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なんかその都度「?」と感じた一見関連性のない細かいことが最終的に大きな像を結ぶ。そんな観点から幸せを実現していきたいという気持ちからはじめたサイト。よろしくお願いします。

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2008年9月29日 天才の横顔

本日のパリは曇りで雨がそぼついたりして。
これが「パリの天気」というかんじです。

今日は、パリのRue de Seineにある、Galerie BARESの扱う作品のうち、ピカソのリトグラフをいくつかご紹介します。この画廊はリトグラフ、それもピカソなどの巨匠のものを主にあつかっていますので、リトグラフのコレクターには実はよく知られている存在らしいです。

ご存知のように、ピカソは多作な作家で、ギネスブックに認定されているほどです。リトグラフだけでも、枚数限定の作家のサイン入りのものだけでもいくつあるんでしょうか?
世界中にこれらを集めている方がいるらしいです・・・・。

パリのGrand Palaisでは来月から大きなピカソの展覧会が開かれます。もう、今月はじめから雑誌や新聞などでピカソの特集記事などがでています。かなり大きなピカソの展覧会のようです。
それにちなんで、今回はもう少し身近なかんじでピカソをご紹介してみます。

私の現在のお気に入りはこの一枚。
「Cocu Mangifique」というもので、訳すと「おめでたきかな寝取られ男」みたいなかんじです。
この作品はFernand Crommelynckというベルギーの作家の劇を題材にしています。ちなみに、このクロムリンクという人はピカソの長年の友人で、この劇はパリで1920年に上演されています。
ストーリーはブリューノというやきもちやきの夫と浮気な妻やその愛人のどたばたを描いたもので、この右手にいるのがブリューノ、その愛犬や浮気な妻やキューピッド、妻の愛人などなどが書かれています。1966年の作品だそうです。
ユーモラスで可愛いかんじ。(笑)


こちらはAmboise Vollardがピカソに100枚のエッチング(1930−1935)を注文したうちの数枚。
このほかにもいろんなシリーズがあって、ローマ神話を題材にしたものなんかが多いそうです。
Vollardは20世紀を代表する大画商で、ピカソをはじめマチスやセザンヌなどに作品を注文していました。

これは「Sculpteur,Modele et Sclupture」、「彫刻とモデルと彫刻家」という題のもの。



同じシリーズから、「サーカス」。


そして、シリーズとして面白いと思うのが、ドガが登場するシリーズ。
「Degas Regardant」、「見つめるドゥガ」という名前で知られるいくつかのリトグラフです。
ドガといえば、印象派の一人として「踊り子」という美しい絵で日本でも広く知られるフランスの作家で、余談ですが、もともとはDe Gas(ドゥガス)という名前だったのを作家としてデビューするにあたり改名したらしいです。

ドガはご存知の方も多い通り、印象派の中に入っていますが、自然光というよりも室内の絵が多いことでしられています。人間観察、人の動きの瞬間を捉え、日常的な背景や物を見事に描いて、その観察力と大胆な構図が人々に評価、愛されているそうです。

ピカソはそんなドゥガが人々を観察する、観察者としての存在としてリトグラフの隅に描いています。


これは、売春宿のようなところを題材にしたもので、そこで働く娼婦を傍らで観察するドゥガがでてきます。画像をクリックして拡大すると、向かって左脇に紙のふちぎりぎりに小さく横向きのドガが彼女達を観察している姿がご覧になれます。ドガが人を観察してる姿がタイトルになっていると判ると、なんだかピカソのユーモラスなところが感じられておもしろいです。ドガとピカソは50歳近い年齢差があったので、おそらくは実生活での親友とかライバルとかそういう関係はなかったんでしょうけど、ピカソにとってドガはつくづく、「みつめる男」だったわけですね。(笑)
俗で、どぎついシーンにちょっと隠れるようにして、でも淡々とみつみているドガの横顔があります。


こちらはもう少しドガが大きくかかれています。
みていますね、脇で対象を。

なんとな〜く、ピカソの人間としてのユーモアや皮肉っぽさ、癖みたいなのがうかがいしれたりして・・
油絵だと迫力や面白さに圧倒されてしまいがちなのですが、リトグラフだともっと彼の個人的なところが垣間見れるような気がしたりして・・・・。

来月の展覧会が楽しみです。
ピカソは誰もが知っているといえるような世界の大天才ですが、リトグラフにこの大天才Picassoの横顔をみることができるような気がしてきました。(笑)

バレエをみにいくたびに、ここまで体を鍛え上げ、ここまで精神力で技をみがくという、その人間力に感嘆してしまいます。才能、体型だけではなく、凄まじいほどの精神力に支えられた究極の「美」、絵画とはまた別の感動をバレエで味わさせてもらいます。
ドガはなにを考えながら、バレエをみていたんでしょうか?


パリ・オペラ座バレエ団 白鳥の湖(全4幕)パリ・オペラ座バレエ団 白鳥の湖(全4幕)
(2008/06/18)
パリ・オペラ座バレエ団

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2008年9月25日 せつなさはやさしさ

パリは秋の穏やかな気候が続いています。
秋はフランスでは始まりの季節。
引越しや入学、転職の季節でもあります。

昨日は、パリ在住の日本人女性画家の方とギャラリーがひしめく、サンジェルマン・デ・プレのRue de Seine通りで楽しくも不思議なお話をして盛り上がりました。彼女の知り合いの方がサービスをしていて、私もちゃっかりと、なんとシャンパンをご馳走になるという幸運に恵まれました。

シャンパンというのは、たいていフランス人の家にいつでも一本はあって、嬉しいときなどにいつでも開けられるようにしてあるもの・・・・贅沢というだけでなく、「喜び」を表すシンボルです。

この画家の方は、とても心というか魂のきれいな、きちんとした方で、謙虚であられますが、パリのSalon d’Automneという一流画家の登竜門ともいえる展覧会に作品が選ばれたそうです・・・!
おめでとうございますぅ!そのうち、許可を経て彼女の作品をこのブログでもご紹介できたらと思います。絵というのは、作家の名前、出来上がってしまったその作家のマーケット(値段)というので取引されるものですが、本来はそれ以前に心や魂でその価値を問うものだと思っています。そういう意味では、彼女は本物の絵描きさんなのではないかと、思いました。

そういう心やすらかなそしてドキドキするようなおしゃべりの時間と平行して、実は私は月末に向けての引越しプロジェクトがラストスパートに入っています。

現在、引越しの時期らしく、街を歩いていも引越しのトラックから長いはしごをかけて、ソファやベッドを降ろす光景がみられます。実は相当に事故の危険が高いので、その場合は下を通らないようにしています。皆様も、パリでは無造作に道を歩かないように・・・・真冬に頭上で植木に水をやっている人のせいで水浸しになる人もいます。

それにしても、もう7年以上住んだ界隈を引き上げるという切なさよ・・・、アパルトマンは家具などがなくなって殺風景になってもなんだか自分の匂いがしみついているような、変な愛着をかんじてしまいます。

