとっても熱くなるのですが、熱があるというほどではなくなります。人によって違うと思いますが、この頃から食べ物に対する執着がなくなってきます。自分の体の声をきいて、どう無理なく一日を生活するかという工夫が大切になってきます。お水はのどが渇かなくても30分に一度はグラスに1、2杯飲むかな、起きている間。

ご想像の通り、体臭、口臭、そしておしっこの状態が変化します。便通はとまってきます。
普段、臭いがない人でもそれなりに出るときがあります。
こういうひそかに自分の健康状態をチェックするという習慣づけができるようになるのも、断食の効果。

一方、よく言われることですが、断食をすると時間が余るくらいあるということです。
一日程度なら食べずに仕事できますが、2日以上は私は無理です。
そして、食事の準備や食事自体にかかる時間がかからないので、一日、下手するとべた〜っと時間があることになります。

体力的なこともありますが、ものごとに対する感覚がとても鋭敏になってきますので、あまり街中に出たりすると、すぐに人疲れしたりしちゃいます。

意識しないところでも鋭敏になってしまっていて、なれないと虚弱な状態ですから、できるかぎり、この期間は没交渉で過ごすといいらしいです・・・喧嘩などは絶対、避けたほうがいい。ですから、家族と一緒にお住まいの方は、断食施設や自然の多い環境で蟄居できるような状況を選ぶといいとおもいます。人によっては、食べないというだけで、イライラが激しくなる方もいるようですしね。

個人で勝手にしてはいけない、本断食といわれるものは、いろんな説がありますが、大体3日以上の断食に対して言われるそうです。

まさしく、この3日あたりになると、「まだ大丈夫」というくらい断食が軽いかんじになってきます。ただ、私の場合はプログラムに従って実行するので、感覚で決めずに、きちんと終わらせるようにしてます。

断食明けの食事は、通常はお澄ましからお粥を濃いものに変えていくとか、フランスやイギリスの場合は野菜のブイヨン(具がないもの)から具のあるものへと変えるという復食のスタイルをとっているところが多いようです。

私は、梅湯流しという方法で、有機梅と天然塩のペーストを2、3リットルのお湯で味がよい程度の濃さで溶いたものと、生野菜をてんこもり食べて、断食中、おそらくはギタギタになっている体の中を流します。これが、至福の瞬間です。あとは、生の野菜や果物を油やドレッシングをつかわずに3日ほどその都度、好きなだけ食べてすごします。ピーナッツも結構食べるかも。ぐっすり、天使になったかのように眠れますよ。

また、私の場合には体重の変化はそれほどでもないかもしれないけれど、体や顔が上に上がったかんじがして、とっても気持ちいいです。また、歯と白目が綺麗になります。そのせいか、断食明けは非常にモテルようになります。面白いですよ。(笑)精神的にも、変なものとか人とか段々、識別できるようになってきます。味覚も勿論、変わりますね。

こんなかんじでしょうか?

読書は体のパニック状態が落ち着かないと、集中もできないし目もしょぼつくのでできないです。
落ち着いてから、普段読まないような本を読んだりします。それまでは、明るくていいムードのDVDなどをみたり、それこそぼ〜っとしたり、書き物をしたりしてすごします。落ち着いたら散歩にもでます。
どれくらいの頻度で行うかはあまり決めていませんが、毎月行ったときはかなりきつかったです。(笑)

興味がある方はウイキペディアで「断食」検索すると、総合的な情報が得られます。
ただ、これらを読んで、実践するのは危険ですよ、一般的な知識であって実践するための情報ではないですから。

現在では、意識の高い方たちが世界中で、地球レベルで環境を考えるという視点から断食や小食を推進しているようです。私はまだ食べることが好きなので、その域にはいきませんが、それでも私なりに食べることから、世の中のひずみや自分の身勝手さを知るようになってきましたよ。

私は強烈な頭痛をやりすごしたみたいなので、DVD鑑賞ということにしましょう。
パリは明日から夏のバーゲンですが、今回はちょっと落ち着いて、まず体を綺麗にしてから、本当に必要なものだけを観にいこうと思っています。こういうのも、断食の効果かもしれませんね。




これは、もうご存知の方も多いベストセラーです。
食べることのありがたさだけではなく、食欲というものの「業」、本当、人間と食というものを真正面から考えさせられる本です。読んでない(見たことないかな?)方、お勧めですよ、文庫で出ていました。

もの食う人びと (角川文庫)もの食う人びと (角川文庫)
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辺見 庸

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2008年6月23日 聖母の衣

今日のパリは明るいけど雲が多く、快適な気温です。

ここのところ、ルーヴルにちょくちょく通っています。
この絵はボッティチェッリの聖母と赤ちゃん(?)ですが、ダヴィンチのヨハネともども、必ず立ち寄るスポットです。
ボッティチェッリの絵って、見るとヴィヴァルディの四季の「春」が頭に流れてきます。
心に華が咲くような気分にさせてくれる絵です。


絵に詳しい方からきいたのですが、実はこの絵、向かって右側の母子はボッティチェッリ自身の筆によるもので、同じく左側の男の子はお弟子さんが描いたものだそうです。絵というのも、技術的な上手い下手というのではなく、やはり何か「測れない」ものが決定的な価値というか魅力を与えるものなのですね。

この親子からはまとっている衣装のせいか、透明でいてちょっとピンクと緑がかったふんわりとしたオーラをかんじます。魅力的なモチーフもともかく、この明るさと、透明感とふんわり感がボッティチェッリの好きなところかもしれません。構図とか詳しいことはわかりませんが、母子の部分だけで絵を完成させたほうがよかったのにぃ・・・と、素人は思います。

聖母関連の絵で美しいものは数あれど・・・・もうひとつのお気に入りはこちら。
中世のものだそうです。


とくに、このブルーとゴールドがとても美しくて、ボッティチェッリとはまた違った神々しさをかんじてしまいます・・・・。

個人的にはこのブルー、ラピス・ラズリの色なのですが、これが気になって仕方がないので、今回はこの絵のまわりをうろちょろしていました。(笑)
ラピス・ラズリというのは、古代から不思議な力があるといわれる石ですが、ツタンカーメンにも使われていたのもこの石とゴールドですし、日本でも「瑠璃」とよばれ、確か空海が好んでいたといわれます。勿論、パワーストーンとしても人気の高い石です(笑)。人生でのレッスンをひとつひとつ優しく教えてくれるような、そんなヘルプをしてくれます。

