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なんかその都度「?」と感じた一見関連性のない細かいことが最終的に大きな像を結ぶ。そんな観点から幸せを実現していきたいという気持ちからはじめたサイト。よろしくお願いします。

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2008年8月4日 落ち着かない日

パリは夜は肌寒い雨が降り、日中は明るくそしてどこか澄み切ったような空気。
とっても過ごしやすいです。

ヴァカンスに出た友人から昨晩電話があり、プロヴァンス地方は30度を超えてとても暑いそうです。
海水浴(古い表現といって、日本で以前笑われたけど)をして、しのぐといっていました。
そんなこと聞くと、行きたくなってしまいます・・・・・。



今日は奇妙な日で、心穏やかな人と、なんか心がすさんでいる人、くっきりわかるような面白い一日でした。心穏やかな良い人と会えば、それに調和して自分も優しくなります。そうでない人に会ったら、「?」と思いますが、腹をたてたり、嫌な気持ちにならない自分に気がつきます・・・・
どうしてこういうことがいきなり可能になったんでしょうか?嫌なことにゆすぶられないためには、基本的に「自分に関係ない」というスタンスをもっておくこと、変な状態の人を文字通り「敬遠」するっていうかんじでしょうか・・・・なんか、ある意味、そういう人達が遠くにいるようなかんじがします。

最近、以前はどうしてあぁ過敏だったのだろう?そしてどうして人の感情にすぐ共鳴してしまっていたんだろう?と過去の自分のことを理解できなくなっている自分に気がつきます。勿論、怒ることもありますうが、怒りをかんじてもやみくもに怒らないようになってきました。

例えば、ホメオパシーなどを学んでいるとよく出てくるんですが、喜びというのも大切ですが、喜びすぎて浮き足だつというのは怒りで我を失うと同様にとはいいませんが、健康という観点からみるとやはり良くないことです。感覚的にいうと、体に心や魂がしっくり収まった姿ではないからです。
喜怒哀楽といいますが、喜怒に振り回されるとお腹が据わりませんし、哀楽というのは人間の情操の最たるものですから、これをおろそかにするとお腹が空になったり、逆に「詰まって」しまうようです。

まぁ、喜ぶというのはほどほどにすればいいんでしょうけど、怒るというのは体に悪い。
結局、楽しいというのは文字通り、心、体、魂、自分だけでなく回りの環境もあってのことですから、いろんな意味で自他ともに調和したあり方ということで、これが一番みたいですね。
哀しみというのは、浄化作用、人間の感情の中で一番透明なイメージがあります・・・まるで水晶のように。

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反面、怒るというのはすご〜い強いエネルギーですから、何か行動するときや突破するときの起爆剤にはなります・・・ただ、消耗するっていえば消耗しますよね、ご存知の通り。上手くつかうと、ホルモン伝達物質なんかの関係で、それこそコーヒーやタバコ、お肉やドーピングみたいない効果がありますが、あまり乱用すると命を縮めたり、体や心や人間関係が硬くなってギクシャクした人生になっちゃうみたいです。

一方、怒らないで対処するというのは、やっぱり理屈ではなく、自分の状態に関わってくるみたいです。疲れや不安、傷ついた部分、コンプレックス、切迫した状況・・・・こういうのが勘違いや誤解というおまけまでつけて、自分に凄い重荷を課す状態になるわけで、すぐに怒ったり、情けなくなったり、悲しくなったりするのは、そういう状態になっているからみたいです・・・幸せな状態というか、調和した状態にあると、人は起こる前に一瞬、「どうして?」と思います。

キーワードは「軽く」ということ。
個人的に、今日という日は、今までど〜んなに無意味なプレッシャーや期待をまるで当然のごとく自分にかけていたか、「そういえばそうだったのね」となんとなく連鎖的に判った一日でした。だから、負荷の「軽い」人とはいい関わりができて、負荷がそれぞれ「重い」人とはなんかトンチンカンな、嫌なこと未遂の状態ですれ違うという一日。道ひとつ歩くのでも、そういうのってドラマ仕立てで起こってくるみたいです。