こちらは、以前に住んでいたアパルトマンから見るモンパルナス・タワー。
丁度、西に位置していました。


そして、新居の書斎からみるモンパルナス・タワー。
距離がぐ〜んと近くなって、真南に位置しています。


なじみのパン屋さん、お花屋さん、食料品店。
毎回、長期の旅行から帰ると、「あぁ、帰ってきたぁ!」と思う独特の慣れ親しんだ界隈の空気。

歩いてたった30分、車で数分の引越しですが、引越し先はまた違う隣人、パン屋さん、お花屋さん、雰囲気があります。これからここが私の家になる、ここが「ただいま」の場所になるわけですねぇ・・
宜しくお願いします!
ちなみに、なじんだ界隈の教会に毎日立ち寄りながら、引越し先の近所の教会にも時折、ご挨拶をしています。宗教や信仰云々とか、そういうことではなく、やはり土地の精霊、伝統など、どの国にいっても、敬意をもって「仁義を切る」っていうかんじでしょうか?(笑)

自分の思い出と現在とこれから、全て自分の人生の一部。
去り行くものを愛で、変化に感謝して楽しんで、これからを明るくそして真面目に生きる。
引越し先から同じビルをみながら、自分の生活の変化を不思議に思う今日この頃です。(笑)

なんだかわからないけれど、ジョージ・ハリスンがジョン・レノンを追悼して作ったという「過ぎ去り氏日々」という曲が頭にこだましています・・・この曲、不評だったそうですが、深い悲しみや寂しさをこうして「哀愁」というかんじでさらりとさわやかに歌うっていう、そういうセンスがとても好きです。悲しみや苦しみではなく、「切ない」そんな気持ちでいられる心の強さと優しさみたいなものを、この人に感じました。

毎日、皆が眼に見える形、見えない形で変化を経験しているといいます。
なつかしの歌で井上順一の「お世話になりました」っていうのがありますが、まさしく、そんなかんじ。
こういう「せつなさ」をあじわうっていうのは、とってもいいことなんじぁないか?と思いはじめています。
引越しで嬉しいけれど、ちょっと秋らしくセンチな日々でした。

ジョージ・ハリスン自伝―I・ME・MINEジョージ・ハリスン自伝―I・ME・MINE
(2002/12)
ジョージ ハリスン

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結構、のけぞるかんじの人もいるかもしれませんが(爆)、私は真面目にこの人の「お世話になりました」は名曲だと思います。こうしてみると、井上順一でフランスの歌手と乗りが似ていますねぇ・・。
ゴールデン☆ベストゴールデン☆ベスト
(2004/09/08)
井上順

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2008年9月22日 感情のエネルギー・・・・ 北欧的色づかいで・・・



こちらの絵はスウェーデンを代表する現代画家、Bengt Karl Erik Lindströmの油絵。1925年にスウェーデンに生まれ、今年の1月にスウェーデンで亡くなっています。

この絵をみたときに、最初はなんだか判らずに、ただ「コスタヴォーダ」というスウェーデンのガラスメーカーの製品を思い出していました。紛れもなく、スウェーデンしている色使い、形です。(笑)ご覧の通り、とても迫力のある作品で、面白いことにこの絵の値段を尋ねる人は何故か、たいていアングロサクソンもしくは北ヨーロッパの男性。

リンドストロム自身はストックホルムをはじめ、コペンハーゲン、シカゴ、パリなどで学び、パリではとくにフェルナン・レジェーやアンドレ・ローンなどのもとで絵を勉強し、フランスにもファンが多いとききます。

この絵をみても判るとおり、彼は動物や人間などのわめく姿、吼える姿、大笑いする姿、怒る姿などを描いています。原始的なワイルドなエネルギー、そしてヴァイキングや北欧の神話などにインスピレーションを受け、人間や動物の激昂するエネルギー、噴出する感情などの光景を鋭いコントラストの色づかいで、描いています・・・・すごい迫力があるけれど、見るものを傷つけない、感情のうねりに惹かれながらもまるきり観察者としての視点を保った、ある意味内向的な北欧人の特徴を非常に強く感じます・・・・

個人的に北欧に傾倒していた時期がありましたが、まさに、この宇宙人的な感性、ラテンにも日本にもアジアにもアフリカにもみられない、独特の「星の静謐さ」みたいな心、気持ち、そんなものを北欧の芸術作品に私は感じています。

また、彼はコブラ・グループの一員としてもしられています。
これは第二次世界大戦後に1948年にアジェ・ヨーン、コルネイユ、カレル・アペルなどのアーチストを中心に結成された、北欧やベネルクス諸国を中心におきた、パリを主な舞台とする芸術前衛運動。コペンハーゲン、ブリュッセル、アムステルダムのはじめの音をとって、COBRAと名づけられたそうです。

激しい色を激しい筆遣いで、歪めた肉体や対象などを描くことで、激しい感情を表現していこうという動きで、その前に起きたシュール・レアリズムの批判として起きているとのこと。
ただ、それでいて決して殺伐とせずに美的なかんじを強く受けるものです。

これは、「アウトサイダー・アート」と呼ばれる、もともとはフランスのアーチスト、ジャン・デュブュフェが「生の芸術」と名づけた「Art Brut」と呼ばれるカテゴリーにも関連するそうです。
このアウトサイダー・アートというのは知的障害者、子供、そして世の中で認められない「アウトサイダー」の作品を一般的に指していますが、言葉の定義上で、人権問題などに抵触するおそれもあるみたいです。

それこそ、知性や洗練、技巧というよりはむしろ「感情の爆発・吐露」などというエネルギーをそのままキャンバスに写しこんだような作品とでもいいましょうか・・・・個人的にはかなり面白いと思っていますけど・・・・。この絵も、凄いエネルギーを放っています。

認知度の高いデュブュフェ、彼自身がArt Informel (アンフォルメル・形のない芸術)の先駆者として知られています。これは、コブラグループに比べるともっと、生々しく、不快感を覚えるものさえあるほど。ジャン・フォートリエ、ヴォリュスなどのアーチストの手により、当時、第二次世界大戦のトラウマがある意味、芸術運動としてとびだしてきたというかんじ・・・傷ついたり、捻じ曲げられたり、切り取られたりした人体を激しくキャンバスに描きなぐるような、そんな風潮・・・

ただの残虐性の表現というよりは、それを間のあたりにすることででてくる悲しみや怒りなんていうのもの、人間としての健全な怒りをかんじます。

個人的には、寝室にはかざりたくないタイプの絵です(笑)。

ちなみに、アメリカでは「アクション・ペインティング」という運動がおきました。かなり美的というよりは激しさ・・・抽象画による感情・激情の表現っていうかんじです・・・。表現する行為そのものに意味があるというかんじでしょうか・・・・
日本にも1950年代にこの運動は持ち込まれているそうですが、日本では日本独自の感性なんかとあいまって「日本のアンフォルメル」として、逆輸出されることになったそうです。詳しくは、いろいろと検索してみてください。

個人的には、今回ご紹介するリンドストロームくらいでいいかんじです・・・・デュブフェは世界中で人気の高いアーチストですが、ものによっては暗くて思いものをかんじたことがあって、観るときには結構、超メジャーなアーチストなのに自分の状態に気をつける作家の一人だったりします。

音楽や「匂い」もそうですが、色というのも凄い「感情的」なもんですね。
たまには、こういう感情の海に「芸術鑑賞」という形でどっぷりひたってみるのもいいかもしれません。

日常では、なんだか優しくて、シンプルで・・・というかんじの北欧をちょこっと味わうのがいいかもしれません。
のどか〜。(笑)
和のアルファベットスタイル―日本の器と北欧のデザイン和のアルファベットスタイル―日本の器と北欧のデザイン
(2001/10)
堀井 和子