そもそも、タロットカードなどに顕著なのですが、このラピスの青というのは、聖母の衣の色とされているようなのです。母であることはげに美しいことなのですね。(実際は、ご飯粒を髪につけて走り回るような日々らしいですが・・・・)

以前、私はアンティーク屋さんで、こともあろうかこの石を数珠につなげたロザリオ(キリスト教の教会でお祈りのときに使う、それこそお数珠のようなもの)をみつけ、人目で恋に落ちてしまい、買い求めました。今から思うと、誰がこのロザリオの玉をひとつづくくって祈りの言葉をささげたか、念をこめたかわからない代物・・・・石というのはいろんな霊とか想念とかが入りやすいそうです。

今思うとかなり怖いものですが(笑)、当時はそんなことより、綺麗だということのほうが大切でしたから、大切にしておりました。ある日のこと、ある友人がチベットからなにやらペンダントを買ってきてくれて、それにはおまじないのような文字がぎっしり書いてありました・・・ありがたかったのですが、あまりいいかんじがしなかったので怖くなってしまって・・・(とほほ)。そのとき、何故かそのロザリオと一緒に、静かに眠らせようという考えが浮かび、旅行で綺麗な水辺を訪れた際に、本当はあまりそういうことをしてはいけないのですが、きちんとお塩で清めて白いものに包んで沈めてきたことがあります・・・・

このラピスの青とオレンジという色が私にとってのなんというか、一番インパクトのある色みたいです。
最近はピンクや白が多くなってきましたが、それでももっと深いところから求める色っていうかんじですねぇ・・・ なんだか、本能的にしっくりくる、そういう色ってみながあると思うんですけど。
この色のシャツにゴールドを合わせてでかけました・・・ツタンカーメンスタイル?(爆)

今日は、リンク先として優れものの本屋さんを追加しました。
私はスピリチュアル好きの一般人ですが、自分が「本物だぁ」とおもった場合のみ関わるようにしています。スピリチュアルというくくりだと偏りが出ますが、自然派、というか、人間としての基本的な部分を押さえた、それでいて遊び心溢れる本屋さんみたいです。ご興味のある方はの覗いてみてください。5000円以上購入すると送料がサービスされるとのことです。
ちなみに、私はそちらで、なかなか手に入らない資料を譲っていただきました。

なんでもそうですけど、自分が「いいなぁ」とおもうことや人を見つけだすっていうのは楽しいですね。

それにしても、最近はなんだか自宅での自然分娩というものを体験したいという気持ちが湧いて来ています(笑)。とはいえ、簡単にやってみよう!というわけにもいかない事柄ですが・・・・
「ガイア交響曲」という番組を録音したものをある方から貸していただいて、その中でみた自然分娩というものが、と〜ってもナイスだったんで、それ以来、気持ちが強くなってきた。(笑)

それで、聖母関連の絵に強く引かれるのであろうか?
でも、あんだけお腹が膨れたら、プロポーションはもとに戻るのかが心配・・・(笑)。
やっぱり、食べ物で弾力性、若さを保つのが肝腎かもしれません。
いや、ウエストだなんだというより、そんなことより母になる喜びのほうが大きいんでしょう。

今日のご紹介、30年以上前の本なのに、今どきの本。
ヒッピーというとなにやらドラッグとかちょっと変なスピリチュアルに走ったという印象がありますが、この本はそんなんじゃない。読後感のとてもいい本。わたしも一部、実践してたりするところがあります。
地球環境に配慮した生き方は、社会のためでもなんでもなく、本当は自分のためなんだと思い知る一冊です。リンク先の本屋さんでも取り扱っているみたいですよ。

地球の上に生きる地球の上に生きる
(1972/01)
アリシア・ベイ=ローレル深町 真理子

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鎌倉に行くと、つい好きなアナゴ屋さんや、美味しいラーメン屋さんに行くのですが、次回は精進料理を味わってみようかと思います。きちんとした材料が手に入るのでしたら、自宅で試したいところです。
建長寺と鎌倉の精進料理―七百五十年受け継がれた建長けんちん汁の精神を家庭で活かす建長寺と鎌倉の精進料理―七百五十年受け継がれた建長けんちん汁の精神を家庭で活かす
(2005/09)
大本山建長寺

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2008年6月22日 スピリチュアルの罠・・・その二

昨日からパリは雲が多いながらも晴れて、暑い陽気となっています。

下の絵はなんとなく姿がわかる程度の写真になってますが、ルーヴル美術館にあるダヴィンチのヨハネです。本当に美しい・・・ファンも多い絵だそうですが、私も好きです。
画集などでみてみたほうがいいでしょうけど、元来、色の暗い絵ですが。




このヨハネはあまりにも魅力的、魅惑的でさえあります。
あまりにも素敵すぎて、こういうところに魔性がでてくるのかな?ともおもいます。
見る側に魔をおこさせるような、それほど美しい・・・・。
こういうの、「際物・きわもの」っていんでしょうね。(笑)

最近は、イライラしたりなんか嫌な気分だと思ったとき、時間が許せば美術館に行くようにしてます。
こういう波動の高いというか、綺麗なものをみると気持ちが憂鬱になったり、イライラしたりということが消えていたりしますから、不思議。音楽というのももっと、手っ取り早い手ですよね。

今回は、「スピリチュアルの罠・・・その二」ということで、また「ど〜でもいいようなこと」にひっかかってみましたので、お時間があるかたはご一読ください。

先日、たまに覗くスピリチュアル系の某人気ブログで、そのブログを書いている方が、開運セミナーをするにあたって、気を高めてオーラを大きくするために、肉を思いっきり食べてカラオケをする云々ということを書いていました。びっくりしました。(笑)

なにやら、アトランティス文明からの生まれ変わりだということだそうで、今流行りの次元上昇(アセンション)に向けていろんな情報を発信されているという・・・とか。かなり人気のあるブログです。