例えば、今朝、駅に行く道をいそいで、あと5センチ、いや3センチ右によっていれば私が怪我をしていただろうというような、下手というか無配慮な運転で一台の自転車が追い越していきました。自転車に乗っているほうも「ひやり」としたと思います。それも、歩道の真ん中(原則、自転車は自転車専用レーンか車道を走るとされているので稀です)でです。以前なら「ちょっと、そこの、気をつけなさいよ!」と怒鳴った後、「ふんとにっ、危ないったらありゃしない、馬鹿じゃないの!」とぷりぷりしたところです。しかし、この「以前なら」というパターンを気がつくと私は頭の中でシュミレーションしていました・・・・無意識に。それで、そのまま自転車の背をみながら歩いていました。

確かにぶつかっていたらかなり危ないでしょう。
でも、怒るのが嫌だったので、「ぶつかったわけではないから、別にいいではないか?」と思うことにしたのです・・・。ぶつかっていたら、大怪我が大切なソニアリキエルのスカートが台無しだったとか考えるとむかっとしそうになるけど(笑)、それは起きなかった。運がよくてラッキー、と空に向かって十字を切りました。

たとえ、この場合に注意をするにしても、自分に非がないところで自分が取り乱す必要なし、ということで、せっかく運よくなにも問題なく過ごしえいるのだから自分で一日の初めの気分をぶち壊すこともなかろう・・・と瞬時に計算して判断したらしいんです。もしくは、「自転車はここをはしらないで!危ないのよ!」と叫ぶこともできたかもしれません。
人の「非」や変なところにひっかからないということですかね・・・。

人間の非をとことん追求してはいけないという価値観がある国で、自分が間違っても「わたしのせいじゃない」という権利があるというのに、これに慣れるのにどれだけ怒ったかは判らない・・・・(笑)でも、最近は非をあげつらい、責任追及をすることの罪というかむなしさもある意味、わかるようになってきました。要は全体としてみたバランスの問題です。

一方、非を追求しないからといって、納得のいかないことを飲まされてはいけない。飲んだほうが悪くなる。このゲームのルールをマスターして上手く世の中を泳げる人はフランス人でもそうそうはいませんよ。(笑)だからこそ、これをマスターしたら、それこそ「ゲームの達人」になるんだろうな〜、と思います。

人生って、いろ〜んなものが飛んでくる。
いかにかわすべきものをかわして、いかに欲しいものをキャッチするか?

もうひとつ肝心なこと、それは自分の気持ちをキャッチすること。
私はなんだか、ここのところ2、3日、自分が上手くキャッチできていないみたいです。
これは、あんまり意識しても理屈ばかりになってみえてこないので、まるでこんがらがった毛糸をほぐすようにだましだまし、パターンや結び目をみつけながら自分に戻っていくしかない。
長期にわたりこんがらがってしまっている毛糸玉は、それこそ期限をきらずに、大きな枠組みの中でほぐしていかなくてはいけないでしょうね。今回の私の毛糸玉は小玉みたいです。

子供の頃大好きだったドッチボールのように、外からくる玉をうまく交わしながら、よい球をキャッチしていきたいです。自分の心がやもするとフワフワしてしまうけれど、ゲームにしっかり参加することで、意識がさえているかんじ。道を歩くのでも、人と会うのでも、それこそ、ゲームです。

自分も含めて、自分と関わる人全てが「勝てる」ゲームにしたいなぁと重いながら、なんだかフワフワしている変な一日です。今日は眠りながら、せっせと心と頭の毛糸玉をほぐしてみたいです。
起きているときには眠っているときにできないことをして、眠っているときに、起きているときにはできないことをする・・・・。これもバランスということなんでしょうね。

一雨きそうな空模様。巨大な猫と人の顔にみえるのは私だけでしょうか?
こういう顔をした人が世の中に多いのなら、今宵の雨がそれを綺麗に洗い流して癒してくれるでしょう。
結構、この時間の空には不思議が一杯。
ぐっすり眠れそうです。


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