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2008年9月21日 与謝野晶子とハートのフレズリー

パリはもう秋。
食欲の秋の訪れとともに、最近はワインならず、ある食事と相性のいいパンという組み合わせを考えたりしています。

近所には、3件のパン屋さんがあって、どれもがかなり優れもの。
実は今回はパンではないのですが、そのうちの一軒のウインドウで10日くらい前から気になる御菓子がありました。ハート形をしている苺たっぷりの御菓子です。
毎晩、行列ができるパン屋さんなので並んで買うことがためらわれたので買わないでいましたが、どうしてもハートのあの御菓子が食べたくて、ある晩、デザートに買ってもらいました。Fraiserie(フレズリー)と呼ばれる、軽いムースのような、いちごがたくさん入った甘酸っぱくてふんわりしたもの。
特別なこだわりとかそういうややこしいこと抜きに、素直に普通に作った御菓子で、ハート型をしています。単純に食べる人を「あら可愛い」といって笑わせてから食べさせたいという作り手の作意が伝わってきて、またそれに単純に乗ってみるという幸せ。
期待を上回る美味しさでした。



美味しいわぁと、幸せに浸っていると、思い浮かんだのが与謝野晶子の短歌・・・渋い(?)
「ためらはず雪解の流二つ逢ひ綿雲のごともり上がるかな」

解釈は他所に譲るとしても、ハート型というのは2つがくっついた形。
心臓も右と左がくっついてあわさった形ですね。
なんとな〜く、ハート型でピンクの御菓子から、この歌が浮かんだわけです。
ためらわずに盛り上がっていくハート。

与謝野晶子といえば、皆さんご承知の通り、情熱の明治生まれの女流歌人。
「乱れ髪」で情熱と官能なんかを歌い上げ、「君死にたまうことなかれ」では反戦などでも知られていて、かなり当時の保守的なグループや権力筋なんかから批判されたりうとまれたりしていました。
実際のところ、世の中が反戦だ官能だとレッテルをつけていただけで、ご本人は自分のかんじるまま、思うままに歌を詠み、表現していただけだという気がします。
変なスローガンにとらわれることなく、人間として、女性としての魂に忠実に生きようとしていた強い女性だったというかんじです。
彼女は広く知られる通り、情熱愛の鉄幹氏とは「不倫」という状態から正式に結婚することになります。旦那さんの鉄幹氏は2度離婚して3度目ということで30歳近くで若手の歌人としてでてきた彼女と結婚、結局は6男6女をもうけます・・・・。実は晶子と鉄幹はパリを訪問、短期滞在していたことがあるそうです。

与謝野晶子というと、中学校、高校などの国語の教科書で「乱れ髪の」からの歌が心に残っています。女性だったら誰もがたまに経験しているんじゃないかと思う、なんとなく自分が綺麗にみえる(ような気がする)朝、ふと、鏡の中にくちずさむものがあります。

多くの方が、国語の授業で習った歌。

その子二十櫛に流るる黒髪のおごりの春の美しきかな

たとえ、すでに20歳をとうにすぎていても(笑)、自分の女性としてのゆたかさに気持ちが大きくなり、豊かさを味会う瞬間、大切にしたいと思います。(真面目)

夏に短くした髪が秋になり、伸びてきたかんじがします。
「もう少し長めの髪もいいんじゃないかと思うから、3、4ヶ月綺麗に伸ばせるようにしておいたわよ」と切ってくれたのは、ヴォーグ誌などをはじめとして世界各地で活躍していたフランス人の女性ヘア・デザイナー。「これからは短くする」と決心したものの、最近、秋の訪れと共に、「セミロングにしてみるかなぁ」などと思っていると、髪が伸びて量が増えたような感じがします。日本では、「軽く」ということで髪の毛を削ぐ傾向が強いのですが、あまり「重苦しい」のはよくないにしても、こちらでは髪がゆたかで美しいということは男女ともに価値のひとつとみなされています。
軽やかさと豊かさと2つを表現するような髪が理想。

私は、昨年、日本でももはや希少になっているという薩摩産のつげの手彫りの櫛をオーダーして、それを大切に使わせていただいているのですが、それで髪をとかしながら、

その子XX歳櫛に流るる黒髪のおごりの秋の美しきかな

と替え歌をしてみます・・・
髪のケアも大切ですが、秋のダイエット、今が正念場です。(笑)

このレトロっぽい、恋の絵本、おすすめです。

君になりたい―恋の短歌 (めくってびっくり短歌絵本 3)君になりたい―恋の短歌 (めくってびっくり短歌絵本 3)
(2007/01)
不明

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2008年 9月20日 色をまとう、色と住まう

新しい家に引っ越して絵を飾るとしたら、私はこれがいいというのが、クロード・ヴィアラ(Claude Viallet)というフランスの現代作家の作品。フランスは勿論、欧米でも人気の高い作家です。
知り合いのおうちに彼のシルクスクリーンがところせましと何枚も飾ってありましたが、「色と住まう」ということの楽しさ、豊かさがそのお宅に溢れていました。モダンでかつぬくもりというか心の勢いのようなものがあって、不思議に作品が生きているというかんじがしました。

よくご存知の方もいらっしゃるかと思いますが、ちょっとご紹介してみます。

こちらはパリのGalerie BARESにあるヴィアラのシルク・スクリーンの作品のうちのひとつ。
お値段は、車が一台買えるくらいです。



簡単に作家の経歴をご紹介すると、クロード・ヴィアラは1936年に南仏は「闘牛」に縁の深いニームに生まれたフランスの現代画家。最初はモンペリエの美術学校で学びます。そちらでフランソワ・ルアン、ダニエル・ドゥズーズ、そして後の妻となるアンリエットと出会います。アルジェリアでの兵役を終えて20代前半にパリの美術学校で学び始め、ミシェル・パルマンティエ、ジョエル・ケレックなどと出会います。当時、彼はパリでケニス・ノーランド、サム・フランシス、モーリス・ルイなどのアメリカの抽象表現に目覚めます。1963年にはすでに抽象画に傾倒していたといわれています。後にニースのDecorative Arts Schoolで教鞭をとり、同時に従来の古典的なスタイルを疑問視し、抽象的な図形を主にした独自のスタイルを発展させ、他の作家と共同で展示会を開いていきます。

こうしてみると、人は出会うときに出会うべき人と会っているという気がします。
特別な人だけが特別な出会いをしていると考えているとしたら、自分で気がついていないだけなんでしょうね、きっと。

1967年にはリモージュの美術学校での教師の地位につき、そこでオーストリアの作家、ラウル・ハウスマンに出会います。この当時、以来30年彼の作品を扱うことになる画商、ジャン・フルニエ氏により始めての個展が開催され、パリの近代美術館を中心に展開された「Support/Surface」運動に参加していくことになりますが、1971年にこの運動から退きます。

ちなみに、Support/Surface(「支持体・表面」の意味)運動とは、1960年代にフランスの南仏に起こった芸術運動のことで、1968年のパリの「五月革命」などの思想とも関連していて、芸術を社会の中に位置づけるというような動きとしてもしられています。簡単にいえば、素材をいかに表現するかということにこだわり、当時の従来の表現方法を批判し、一種の「解放」をこころみた運動といえます。
70年代の「ミニマル・アート」とか「モノ派」なんていうのとも関連が深いそうです。この運動に携わった主な作家は、ジャンピエール・バンスマン、ダニエル・ドゥズーズ、ヴァンサン・ヴィレウス、ルイ・カーヌなどがいます。