その方の理論によると、神様に感謝していただいて、元気になれば肉を食べてもかまわないのだそうで、スポーツ選手も大切な試合の前には肉を食べて備えるとのことです。

ちなみに、世界のトップアスリートやそのトレーナーなどと接する機会がありましたが、持久力や集中力を大切に考える選手は菜食、それも木の実を食べる人が多かったように思いました・・・。体重を増やすことや「闘争心」が表に出る競技の人はお肉をたくさん食されると思いますけどね。

結局は、類は友を呼ぶ。
彼のブログや数万円払ってセミナーで元気をもらって、開運グッズを購入するということで集まる多くの方は、その方と波長が合う方なんでしょうね。ある人によれば、セミナーでエネルギー吸い取りにきている人が多いから、この方なりに「スタミナ」つけてるんではないの?というひともいます。そうかもね・・・・(怖っ)。

はたからみると、テレビやネットでこの野菜がいい、このサプリがいいとかかれてあればそれに飛びつくという風潮・・。まだ、「納豆ダイエット」で懲りてない人が多い。確かに、納豆は美味しいですが、やせるために食べたりはしません、本来。納豆ではそう簡単には太らないとは思いますけどね(笑)。

自分の都合よく、ものを解釈して信じ込んで、本当のことを知ろうとしない・・・。
人間、だっれも完璧ではありませんが、人気ブログなんでそれなりに影響力はあるでしょう。
善意で遊びに来る方の多いようなブログですから、配慮が足りないように思いました。

そこで、どういうおつもりで自分のセミナーに向けた「景気づけ」的行動を、「気を高めるとかオーラを大きくする」行動としてお話しされるのか、やんわりときいてみました。

すると、綺麗なことばかりで生きていければいいが、セミナーなどで鑑定すると悪いものもくるので、そういうものに負けないようにするには、スピリチュアル系ではよく慎むほうがよいといわれる肉食で力をつけるというのが必要になってくる。それに、気と波動は違うんですよ、とのご指摘、コメントを頂きました。
ありがとうございました。

この方の「気を高める」というのは、ご自分の「怖気や不安」というものを、肉食とカラオケで吹っ飛ばし、おそらくは興奮状態により血液循環を促進することのようです。私は霊能力があるわけではありませんが、そいういう方達と接していて思うのは、私が信頼している方々はそういう形でお仕事なさっていないようです。

まして、獣と戦うのに肉を食するという方法をとられたからといっても、それをブログで推奨したりしないということです。ご自分を獣のレベルに落として対面するということですからね、それがこの方の対処方法なのでしょう。もしかすると、力以上のことに遭遇する環境を自分で作っているから、それほどまでに怖いのかもしれませんね。ご自分でおびきよせている部分が多いのかもしれません。一対一のカウンセリングでも、大変だというのに、どれだけ無意味なリスクを負っているか、大きなセミナーを開催することで嬉しさのあまりわかっていないのかも・・・まるで、「陰陽師の世界」的、話題なので、スピリチュアル系ノーサンキューの方、読み飛ばしてください。(笑)

私が言いたいのは、肉食について考えることは、なにもスピリチュアルに限ったことではありませんということです。(笑)例えば、日本や韓国でこれだけ、安全性について騒ぎがおきているし、今話題の環境問題についてからだって、地球とか宇宙とか人類とかのことを考えれば、元気をつけるために「食べる」「食べない」と考える前に、もうちょっと違う角度で物事が考えられるというもの。栄養学的にいっても、個人差がありますから、あまり乱暴な言い方をしてはいけない・・・。読む人達が不特定多数なのだから、真似する人もでてくるでしょう・・・それでも「みんなで楽しく元気で遊びたい」というだけなのかもしれません。だったら、そういうテーマでお話されればいいのに、アトランティスだ次元だ浄化だ波動だ神様だなどとお話するので、私は「?」とつっこみたくなったのです(笑)。でも、ちょっと、私とは違うジャンルのようなので、失礼します。(笑)

私も、「良いお肉と自分が思う」ものであれば喜んでいただきますが、そういうお肉に最近はお目にかからないので食べていません。どのような肉を食べているか考えもせず、感謝して食べて幸せな気分になるからそれでいいというのは、あまりにも乱暴な言い方。自分が楽しい気分になると波動がよくなるから、じゃなくって、「気を高める」ためには、他のことはともかく、それが人生で肝腎と、自分の子供に教えることができますか?だとしたら、問題です。

気にしすぎるのはよくないですが、現在、普通に入手できるお肉がどういう生まれ方と育てられ方と処理のされ方をしてでてきているものか知ったら、そんなことは簡単にはいえないと思うんです。それに、自分達の想像するような(30年前とおなじような)お肉やお魚と、果たして同じようで同じじゃないものを食べていることもありますよ。

ちなみに、私は菜食基本ですが、卵もチーズもお魚も、そして特定の場所ではお肉も喜んでいただきます。自分が何をしているのかをわかっているならば、それは自己責任ですから。
人間だから全てを知ることはできませんが、無知でいると自己責任もとれない。

自分の都合のいいようにものごとを捉えて、人にそれを吹聴してはいけないと思うんです。
ちなみ、このブログの方は、日ごろから肉がお好きなようでそれを食べないでいることが難しい方のようです。そのバランスをとるためか、開運・デトックスとしてたまに24時間断食をすすめていました。
24時間断食したからといって、開運するとは思いませんし、スピリチュアルな意味で断食を行うのであれ、自ずと自分の開運というよりも食べるものと食べられるものについてもっと深く考えるようになります。断食は自分の食欲との戦いで終わってしまったら、単なるダイエット断食です、浄化じゃない。結局は、お財布を黄色にすればお金もちになれるとか、納豆を食べれば痩せるとかと同じ次元みたい。ちなみに、糖尿、心臓病、高血圧、胃潰瘍とかの方は、24時間であってもお医者さんに相談してくださいね、断食するときは必ず、危ないです。

いちいち、あまたあるブログにひっかかっていても仕方ないけど(笑)。
改めて、肉食とかスピリチュアルブームについて自分なりに書いてみたかったんでしょう、ただ。
おかげさまで、よいきっかけを頂きました。