パリの「五月革命」については、シンクロがいろいろあるのですが、このブログの2008年5月30日にもそれについて書いてありますので、お時間がある方はご覧ください。

1974年には別の美術学校に職を獲て、マルセイユに移り、最初のサン・エチエンヌ美術館(Museum of Art and Industry)での個展が開かれます(後に回顧展が同美術館で開かれる)。その後、生まれ故郷のニームの美術学校の学部長に就任し、「闘牛」に関するコレクションをはじめ、これは1986年に現地で闘牛美術館となっています。

彼の生まれ故郷のニームはセミと闘牛とジプシーキングスなんかで知られています。実際、現地で真っ黒なひきしまった美しい牛をみると、牛のイメージが変わりました。

1988年にはイタリアのビエンナーレにフランスを代表する作家として参加し、またこの年にフランスのカマルグ地方のAigues−Mortesのノートルダム・デ・サブロン教会(8月28日のこのブログでも紹介していますが、小さな素敵な教会です)のステンドグラスを作成しています。パリの高等美術学校でも教鞭をとり、様々な賞を受賞しています。現在はベルナール・セイソン氏が彼の作品を取り扱っているようです。

詳しくは彼のサイトをご覧ください。
www.claudeviallat.com

絵というのは芸術というだけでなく、資産としての側面もでてきたりするわけですが、そういうことを一切考えなくても、即座に「これ、欲しいなぁ!」というか、それがあるだけで空間がぐ〜んとグレードアップするようなエネルギーの作品があります。私にとっては、Viallat(ヴィアラ)はそんな作家です。

やはり色って面白いものだと思います。
本日は流行のモーヴ(藤色みたいなの)にピンクに黒を身に着けていますが、身に着ける色によって自分の気分どころか、見ず知らずの人との関わりまで変わってくるのが不思議。

パリに暮らしてから、こちらの色使いに魅せられると同時に、視界に溢れる色の断片の中で日本独自の色というものに自分が知らず知らずに反応していることに気がつくようになりました。日本人ならではの色感覚、細胞にまで染み付いているようです。

日本の色辞典日本の色辞典
(2000/06)
吉岡 幸雄

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2008年9月17日 一緒にいると幸せ

ここのところのパリの朝は11月はじめを思わせるほどの寒さ・・・。
日差しは明るいのかなりひんやりしているのにびっくり・・・東京はまだ暑さの名残りの季節だというのに・・・温暖化というのが実は、科学信仰によるまやかしだということにあらためて思い当たります。(笑)

先日、日本でも大人気の作家、アンドレ・ブラジリエという作家の絵を友人のところでぼんやりながめていました。彼はフランスを代表する現代画家の一人ですが、特に日本と親和性が高いアーチストとしても知られています・・・・馬や騎馬隊などがよく題材としてとりあげることでもしられていますが、日本でも制作活動を行われていたことがあるそうです。

色調はとても美しく、彼の絵から受けるのは「優しい静けさ」・・・・やわらかで穏やかでそしてなんとなくひんやりとした朝露のイメージ、そぼふる秋雨、春雨のイメージなどが個人的には、あります。
なんとなく、日本人として懐かしいかんじもうけます。

とても詩的な作家で、見るものの気持ちを静め、自然な清らかな喜びへといざなう、そんなエネルギーをもった作家です。友人のところにあったのは、2002年のこのリトグラフ。
この日は、友人のところにブラジリエの愛好家のスイス人の方が訪れ、グリーンを基調とした小ぶりの、ひそやかで美しい雰囲気のあるリトグラフを買い求めていきました。

写真ではよくわからないかもしれませんが、この作品はグリーンとブルーの色使いがみずみずしいかんじ・・・・個人的には彼のブルーにピンクがちらりとまざった美しい空のもと、騎馬隊が描かれているのが欲しいです・・・・(笑)。



ブラジリエと検索すると、日本でもお取り扱いの多い作家なので、いろいろとご鑑賞いただけると思います・・・・とっても美しいです。みればみるほど、よくなってくる・・・・

ざっと経歴をご紹介すると、彼は1929年にフランスのアンジュ地方、ソミュールで生まれ、若き日はボザール、ブリアンション氏のアトリエで絵を学びます。現在80歳前後になられます。1960年前後から、パリをはじめニューヨークやジュネーブなどで個展を開き始め、1970年代から日本で個展が開催されはじめました。
個人的には、密室殺人の小説として古典とされるガストン・ル・ルーの「黄色い部屋の秘密」の挿絵を描いたということが印象深い作家でした。

彼の作品をご覧になっていない方は、一度ご覧になってみるとよろしいかと思います・・・・。
ポスターや復刻版のリトなら、7〜8万円と買いやすい価格のものもあるようですが、できれば、サイン、ナンバー入りのリトグラフや油が欲しいです・・・・(笑)。
フランス人のニュアンスの妙が出ているかんじ・・・・シンプルなのに洒落ていて深い。

日本語で作品集もでていますので、機会があったらみてみてください。素敵です。

また、彼の作品には、奥様もよく登場なさいます。シャンタルというお名前で、多くの作品にでてきます。中でも、奥様をピンクの色を多く使って薔薇とともに描いた絵はとても綺麗でした。

奥様自身も、絵をお描きになるそうです。やはりふんわりとしていて、素敵です。
見る人が幸せな気持ちになる絵、とても清らかですがすがしい。



彼らの絵をみていて、イタリアのデザイナー、オッタヴィオならびにロジータ・ミッソーニ夫妻を連想してしまいました・・・・イタリアの誇る、最高のニットのブランド、私の憧れですが・・・・昔、昔、ミッソーニ夫妻のインタビューをみたことがあったのですが、美、仕事に対する情熱、夫婦の愛、家族の愛、そんな要素が溢れていたことを思い出します。

人間はそれぞれが元来、アーチストです。
どのような方面、どのようなトーンか、それぞれ方向性、個性は違うのでしょうが、もしかすると、そんなことを考えてもみなかった人でも、たとえば相性がよく、お互いがかたわらで自然にくつろいだり、生命力を刺激されたりするような相手にめぐり合うと、思っても見なかった自分の「生活芸術者」としての才能を発見するかもしれません。愛する人のもとにいるだけで、仕事や日々の生活への情熱が穏やかにのびのびと表現されてくる、そんな豊かな人生を送ること自体が、すでに美的な癒しとして周りの環境に貢献するんじゃないかと思います。

「一人ではできない」、夫婦の結びつきという土壌があってはじめ育つ、常にみずみずしくそしてつねに中心からブレることなく展開していく、そんな美しいコラボレーション。二人でいるからこそ生まれ出ずるものを人が美しいと思うのは、カップルとして人が共鳴することに周りが共振するからなのかもしれません。

その日の午後、彼らの絵をみていて、夫婦でいることは美しいことなのだと感じていました。
相手といると元気がでる、そして優しい気持ちになれる、「一緒にいる」幸せ。

フランスでは3組に2組が離婚するということですが、一番シンプルな幸せが一番得がたいものになってきているのかもしれません。それでも、2人で生きることの楽しさ、そしてそれをありがたいと思う誠実で正直な気持ちがあれば、いつまでも「くすぐたったい」部分を残した、それでいて美しい成熟にむけた関係を築いていけるんじゃないかと思います。

この本、著者のイギリス贔屓を差し引いても、大変面白い本ですよ。
カップルに限らず、人の関わりあいについて考えてみたいかたにおすすめします。

イギリスの夫婦はなぜ手をつなぐのかイギリスの夫婦はなぜ手をつなぐのか
(2007/06)
井形 慶子

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2008年9月15日 ニーノ・イタリアーノ

今回、ノルマンディーに在住の画家、Nino Giuffrida氏を訪れました。
それこそ、貴族の別荘のような大きなお家・・・・。
建物だけでも3000平米あるとのことです・・・・彼の事務所兼住居、アトリエと展示場も併設されているとのことでした。