「食」というのは下手すると「性」よりももっとパーソナルで、どれだけいろんな食事を試しても、その人や過程なりの「さじ加減」というものが重要になってきます。ベジタリアンでいつも貧血みたいな顔をしている人もいれば、炭水化物制限ダイエット(低インシュリン・ダイエット)をしていたのに、メタボで心臓病という人も知っています。これがいいと人に押し付けることも自分に強いることも個人的にはどうかと思います。すなわち、ドグマにしがみつくのではなく、自分で加減していくことは大切だという前提で、食べるものについて、きちんと考えたほうがいい・・・・規律と加減、それにはやっぱりいろいろと偏らずに勉強したり、試したりして、各自がスタイルを作っていくもんだと思います。

知っていて食べるのと知らないで食べるのは違う。
肉というのは、目下、その最たるものでしょう。
もし、幸せだ、波動だというなら、ご自分が食している肉がどのような波動だか、その方はわかっていないのでしょう・・・「波動云々で」なくても、何を食べているか知ったらば、その都度自分なりに納得しないと私には食べることができなくなりました。そういうわけで、殆ど食べなくなった。

開運もいいけれど、自分の生活の基本を現実的に検証することができない人に霊的向上だ、高度文明の生まれ変わりだとか話されるのは「?」です。菜食主義が高尚だといっているのでは決してありません

スピリチュアル系、形のない世界だけに解釈はいろいろです。
まずは生まれた地球の上で人間として食べること、考えること、感じること、いかにして生きるかなんではないでしょうか?大切なのは。そのために、神様もご先祖さまも、天使もいるのではないですか?原則そうだとはいっても、「スピリチュアルごっこ」にはまると、自分がしていることがみえなくなっちゃうみたいですね。ご用心、ご用心。
本当のその道のプロの方はもっと真剣で謙虚なかんじがしますし、アマチュアならそれでそれなりに楽しみ方があると思うんですけど・・・。

ちなみに、これは非難中傷を目的とするものでは(相手を特定してもいませんし)ありません。
そういうことすると自分の波動が落ちるのでしません。(笑)

お肉もスピリチュアルも自己責任で楽しむということですね、やっぱり。

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こちらはフランスでは話題にあまりなりませんでしたが、日本では村上龍さんなどが賛辞を送られていたようです。ドラマ仕立てですが、食だけでない、現実を描いています。
やっぱり、食の乱れがモラルの乱れだと思います。

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2008年6月20日 スピリチュアルの罠・・・その一

パリは肌寒い、そして湿度が高めなのでどうかするとだる〜くなりがちなちょっと面倒な陽気。
午後に陽が差すと、気温の上昇が息苦しいかんじにもなる。夏の本格到来の前は毎年、こういう血圧が上がって、むくむとか、頭痛がするとか、そういうことを言う人が増えます。
「邪気」が体の中にこもりやすい気候のようです。




[邪気」とかいえば漢方ばかりにあらず。
ここ数年、スピリチュアルブームということで、以前にまして霊とかチャクラ活性とかチャネリングとかそういったことに興味を示す人が増えてきています。
私も子供の頃、今でもですけど、そういう世界や占い、今流行りの「引き寄せの法則」みたいなマーフィーの法則などの潜在意識云々、果ては悪魔学や錬金術までいろんな本などを、「科学的に証明しきれない」とか「三次元的でない」事柄について、夢中になって読んだりしていました。
よく言われる「スピリチュアル陶酔」っていう、一種の症候群です。(笑)
今も、若い人が陰陽師ものにはまってますでしょ、あれもそうですね。

現在は、風水やパワースポットめぐり、ヒーラー志願などなど、スピリチュアル人口が日々増えていて、なかなか面白いかんじです。本やらグッズやら・・・自分の欲ばかりが先にでると、際限なくお金をあちこちとたくさん遣う羽目になるようですので、気をつけて(笑)。

そこで、改めて気がついたのですが、ネットで検索すると、パワーストーンやお守り関係の商用サイトがひしめきあっています・・・・。びっくり。

中には、現物こそ手にとってはいませんが、それこそ石やスピリチュアル系の達人らしき売り手もいます。一方、知識も理解もあまりないのにファンシー小物程度の扱いで「開運」販売しいる業者もいるようです。良心的な人、精神的なレベルがおそらくはかなり高い人もいれば、知識はあっても商売が出すぎていて臭うようなところもあれば、酷いところは買い手の運を下げかねないようなものを平気で売ったりしているのもいるようなのです。

結局、「石を買ってもってるだけで恋愛よし、金運よし、精神的な成長も叶うんだぁ!」と思う安直な思考の人がたくさんいるから、そういうことになっているわけなのでしょう。それじゃ、なんのために生きているのか判らないではありませんか!?

文字通り、玉石混合という奴です。

世の中をぐるりと見回しても、変な商品が増えているのでそう驚いたことではありません。結局、変な食品が出回るのも、貰ってもいらないような品物が売れるのも、すなわちゴミみたいなもの、下手すると毒みたいなものが流通している世の中になってきているんですね・・・・良質なものとか本物のものっていうのは、隠れたところにひっそりとあったりすることを発見するのも、ここ数年、2、3回ではありません。

そんなことを書いていてふと、思い出したのが、後生大事にローズクウォーツのイヤリングをつけていた謎の日本女性の話。

数年前、ある美術館の通訳翻訳者を募集ということで面白そうだと思って応募したことがあります。実はその下請けをやっているという日本人の女性の仕事をするということだったのです。そのときは、ある契約に関わる覚書というのを十数ページほど数時間で速攻で訳してくださいというものでした。スキルチェックと面接・打ち合わせということでお目にかかったその方は、案外、私よりも若いような方で、パリに長い女性にありがちなのですが、伸びきったような髪で、カジュアルというより生活疲れしたかんじがしました。それでも、頭がとてもよい方でお話もはずみ、とても気に入ってくれて、そういうお仕事を頂くことになったのですが・・・・。

彼女は、「自分はフランス人」だと思っているとのことで、本名からフランスの名前に「通称」ということで変えているんだそうです。ですから、日系人とかハーフのような名前です。
よく東洋人などがアメリカ風に名前をつけているのをみますが、個人的には勿体無いようなきがしてます。実際、アメリカでは便利で歓迎され、短い呼び名のほうが好印象。
でも、気がつかないというか気にしない方はそれでいいんです、余計なお世話以外のなにものでもないかもしれませんね・・・。

自分の名前を大切にしたりされたりするっていうのは、基本。「千と千尋の神隠し」って、やっぱり深い。(笑)

フランスでは、自力で頑張って生き抜いてきたということで、通訳・翻訳を安いレートで誰も受けないような条件で受け、生活するためにバシガシやってきたという、叩きあげの人でした。こちらにも裁判や警察取調べのための通訳というのがありますが、そういう仕事を何年もやって、信用をつけて滞在許可を得たということでした。パリの郊外にアパルトマンを購入し、「もう、大変でしたよ〜」というのが口癖で、ちょっとえばったかんじの人。ただ、フランス人の中にいくと、実はかなり従順なかんじという気がします。

ちなみに、私は日本で一度ある「詐欺・横領」とか物騒な話題で、たまたま短期間で雇われていた企業の依頼で行きがかり上、都内の某警察署で通訳をしたことがありました。めったにない機会だわと、野次馬根性もあり面白がっていたのですが、数時間の証人喚問は決して楽しい仕事ではありませんでした。だって、結局は人の欲とか恨みとか、感情的な関係とか、重い「場」ができちゃうところですからね、いろんな人の気で疲れてしまうタイプの私向きの仕事ではありません。(ひぇ〜)
おまけに、フランスで公的なそういう通訳ということですと、レートはかなり低いでしょうし、ね、彼女はやはりご苦労があったのでしょう。

さて、その美術館関係の契約覚書、約束どおり、時間内に納品しました。
翌日、私の訳と彼女のほうでかかっていた書類をまとめて、チェックして無事にクライアントに渡したとの連絡があり、ほっと一息ということで映画でもみましょうか?ということになったのです。

彼女は苦労されただけあって、実力というかすごい生活力があるのですが、品がない。フランス人の婚約者とわかれたばかりといいますが、その男性も聞いていると、品がない。「品がない」というのは、お金持ちとか職種がどうとかそういうことではないんですよね、言い方をかえれば不健康なかんじがする、不潔っぽいということです。例えば、ある女優さんは超きわどいシーンを撮っても下品にならないけれど、ある女優さんはきわどいシーンを撮ると、裸以外見所のない作品になっちゃう。良い悪いというのと離れても、やっぱり存在自体に品がない。性格の善し悪しとも違う。

彼女はフランス王家の末裔だかなんだかいう男性と付き合っていたことがあると話していましたが、その男性と付き合っている頃、変なグループにつけられていて、ある夜家に帰ると、ドアのところにのろいの儀式をした跡が残っていたりしたそうです・・・。本人、そういう体験を得々として語っている・・、自分はそういう心霊の世界が云々・・・と。確かに、スペシャルです。(笑)

別れ際、彼女は私とはスピリチュアルなことについて語りたいから、またちょくちょく会いましょうといい、お仕事もこれからは優先して回すからということでした。その当時、私はすでにあるフランスの企業との契約を頂いたばかりのときでしたので、「生活云々というより、美術関連とか、技術関連とか、面白いものがあったらでかまわないのでお仕事を請けます」と答えました。生計のためやお金というなら、彼女からくるお仕事ではあまり意味がないからです。(勿論、それは言いませんが)

その瞬間、彼女の顔がぴくりとひきつりました。「生活に困らないというなら、いくらでもしたいという人はいるのよね」と、ぼそりと話すと、「私もこんな格好しているけど、今度あったらびっくりしないで、仕事の格好してくるから」というと地下鉄の口に消えていきました。

それから、1月たっても翻訳料金は支払われず、ぼちぼちと3回催促しても支払われませんでした。
彼女はこちらの団体に登録したりして仕事をすることができないらしく、以前は法廷の通訳をしたときに話がこじれて、脅かしなども受けていたということから身元をあきらかにできないともいっていましたので、携帯とメール以外、判りません。

2万円にも満たない金額で受けたので、私のほうは気分を害したという以外、おかげさまでさほど実害はありませんでしたが、謎な人でしたね。その金額で変な縁を未然に断ち切れたということです。

彼女は、いかにフランスで生きていくことが厳しいかということを私に語っていましたが、あのぶんではどこにいっても人生は厳しいでしょうというかんじがしました。彼女のしていることはまっすぐな苦労というのではありません。殆どの人がそうなりがちなように、自分のパターンで渦にまかれて生きているのです。ぐるぐる巻きに、なってるみたい。

彼女曰く、「私は、魔術でも白い魔術、本当は光の使い。あのね、私は多少詳しいんだけど、ローズクウォーツっていうのはハートのチャクラを開く、愛の石。だから、私は新しい愛に出会うの」と、すすけたような(アンティークっていうのともまた異なる)イヤリングを振ってみせていました。

確かに、愛の石なんですけど、ちゃんと浄化して使ってくださいね・・・石がよどんでました。
なんか、なにもかも不潔っぽいというか、胡散臭い・・・それでも弁がたつというか、人を論破するような話し方をします・・・。話をきいているといいんですが、なんだか嫌なかんじがした人。

そういう人の被害を受けたという私も、その当時、変な波動によせられていたのかもしれませんね。
人を見る目が多少出ていても、きちんと判断して対処する訓練がまだできていなかったようです。
日々精進。(笑)

そういえば、あのイエスだって、自分の中の(あれは外にあるものが勝手にでてきた訳ではない)獣性、悪魔と戦われましたものね。あれほどの超人(人のようでひとにあらず、現人神ですものね)だからこそ、日々精進・・・。宗教云々を離れて、物語として聖書を読むと、彼の美しさがわかってくるような気がします。