日本にもファンがいらっしゃるというニーノ、現在83才ということですが、とてもお元気です。
最初は口数が少なかったようでいて、そこは熱血イタリア人アーチスト、途中からはイタリア語で大音響のカンターレを披露してくださいました。実際、小柄な優しくておもしろいイタリアおじさんです。真ん中にあるのは彼のアトリエにあった作品。
この作品とおなじトーンの壁画が館内、とくに階段の壁は素敵な絵で埋め尽くされていました。



いたずら猫が館を徘徊してました。(笑)
猫が大好きというニーノ、他にも数匹同居しているようです。


彼は1924年にシチリア島のタバコ屋夫婦の家に生まれました。
思春期に入り、芸術に興味をもち、美術を学び始めます。
兵役に出ますが、その間もローマやヴァチカンなどでミケランジェロやラファエロなどの作品に強く感銘
を受け、兵役を終えて間もなく、友人と共にパリを目指しますが、最初は手続きなどの事情でイタリアに戻ります。しかし、再度、パリに出ようと挑戦、ついにモンマルトルに居を構えます・・・・彼の愛するピカソが50年前に住んだ場所・・・・です。

当初はフランス語習得に苦労し、また故郷の暖かいシチリア島とパリとの気候の差がかなりつらかったということです。しかし、持ち前の情熱とイタリア人のねばり強さ、人好きのする性格とでアーチストとしての道を切り開いていかれたそうです。コート・ダ・ズュール、カンヌ、ヴァロリスへとアトリエを移し、個展もヨーロッパの主要各都市で開催、パリやロンドン、ニューヨークなどでも作品に値がつき、彼は芸術家としての夢を叶えていきます。

そして1961年、ニーノは最愛のピカソとカンヌのギャラリーで対面を果たすわけです。ピカソ直筆の彼の似顔絵は彼の宝物だそうです。

その後、パリの華やかなるヴァンドーム広場で画廊を開き、ピカソ、シャガール、ダリ、ミロなどの個展を開きます。情緒のあるノルマンディーの港町、オンフルールでも個展を企画実行したりしたそうです。

自らも芸術家であると同時に、素晴らしい行動力で様々なプロジェクトを実現してきた人らしいです。
彼の作品にはフランス語ではアルルキャン、もともとはコメーディア・デッラルテと呼ばれるイタリアを起源とする地方巡業の即興部分を多く含む風刺喜劇の登場人物達(ピエロやその他扮装した喜劇に登場する人達)、子供達、裸婦などがしばしば登場します。彼の遊び心と、純粋さ、そしてプレイボーイとして「ならした」かれの人生がそこに現れているかのようです。(笑)

詳しくは、彼のサイトでご覧ください。彼の作品などが画像で、また、英語、フランス語、イタリア語でテキストの閲覧が可能です。
http://www.ninogiuffrida.com/

別れ際に、それこそ「即興」というかんじで、いきなり手元にあったボールペンと紙で私の顔をデッサンしてプレゼントしてくれました。それまでのいたずらぽい眼とは違って、まるで射抜くような、それでどこをみているのか判らないような画家の眼で5分ほどで仕上げてくださいました。

丁寧にお礼を述べると、「描く情熱を与えてくれる対象に会えて、嬉しい」と話されました。
イタリアのプレイボーイはまだ健在のようです。(笑)



こうしてピカソが彼に即興で似顔絵をデッサンしたように、私もデッサンしてもらいました。ピカソと私は誕生日が同じなのですが、本当、「他生の縁」で頂いたプレゼントなのかもしれません・・・・不思議な縁を(勝手に)感じます。(笑)

愛すべき永遠の情熱イタリアーノ、ニーノ。
お若いときに会っていたらびっくり仰天、本当、今以上に圧倒されていたことでしょう。
イタリア 男の流儀(しきたり)イタリア 男の流儀(しきたり)
(2007/09/19)
ダヴィデ・セシア/ファブリツィオ・ラベッツァリ

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2008年9月14日 レトロなぬくもりランチ・・・ガイヤ城とAndely村

日曜日のパリは快晴。
ここのところフランスはローマ法王訪問一色、というかんじです。
この日は朝市の買い物を早めにすませて、車でノルマンディーに向かいました。

車でパリからA13を北西方向に90キロあまり走ると、ガイア城という遺跡のあるPetit Andelyという村に到着。川沿いを三歩しながらのんびりとくつろぎ、こちらにあるセーヌ河沿いの地元のホテルのレストランで昼食をとることにしました。絶好のドライブ日和で、いつになく(ということらしい)駐車場はほぼ一杯。



このガイヤ城というのは、1197年、当時のイギリスのリチャードI世、彼はフランスはノルマンディーの領主であったのですが、彼の「12ヶ月の期間で城を建設せよ」という命令で建てられたといわれるお城。当時、ルーアンは勿論、自分の領土をフランスの諸王から守ろうと砦の建設に取り組んだのですが、その完成をまたずして彼は矢の傷が原因の感染症でなくなり、兄弟がその事業を引き継ぎます。当時は戦略的な要所であったこの地も、1333年にスコットランドの独立戦争のさなか、David IIが亡命してきたりしましたが、1341年にDavidIIが帰国し(彼は後に捕虜となる)、その頃にはすでに要所としての価値はなくなり、このお城は様々な400年の変転の歴史を経て、フランスはアンリ4世の命により壊されたということです。以来、廃墟として、現在は歴史的なモニュメントとして存在しています。

ノルマンディーということろは、イギリス風とフランス風のカントリー調のセンスがほどよく交じり合った不思議な場所・・・・紛れもなくフランスでありながら、なぜかイギリス人の好みを連想してしまうようなお庭やお家、風景があります・・・・・食べ物は勿論、断然、フランスしてます。(笑)

立ち寄ったレストランは、豪華なのにどこか野暮ったくて、時代おくれの雰囲気、それでいてフランス人のやさしさや手作りのおいしさ、真面目なサービス。友人は前菜に特製のガチョウのパテ、私は鮭とほうれんそうがパイ皮に入ったもの、メインは2人も鴨のももにデミグラスっぽいソースがかかっていて、かりっとさっぱり揚がったポテトが付け合せに一皿づつついてきました(笑)。サラダとチーズをはさんで、特製のチョコレートケーキにフランス風「カスタードクリーム」(イギリスのクリーム)と呼ばれていますが、さらさらとしています)がかかったもの。渋みのここちよい、ワインと一緒に2時間近くかけてお腹一杯になりました・・・・店内は地元の正装した人やフランスの国内観光客で満席。

友人は「このレトロなかんじ、時代遅れの雰囲気がフランスの地方にはまだまだ残っている」と、懐かしい気持ちへといざなわれたのか、満足の様子。

何人であっても、洗練、能率、流行などを意識しがちな世の中で、実はちょっと時代遅れで野暮ったいけど、人のぬくもりのある空間、まるで昔の青春ドラマをみて心が温かくなるような、そんなほのぼのとした気分一杯のひとときでした。