世の中はどんどん、欲望だとか無知だとか怠慢だとか、下のほうに下のほうにと人を誘惑してきます。「違い」がわからないでどんどんレベルが下になっていく=波動が低くなっていく世の中。そんな中でも(波動やレベルが)下がらない人達やものごとってあるみたいですね、まずはそういう人やものごとをみつけていくことからはじめてます。そういう人やものって、神様と同じで隠れていることが多いようです。実際、隠れているのではなく、普通の人間の低い波動の次元にはあらわれないんでしょうね・・・。健康で明るく、そして何より無知を嫌って生きていればいいらしいです。

「あなたの「欲望」をみたしてあげます」というのは、紛れもない、悪魔の誘いですよ〜。
これと「願いをかなえる」というのの差別がつかないうちは、下手に判らないものに手を出さないことです。霊能力よりも人格のほうが大切ですからね。人としての「品格」、ものの「品格」。霊には「霊格」。

言い換えれば、「何がなんでも」というより、「本当にかなえたい」という違い、似て非なるものですが、上手くいえないけど、こういう言葉にならない差が念の波動を変えるのだという気がします。
それが、お金やビジュアルでは測れない「品」なんでしょうね。この「品」というのが「お品がよろしい」というかんじで全然、見えない人もいらっしゃる・・・・例えば、野生動物ってある意味品があるとおもいます。これで「?」って言う人は次元が違うので、気にしないでくださいまし。

自分の用心もかねて、お好きな方、決してスピリチュアル陶酔、欲、感覚的なことのみに溺れないこと・・・を心がけましょう。

そういえば、この映画はもう10年以上前のものですが、色あせていません。
北米や日本では入手がまだまだ簡単にできますが、ヨーロッパでは段々、希少になってきています。
取り上げられている題材は古い時事テーマのようですが、原則は今も同じ。
これを見ると見ないでは、ひとつのニュースをみても大分情報量に差がでるとおもいます。
メディア・リテラシーを高めるっていう奴ですね。
時事に関心があるなら(なくてもですが)、是非ともご覧ください。
それにしても「チョムスキー若い!」この写真。(笑)
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2008年6月18日 「鳩のように無邪気に、蛇のように注意深く」




今日のパリはスッキリと気持ちがいい天気。
上の写真はポンピドゥー・センターに展示してあるもので、あるアメリカ人の建築家によるNYのワールド・トレード・センターをコンピュータを使ってアルゴリズム的にいじってみたというオブジェ。やもりの黒焼きでも蝙蝠の干物でもありませんよ。(笑)

どんな世界に生きるかは、(安全や衛生が原則保証された環境にある場合、)ものの見方を変えることで180度変わるということを納得する一例です。こんな風にも、みえるわけですね。

最近、絵をみることが多い生活になっていて、画家の人の「眼」というのをその都度、念頭に置いて鑑賞する癖をつけるようにしています。解釈するなどという立場から絵や彫刻をみてもピンとこないし、疲れるからです。微妙なニュアンスの違いといいえばそうなんですが。
「差」、「違い」が判るということが一種の「悟り」なのだよということをある方におそわりました。
例えば、芸術を鑑賞するということがそういう訓練になるらしいです。
すなわち、それは「分別」をみにつけるということ。
これは、常識とか社会の規範とは違う次元の「分別」です。

で、すべてがものの見方というならば、今日はちょっと「嫌なかんじ」がすることがありました。

近所にある一軒の八百屋さんに、25才くらいかな、目がキラキラしていて、逞しくて、愛らしい顔をした男の子がいます。おそらくは、その八百屋さんを仕切っている女性の弟さんなのではないかとおもいます。他の雇われ人足(?)風の人とは違ってレジを任せられることから家族経営陣の一人らしいのですが、とっても元気。最初、彼は私に「マドマゼル」と呼びかけていたのですが、周りにこの方はマダムと呼びなさいと訂正されていました。これが今回の話の伏線です。

商品の並べ方や、話し方、服装などからいって、とてもきちんとしたモラルがあると同時に、商売を家族で苦労してやってきたというかんじがにじみ出ているような、独特の緊張感があるグループです。家族の絆が強い感じ。野菜や果物の質がとてもよく、値段も安いので気に入っていました。

そんなある日のこと、例によって一通り買い物をした後、さくらんぼを最後に計ってもらおう(原則として全て計り売りです)としていると、そのグループのメンバーの他の男性が「お勘定、こちらへどうぞ」と声をかけました。たまたま、目のキラキラとした男の子の担当する秤のわきにさくらんぼがあったので、「私はあちらでお願いするから」と彼のレジにつきました。勿論、他意はありません。その瞬間、そこにいた4,5人の男性全員が目配せしたような気がしたのは錯覚ではなかった・・・と思います。ここから今回の話は展開していくんです。

以来、その八百屋さんに行くと、キラキラな瞳をしたその男の子が顔を真っ赤にして応対してくれるようになりました。彼のお姉さんと思しき女性がそのあたりから、かんじが悪くなってきたような気がします・・・・(笑)その彼のお姉さんには旦那さんとおぼしき男性がいて、その人は私が通ると、何か違う言葉でキラキラの瞳の青年に合図をしてそれを知らせるようです・・・・遠くにいて何かをしていても、私がくると走ってやってきてくれます・・・・。(こういうときの男性同士のチームワークは凄いです)確かに、悪い気はしませんけど、可愛いですから・・・・。若い男性というのは特にそういう時期がありますし・・・、しかしこの私の態度がいけなかったのでしょうか?