旅の安全とこちらに来られたことのお礼に、この村にある小さなSaint Sauveur du Petit Andelyという教会にご挨拶に伺いました。
地元の人が子供の洗礼式をしているところでした。おめでたい席に居合わせるというのは、知らない人のお祝いでも気分のいいものです。静かに、参拝、見学させていただきました。
この教会は1202年に建設されました。フランスの当時の教会の特徴と、正面にヴァイキングを思わせる、北欧調のひさしのような飾り屋根が印象的でした。
中でも聖マルゲリータの15世紀の石造、聖ジャン・バプティストの17世紀の木の彫像など、他所ではあまりみかけないかんじの聖像が目立ちました。
大好きな聖テレーザの像はパリでみかけるものと同じスタイルでした。(南仏ではお顔が違ってた)
ひっそりとしていて、やさしい教会でした。


優しい気持ちになる、そんなひととき、フランスのもうひとつの魅力を再確認しました。

世界中で大都市を離れて田舎で暮らす人が増えてきているようです。
私は田舎に暮らしたことがないのですが、ムキ不向きってあるんでしょうかね?
田舎暮らしの本 2008年 10月号 [雑誌]田舎暮らしの本 2008年 10月号 [雑誌]
(2008/09/03)
不明

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2008年9月14日 お気に入りのリトグラフ



友人の経営するギャラリーをご紹介します。
住所は32 Rue de Seine。
パリをご訪問予定の方、また自分や大切な人にちょっと贅沢なプレゼントをパリで探したいという人にはよいアドレスです。
パリは6区のギャラリーがひしめき、実はひそかに有名人があっさり歩いていたりする界隈にあります。

シンプルでさりげない佇まいの画廊で、知る人ぞ知る、かなり素晴らしい作品の集まったまるで宝箱のような場所です。日本のリト通(リトグラフ)お客さんもかなりいるということです。
一般の人と並んで、業界のプロのお客さんも多いみたいです。

ご承知の方も多い通り、リトグラフというのはいろいろあって、手ごろな価格で手に入るカレンダーのような上質の写真みたいなものを連想する人もいるかもしれませんが、実際は枚数が限定されていて、作家の手書きのサインが入っているもので、かなり高価なものです・・・投資などの対象にも勿論、なっています。

今日は、先方の許可を得て、その中でも目立つものを2、3点をご紹介してみます。

こちらは、お店のウインドウに飾られている美しいシャガールのリトグラフ。
世の東西、年齢、性別を問わず多くの人が足を止めます。
白黒の作品なのに、華やかで人を惹き付けてやまない、不思議な一品です。
タイトルは「Marriage(結婚)」1968年の作品で、世界で50枚しかないものだそうです。
私もこれ欲しいです・・・・(笑)


お次は、ピカソのカラーのリトグラフ。
愛らしい(?)「ピエロ」です。
ピカソはコート・ダ・ジュールなど主に南部で共産主義系の新聞や雑誌にイラストなどを提供していましたが、これもそのひとつで、1961年にLe Patrioteという新聞の表紙用に描いたものをのちにリトグラフにしたものだそうです。



そして、こちらは見るだけで力がわいてきそうな、そして男性的なぬくもりのような変な存在感を感じてしまう作品。リノリウム板によるリトグラフ。
「Faune」(こういう角の生えた生き物)というタイトルで、1962年の作品。
こちらも50枚限定のもので、他の2枚同様、おなじみのピカソのサインが入っています。
Volorisse Arena。



パリにお立ち寄りの際、またはお住まいの方も、絵が好きな方はお立ち寄りくださいとのことです。
また、こちらの画廊の作品をちょくちょくご紹介していきます。

ピカソの魅力は普遍的なんですね・・・
誰もが魅力をかんじる、それでいて個性的で「おもねらない」・・・・

もっと知りたいピカソ 生涯と作品 (アート・ビギナーズ・コレクション)もっと知りたいピカソ 生涯と作品 (アート・ビギナーズ・コレクション)
(2006/01)
松田 健児大高 保二郎

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2008年9月11日 ムフタール通り

毎日のように通る、ムフタールという通り。
ここはパンテオンの裏から下る、商店街のような通りです。
庶民的なかんじで、観光客や若者むけのレストランやパブ、洋品店、パン屋さん、八百屋さん、お魚屋さん、チーズ屋さん、お肉屋さん、ワイン屋さん、パン屋さん、薬局屋さん、本屋さん、薬やさん、お惣菜屋さんなどがところせましとならんでいて、一種の市場的な雰囲気を醸し出していたりします。

土日ともなれば、大道芸人などでますます賑わい、特に土曜の朝はパリの生活の楽しさを絵にしたような趣もあります。

アメリーの映画にもでてきたりして、ここは観光名所的というよりは庶民的な情緒が漂っています。
今日は、オルゴール弾きのおじさんが、年季の入った自慢の喉を披露していました。
ドイツ人のカップルが一眼レフでばしばしと写真を撮っていましたが、頬をあからめながら、控えめなかんじでいながら非常に嬉しそうにしていたおじさん。私もあまりのよい雰囲気におもわず写真をとりました。誇らしげにみえるほどに、瞳をきらきらとさせていたのが印象的でした。
芸人として、注目されるということは本当に嬉しいのだと、いわんばかりでした。
ここには、ディズニーランドのパフォーマンスとは全然違う、エンターテイメントの心があります。



この通りには「夏の砦」などで有名な日本の作家の辻邦生氏がお住いになっていた小さなアパルトマンガがあります。その隣にはマラルメ、ボードレールなどとともに活躍した19世紀はSymbolism(象徴派)の詩人のポール・ヴェルレーヌが住んでいたという建物もあります。
実は、今日の今日まで、そんなアパルトマンがあるとは知らなかったのですが、通りでおそらくこの近辺の歴史的サイトのオリエンテーションを課題としてグループで回っている中学生のグループと遭遇し、それとわかりました・・・・。

ちなみに、象徴主義というのは、私が説明するのもおこがましい気はしますが、簡単にいうと当時尊ばれていた写実主義というのに対抗するもので、神秘的なものや人間のイメージなどを文学や絵画で表現していこうというものでした。ベルギーのフェルナン・クノップフやフランスのギュスタヴ・モローなんかでおなじみの方が多いかもしれません。

ヴェルレーヌは晩年はお酒や男色などに溺れ、退廃的な作品を残しています。
ちなみに、象徴主義ではフランスのユイスマンス(代表作「さかしま」)がイギリスでのオスカー・ワイルドと並んでデカダン(退廃的な美)の代表といわれています・・・・。図らずも、デカダンつながりで、昨日のブログで書いたオスカー・ワイルドとシンクロしています・・・・(笑)。

小さな、一階にちょっと悲しげな地味なレストランや、お店があるような、そんなぽつんとした彫刻などの飾りのない建物でした・・・・人間の精神性というのは、このような殺風景な生活臭がただようようなところで、いろいろな美や芸術の華をさかせるのだと、パリにいるとそう思います・・・・華やかな権力やお金とは無縁の界隈で、フランスを代表する芸術家が生きたというのは珍しいことではありません。人間の想像力、思考の強さというのを思い知ります。

夏の砦 (文春文庫)夏の砦 (文春文庫)
(1996/11)
辻 邦生

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フランスに興味があったわけではないのに、学生時代に傾倒していた澁澤龍彦氏・・・あの時代にかいまみたことをパリで体験しているような・・・・おそらく「前世つながり」だとおもわせる、19世紀から20世紀にかけてのパリの芸術の華をいろどる人達・・・・

さかしま (河出文庫)さかしま (河出文庫)
(2002/06)
J.K. ユイスマンス

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2008年9月10日 Parcours des Mondes 2008