最近では、そのお姉さんに当たる人から鋭い注意がいっているようで、私が来ると異様な緊張感につつまれるかんじがして、今日は私の前で、いつも元気なその青年がお姉さんらしき女性の非難の視線に射すくめられていました。私にとってもかんじが悪い。その青年は蛇ににらまれた蛙のよう、私は蛙に無邪気にほーほーと話す鳩とすれば、構図的にはその後ろにとぐろを巻いて睨みをきかせる蛇をしょってます(笑)。

という世間話

とにかく、なんだか、全然、関係ない家族のドラマの中に知らないうちに巻き込まれてしまったようなかんじです。お姉さんは弟君が私と親しくなることを非常に嫌がっているようなのですわ。、働き者でイケメンなのでそのうち同じ年頃の彼女でもできると思うんですけど、あまりキンキンせずに、ねぇ。(笑)そういう出会いというのもあると、黙って見守ってあげればよろしいのにね。

このスーパーボディーガードのお姉さんにとっては、「家族の一大事」。
私にしてみれば「心外」です。私は真面目に生きているつもりなのに、こういうとばっちりを受けやすいのですよ。なんだか、私の思っている印象と他人が私から受ける印象にギャップがあるのではないかと、今回のことでまた、思い始めてしまいました。

ちなみに、私は自分の身を守ることにもなりますので法や規則には従いますが、他人の信念とか訳のわからない常識とかあまり関係ないところで生きています。ただし、良識というのを大切にしています。言い換えれば、自由とか良心とか品格を大切にしてるんです。(笑)

でも、これはあるタイプの人には理解できない存在らしいし、理解できないことは怖いので排除するというタイプの人達にとっては「脅威」らしいのです。八百屋さんのお姉さんが「サイレン」を鳴らしたのはこの人種の違いを感じ取ったからなのでしょう。理由なく私のことが嫌いといって、昔、日本で私を非難中傷していた女性がいましたが、彼女はこの手のタイプだったんでしょう、ね、思い出します。

悪いUFOもいればよいUFOもいるんですけどね。(笑)

私なりにみてみると、この八百屋さん家族はとても働き者で、一生懸命働いて、正しくそして自分達の信念で人生を生きていくというのに徹しているように見えます。「下町の太陽」、汗をぬぐいながらみんなで夜の食卓を囲むっていうかんじ、ちばてつやの世界っていうかんじ(古いけどね)です、モロ。日本でもこういうかんじの真面目な人達を知っています。贅沢を望むわけでもなく、自分達には自分達の「分」というものがあり、自分達家族の幸せというものをしっかりと守っていく人達・・・。とても素晴らしい人達だと思うんですが、ある意味、間違った方向にでさえ、自分達の信念のために死ぬまで元気で努力し続けて満足していけるタイプ・・・生活力旺盛な素朴な人達。

何故かわからないけど、ただ野菜を週に2,3度買いに行っているだけで(お得意さんですよ、一応、笑)、私は勝手にこの「家族の治安を乱すUFO存在」としてマークされることになってしまったわけです・・・。(笑)私は外国人でどちらかの奥さんだと思われているようですから、そういうのに前途有望な自分の弟が変に誘惑でもされたら困るという鼻息をかんじました。(笑)この場合、もともとちょっかい出されたのは私のほうなのに(笑)、なんで、こういうことになってしまうのでしょう・・・か。

人に話すと、これは、ズバリ、「生きている次元が違うだけということを認識するべし」だそうです。
素直で柔軟な心を持つのはいいけれど、これ以上無邪気に暢気に生きるのはおすすめできないと、そしてきちんとした判断力があるということが知恵のある生き方だから、レベルを意識して行動するようにと・・・。どちらが上で下というのではないです。

おもしろいことに、そんなことを考えながらサンジェルマン・デ・プレを歩いていたら、突然、知らない男性からお茶の誘いが降りかかってきました。この難解なる「世界の共存」について心を痛めながら思索にふけっていた私の目の前には、上質なグレーの薄手のスーツに白いシャツ、縁なしの綺麗な華奢なめがねをかけた40歳前後の品のある痩せ型の男性が立っていました。残念ながら、「ピン」ときたわけでもないし、お礼をいってお断りしてきましたが、変な人ではなかったのでおかげさまで気分がよくなりました。せめて、相手が私を誘って断られたことで嫌な気持ちにならないように、立ち去るようにしましたけど(笑)。これが私のレベルの接し方ってもんですよ、自分の「信念」も、感情も罪のない他人にぶつけたりなすったりしませんよ、失礼なことでもされないかぎり。

これも、ある人いわく、「お互いの次元が近いから、嫌な気分にならない」とあっさり。
シンクロっていうんでしょうか、いいタイミングでそれなりの方、いや出来事に出くわす。
「レベルが同じ人」と関わってればいいんでしょうね、それもまた悲しい響き・・・でもそのレベルが同じっていうのをまだ完全に上手く見抜けないだけかもしれません。「世界の共存」についての内省的な思索はここら辺にしとくかな、もう、訳わかんないから。

ちなみに、次元とかレベルとかいう言葉に過剰反応する人はやはりちょっと、ひっかかりが心にある人、それこそコンプレックス。自分の上もあれば下もあるというのは当然のことです。
次元とかレベルとかいう言葉で人を侮辱したり、見下すというのも次元が低いらしいですが、これも自分の上もあれば下もあるということを事実として本当に見えてない人達。

それにしても、感じ悪いから、野菜をこれからどこで買おうかなぁ・・・。
ま、あんまり気にしないで、よい気分で適当に生活することにしましょう。
自分をみつめて「それなりに」合ったレベル生きていくということがど〜いうことなのか、ここらで仕切りなおしせよというメッセージなのかもしれませんね。
もう時間がたくさんあるわけでもないから。
明日はなにが起きるんでしょうか?
皆様もよい木曜日を。

ずっとやりたかったことを、やりなさい。ずっとやりたかったことを、やりなさい。
(2001/04)
ジュリア キャメロン

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2008年6月15日 はじめてのドリアン

今日のパリは薄ら寒い曇り空。
ゆっくりと寝過ごしてしまって、いつもの有機市場には出かけず、近所のいきつけの八百屋さんがあるところにでかけたものの、もう3時近くになっていたので、カフェ以外はみんなもう終わってしまって、パリ市の清掃車(市場が終わると清掃にくることになっているため、パリの美観も衛生も整うのです)が忙しそうに通りを洗剤で洗っていました。

昨日のお昼は、非常に不味いタイ料理を食べてしまい、不味いだけならいいけど気分が夕方から悪くなり寝込んでしまいました・・・・。普段口にすることのない、化学調味料の味やら新鮮でない材料のせいと思われます・・・・結局、りんごをかじっただけで日曜の昼過ぎまで眠り続けることになってしまいました・・・・不覚でしたね。