パリのサンジェルマン・デ・プレでは9月10日から14日まで「Parcours des Mondes 2008]と題して、アフリカ美術をはじめとする部族芸術の展示会を行います。

昨晩は、サンジェルマン・デ・プレで画廊を経営する友人と、前夜祭としてすでに賑わうパリは6区の画廊界隈を散策しました。

この催しはもう十数年、恒例のパリの行事だということです。
日本では本格的な展示というのはそれほど頻繁にはみかけませんが、欧米ではアフリカ美術をはじめとする、部族芸術や民芸品の人気はとても高く、美術品のなかでも最も高額な取引が行われる分野として知られています。この催しは、この分野のフェアでは世界でも最も有名なもので、この期間は地元のいくつかの画廊が他所の画廊にスペースを貸し出して、期間限定の展示を行っています。

勝手な個人的印象では、こういうアフリカものはアメリカやイギリスなどのアングロサクソンの国が好むのだろうと思っていましたが、パリはやはり世界でもこれらの著名な収集家が多くいるところだそうです。今回は、フランスとベルギーの画廊が過半数を占め、アメリカ、カナダ、オランダ、イギリス、オーストラリア、スイス、スペイン、イタリアのこの分野での有名な画廊が合計65件ならびました。

この分野は苦手な私ですが、その中でもいくつか素晴らしい展示を行っていたと感激したところをいくつか挙げてみます。こちらはスペインのアフリカ、オセアニア、北米の部族芸術品を扱う有名画廊。
こちらも今回、現地の画廊のスペースを借りての展示です。アラスカのものをはじめとして、素晴らしかったです。


こちらも臨設展示で、お隣の素敵な石の階段がある二階建ての画廊で展示をされていたニューヨークのアフリカとオセアニアからの品を専門とする画廊。ブルキナファソ、マリなどのアフリカの木の像や大型のオブジェがなんとも神々しいまでのオーラを発していました。責任者のアメリカなまりのフランス語を話すチャーミングな50代の女性がとても朗らかに対応してくださったのが印象的でした。



もう、ほとんどロンドンかニューヨークにいるような錯覚に陥るほど、この場は北ヨーロッパや北米の人で溢れていました。フランス人とは言葉は勿論、洋服の着方や雰囲気が違うので、新鮮といえば新鮮、アフリカンアートのマーケットの大きさを初めて知った夜でした。

今回、一番気に入った(?)展示はかねてからこちらで営業されている画廊、Galerie Albert Loeb
です。Rue des Beaux−Artsという美術学校の前の通りにあります。マリ、象牙海岸、ナイジェリアなどフランス語圏のアフリカ諸国の作品を扱っているとのことです。今回は、マリのBozoやBambaraといった部族の神話や伝説上の人物や生き物を題材にした作品を展示していました。人魚や日本の七福神を連想させるようなものもあって、かなりユーモラスで可愛く、そして「本物」という風格のあるものを数多く展示していました。パリにお立ち寄りの際はのぞいてみるとよろしいかとおもいます。ちなみに12番地です。


前夜際ということで、普通の人よりも友人、顧客、同業者といった関係者の数のほうが多く、なんとも、この分野に携わる人がかなりアングロサクソンを中心に国際的なことに結構おののいたのですが、フランス人が大半の場合と違って、写真はかなり遠慮させていただくことにしました。雰囲気だけでも味わっていただければとおもいます・・・。(笑)

個人的には、アフリカ美術というと、呪術や宗教的儀式に使われるオブジェなんかのイメージが強く、今回も場所やものによっては、寒気がしたり、気味が悪いようなものもありました。展示で人にさらされたりすることである程度そういうものが「飛んだり」、またはそういう変なエネルギーを「抜いたり」する場合もあると関係者は話していました。何故か、アボリジニや南米や北米のインディオの工芸品などはとても好きなものが多いのですが、どうもアフリカものは念が暗くて重いものが多い気がして怖いです・・・ 一方、そんな中でも、かなり良いかんじのエネルギーを発しているものもありました。この分野、よほどの知識と、物品調達の確かなルートや「起源」をはっきりできないと、単なる「呪いのがらくた」とか、わけのわからないオブジェも溢れているそうです。絵画とはまた違った意味で、鑑定が難しいそう。お値段のほうも、かなりのものでした。そういう意味でも、今回の前夜祭、美術館見学的目的の人は比較的、少なかったようです。

この画廊のあるBeaux−Artsの通りには、知る人ぞ知る、L’Hotelというホテルがあります。
10年ほど前、オスカーワイルドの熱狂的な(?)ファンの友人が日本からやってきたとき、一緒に滞在したことがあります。かの有名な「ドリアングレイの肖像」や「幸福の王子」で日本でも知られる、フランスでも最高の文学者としてたたえられるこの作家はドラマチックな人生を、こちらで終えたそうです。数年前に改築され、特に痛みの激しかった客室がリニューアルされた模様。フロントは以前と同じでした。こちらのレストランはアートやモード関係者の出入りが多いことでも知られています。懐かしいので写真をとりました。

個人的には、私のパリの原点ともいえる界隈です。



シュトラウスのオペラでも有名ですが、このマニアックなケーン・ラッセルの映画、数十年を経ても色あせません・・・。オスカー・ワイルドの価値はフランスに来てから、意外にも知ることになりました。
ケン・ラッセルのサロメケン・ラッセルのサロメ
(2003/04/02)
グレンダ・ジャクソンイモジェン・ミライス=スコット

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2008年9月9日 秋のダイエット

昨日の午後からパリはすこぶる快晴!
町の人も午後になると夏服になって、昼には街のテラスは太陽を浴びて食事をする人で鈴なりの状態、夕方は遅い日暮れを楽しむ人達でカフェは大賑わいという様子。気温は27度近くまであがるそうですが、上着や薄手のセーターは手放せないです・・がくんと気温が変化することがよくあるからです。

夏の名残りを楽しむ人達、でも、もう秋です。
これから2ヶ月くらいはパリが一番美しいような気がします。
こちらはセーヌ川沿いにあるポスター屋さん。


一昨日、数ヶ月ぶりにあるジーンズを履いたら、きついので冷や汗がでました・・・(笑)。
このジーンズは私にとっては体重計ならぬ、体型計のようなもので、これを履いてきついかんじがしたら2キロうらいはオーヴァーしているという証拠。ヴァカンス中の「つけ」がまわってきたようなかんじです・・・。体重計には畏れ多くて乗れないのですが(笑)、ジーンズなどをはくと如実に体重の増減がわかってしまいます・・・・。

なんとかしないと、あとが面倒です。
むむ、今夜は外食の予定が入っているので、「明日から」ちょっと、なんとかしないと・・・・大変です。
この「明日から」というのが癖ものなので、今のうちにプランをあらかたたてておこうと思います・・・。友人と一緒にあるプランをたてました。私としてはかなりの妥協案ですが・・・・

1・高性能ミキサーを購入して、朝食は果物と野菜のジュースにする。
(足りなくて力がでなければ、有機無添加のパンを1、2切れ10時に食べる)
2・夕食かお昼か、外食は基本的に最高一日一度にする。
3.お魚は週に1回、卵も週に一回、お肉はお付き合いの場以外は避ける。
(ただし、メロンにのせる薄い生ハム(大好物)はしばしの間、許す)
4.土曜日は自家製ジュースと果物のみで過ごす。

これにプラスして、知る人ぞ知るという「オーガニック・シリカ」なるものによる治療を3週間続ける。
1週間間に休みをいれて、また3週間・・・と、数ヶ月続けることにしました。