さて、そういったわけで質のよいお野菜や果物が火曜日まで手に入らないという緊急事態。
さて、台所にはバナナとアボカドと、そして・・・・・そうそう、数日前に買い求めたこの謎のハリネズミのような鬼ひとでのような・・・かの有名なドリアンです!
このような突然の「食糧危機」状態に、よいタイミングで「食べ時サイン」がでています。
さっそく、賞味させていただきましょう。




実は、果物好きな私ですが、どうも「臭い」という誉高きこのドリアン、どうしても食べてみる気にならなかったのです・・・今まで。これはパリでは普通の八百屋さんやスーパーでは売ってないのですが、中華街にいくと今はもう、ドリアンがどこも山積みになっていたりします。中国人や東南アジア系の人達がそれぞれ真剣に吟味して、多い人は10個近くカートに載せて買って行きます。

この果物、ご存知の方も多い通り、タイでは果物の王様と呼ばれると同時に、「悪魔の果物」なんて呼ばれたりもしているそうです。タイではこの果物を食べるために働いているという人がいるほどだそうです。(笑)日本ではお好きな方がかなりいるらしく、一個1万円くらい出して買う人も結構いるらしいですね・・・・。そんなに美味しいものなのでしょうか?例えば、あの麗しいパパイヤよりも?

ある、フランス人の方はこのドリアンが大好きで「あれは食べなきゃいけないよ」と凄く美味しいと常に話していましたが、私の周りには他にこの果物に「はまって」いるというフランス人は知らない。たまにパック入りのものを中華街のスーパーでみますが、衛生状態や鮮度などが気になるため、手に取らないできました・・・・ましてや、この巨大なハリネズミ状のもの、買って自分で食べてみるまで興味がわかなかったのです・・・・。

ここのところ、中華街にカシューナッツや日本酒や蕎麦なんていうものを買いに来ることがあって、そのたびにこのドリアン(おそらくシーズンなんでしょうね)にいつも一だかりができているのが気になっていました。そ〜んなに気になるならと、買ってみることにしました。小ぶりなもので、虫くってないようなかんじのものを・・・。隣の中国人のご夫人は10個くらいカートに入れて、ドリアンの山をマイ軍手を使って丹念によっていました・・・・これはもうドリアンに対する執念が半端じゃないというかんじ。
益々、興味がわいてきました。

ただし、この果物、非常に危険物です。
取り扱い注意
このぎざぎざだと素手で下手に扱うと怪我だらけ、衣類などこすると傷がつくどころか破けると思います。小ぶりで軽いものを選んだつもりですが、重さはゆうに2200gということで、お値段は3000円ちょい。比較的、果物の値段が安いフランスにしても高いですね・・・。この果物、食べごろの見極めが非常に大切だということで、まずは、台所において数日熟するのを待つことにしました。もう、その日の晩から独特なにおいが・・・・噂できくほどの悪臭ではありません。よく東南アジア系の果物屋さんにいくとこういう臭いがしています。甘いそしてなんか焦げ臭いような、硫黄臭。

このハリネズミみたいなドリアン、熟してくると亀裂が入ってくるんだそうです。
今日は小さな亀裂を発見したので、そこから包丁をいれてみました。
殆ど、木の殻といってもいいかんじです。注意深く、亀裂が自然に入るとしたら・・・と探りながら割っていくと、そのうち手でメキメキと割れるようになってくる。中は驚き・・・・黄色の大きなソラマメの房のようなものがいくつも入っていました。このハリネズミのような甲羅のような部分の内側の白い皮と種子の部分の間にある、黄色い部分をいただくのですが、結局、捨てるところが大半の果物で、ますます「高い果物」になるわけですね。

さて、お味のほうはいかに・・・・・臭いですね、かなり。
たまねぎや果物の腐った臭いというのが一般的なようですが、そう考えるとなんだか食べられませんので、とにかく味わってみる。いやぁ、これはクリーミーです・・・・よく熟成したチーズのようなかんじの触感で、味は濃厚でほどよく甘い。ただ、ニラ臭い。そう、韮みたいな臭いというのが私の印象。
結局、この臭いが強烈で、普段韮は好きですが、韮とこの甘くクリーミーな味覚の取り合わせに違和感が強く、私はあまり好きじゃないなぁ・・・・というかんじ。こんなに大きなの買っちゃってどうしよう・・・・と思いました。

しかし、ドリアンの楽しみ方の秘訣は、「慣れる」こと。

さて、数時間置いて、気が進まないまま、またもう一切れ食べてみることに・・・・これが美味しい。
そして、晩御飯の前にまたカプリ・・・・美味しい!なんで、こんなに短時間で美味しくなるの?ということで大満足。

ちなみに、この果物、お酒と一緒に召し上がると命の危険があるとタイでは言われているようです。
また、カロリーも高く、カルシウムやりんやマグネシウムなどのミネラルも豊富ですごいパワーフードとか(臭いもそうですし、口にいれたかんじからしてもエネルギーが高い食物)いうことで、精力剤の代わりとしても食べられているとか。そんなことから、食べ過ぎると命を落とすといわれていますが、それは一人で一日に4、5個食べた場合。いくら果物好きでも、これは2個は食べられません。

やみつきになるという方もいますが、私はどうでしょう?
ま、一度食べても損はないかなというかんじ。
ちなみに、何回かに分けて食べると、食べるたびに美味しくなります。
おそらく、一回食べただけだともう不味くて食べないものの一種になるとおもいます。
と、いうことは、私は明日たべたら、もっと美味しいと思うんでしょうか?

ちょっと高価ですが、エネルギー不足を感じている人にはいいと思います。
すごい、酵素たっぷりですしね。
ただし、臭いです。

なんかドリアンな一日(La JOURNEE DE RIEN?:フランス語で無為な一日?)でした。
結局は、変な駄洒落くらいしかでないほど、リラックスした一日。

こんな一日はおフランスな映画をみることにしましょう。
「イヴォンヌの香り」というもので、フランス映画好きにはお馴染みの映画かもしれません。
これは、かなり昔の映画で、時代設定も1950年代の頃ものもです。

日本で始めてレンタルビデオ屋さんでみたのは、本当に若い頃で、その頃は大人の映画だと思ってみてましたが、今みると全