ちなみに、シリカなるもの、これは(2酸化)ケイ素といわれるもので、人体を構成するのに欠かせないミネラル、またはもっとホメオパシー的に言うと微量元素なのですが、主に骨や皮膚や髪、血管などに含まれていて、一日で20〜30ミリグラムが失われていきます。これは地球を構成する主要要素でもあり、人間としてこの地球の一部であると同時に、地球の恩恵を受けているということをまた改めて認識したりもするわけですが、実は鉱物や砂に豊富に含まれるシリカは不溶性のため人体が吸収することはできませんので、よく良質で純粋なシリカといってサプリメントが出ていますが、鉱物系のものは人体に効果はないと覚えておいてくださいね。

私が常用しているのは、シリカを豊富に含む砂で育った植物から摘出したというシリカです。一方、これを安定化させる技術をもっているところは世界でも少ないです・・・・もとはよい材料で植物性(体が吸収できる構造をもっているシリカ)であっても、安定化の技術がないメーカーのものは、効果が少なく、また状態によっては効果がほとんどないものに高値をつけている場合がありますので、購入される場合はご注意ください。

このシリカ、骨折の際にとくに目覚しい威力を発揮します。また、女性の高齢化に伴う骨粗しょう症やその予防、男性の前立腺の疾患、また単純に老化防止や、組織のダメージを修復するのに極めて有効です。私の場合は体重の変化はみられませんでしたが、これを摂取することにより代謝機能が滞っていた人は痩せたりすることがあるそうです。簡単にいえば、加齢と共に受けたダメージを修復するのを助ける補助食品というかんじでしょうか・・・。人によってはリューマチの痛み、目の水晶体などにも有効に作用するらしいですが、薬ではありませんのでご注意くださいね。理論的には皺にもいいらしいです・・・・これをとると、肌から天然の油が程よく分泌されて、とても滑らかにみえてきますし、私の場合、ボディーロションなどはいらなくなります。

と、いうわけで、シリカを注文し、到着をまちながら、ジュースやスムージーやサラダのレシピを考えることにしました。10月からまた、どんどん、美味しいものが増える世の中・・・今から体調や体型を整えて、秋にのぞみたいと思います。

ブレンダー他にも買いたいものリストにのせるのがありますが、こっちのほうが買いやすい価格かも。
にんじんやりんごなど用にジューサーと果肉までとれるジュースはブレンダーで使い合わせます。
ブレンダーは高速でウィーンと一気にまわして、できたてを頂くのが、栄養素の損失、ダメージを最小限にたもつこつ・・・・そのまま食べるとダメージは少ないけど、吸収が落ちる、ということで、生ジュースと果物菜食を両立させるのがいいようです。
早速、明日はボンマルシェのスーパーにミキサーをみにいきます。
健康と美容の秋ということで・・・
Russell Hobbs クラシックブレンダー 3901JP
フルーツで野菜で!生ジュースダイエット (講談社プラスアルファ文庫)フルーツで野菜で!生ジュースダイエット (講談社プラスアルファ文庫)
(2004/05)
ナターシャ スタルヒン

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2008年9月6日 ファヴェーラの暴力の裏にある本当の問題

先日、久しぶりに映画館に映画をみにいきました。
Paulo Morelli監督初作品、Cidade dos homens、英訳すると「City of men」です。

こちらの作品は、2000年の衝撃的な作品、「City Of God」の続編として製作されたもよう。
これは日本でもファンの多い、ブラジルは貧民街(ファヴェーラ)でしたたかに生きる子供達〜若者の姿を通して、ブラジルの問題を武器密輸、麻薬、暴力などを通して見事に描いた傑作がありました・・・原作を読むと多少違うのですが、それでも大変よくできた映画(私がいうのも甚だおこがましいけれど)でしたよ・・・。勿論、DVDを何度もみています。

この作品で一番、面白いのが、ごく一部を除いてはほとんどが素人を起用したキャスティングで、演技始動などの白熱した人間対人間といったかんじのきれいごとでない、まさにリアルなメイキングなども見所でした。小さな子供でまったくの素人なのに、迫真の演技をしています。私はメイキングも何度みたかしれません。

今回は、「神の街」から「人間の街」というかんじでタイトルを変えて、場所は同じくリオのファヴェーラ、時代設定が今回は現代というかんじになっています。主人公のアセロラという黒人の少年は前作と同じ俳優を使っています。前作と同じく、いろんな状況、誘惑や強制を上手くかわしながら、悪の中にあって悪にそまらず、「かたぎ」でファヴェーラを抜け出そうという主人公を演じています。

このPaulo Morelliという監督は、もともとは建築を大学で専攻、テレビの番組制作などの経歴を経て今回、監督になったということ。多くのブラジル人と同じように、自国の状態を鋭く冷静にみつめながらも、人間としての憤りや悲しみや問題意識、愛をもって映画を作っているというのがよく伝わってくる映画でした。

ブラジル映画をご存知の方はおなじみの通り、この映画、やはりかなり唐突な場面の変わり方をしたりします・・・・出てくるポルトガル語も口語表現が多く、ブラジル人らしく「あれをそうやって、こんなかんじ」という、文脈依存主義的な話しっぷり、音楽や登場人物の体の動きなんかが、まさにブラジルしていて、今すぐにでも飛んでいきたくなるかんじでした・・・・。(笑)とはいっても、私は通りを歩くことも、ましてやファヴェーラに行ったこともありませんが・・・。

この映画のテーマはブラジルの社会問題、「無責任さ」もしくは「父親不在」ということです。
フランスでも片親というのは全然、珍しいことではないのですが、フランスとブラジルでは社会制度や保障など、背景が全然違います・・・もっと違うのが、ブラジルやアフリカではよく聞く話ですが、男性が子供を作ると作りっぱなしでいなくなってしまうということです。10代の遊びたいさかりに子供ができ、たいていは自分の親や祖母に子供をおしつけていく、さもなくば子供をおきざりにしていく、そんな母親がたくさんいます。

この監督は、そういった部分についても焦点をあてていると同時に、実は政治家、社会全体の無責任さについて語りたかったと話しています。問題があることはわかっていて、変えなくてはいけないことがあるとはっきりしていても、一部の人の利権などで延々としてなにも改善されない。結局、ファヴェーラで生きるような境遇の人は、その場しのぎで生きていくしかないわけです・・・ただ、この映画では、そういう監督のコメントというかメッセージは殆ど描かれていません。「父親」と「息子」というテーマについてファヴェーラという特殊な背景でもって描いているというかんじです。

こういう人達を動物的、文化のない土地とか、いろいろ批判する人もいます。
確かに係わり合いに一生ならないで生きるジャンルの人達でしょう。
でも、なけなしの状況で生きるかれらも、豊かといわれる社会に生きる私達もj実は同じ原理でまわる社会に生きているのかもしれません・・・。
例えば、人間というものは群れをなすようになると、そこに力の関係が生まれてくるのはどこも同じです・・・。それを金銭的搾取(?)というか一部による間接的な利権の独占という形で収めるか、それとももっと原始的な形で殺し合いなどの暴力で収めるかという違いなんだなぁという感想を持ちました。

この監督は社会問題を提訴する「戦士」と評されているようですが、そういった怒りがありながらも、淡々とブラジルらしく、なんともリラックスした形でこの映画を作っています。かなり、暴力がテーマでありながら、ブラジルらしい心地よさが漂っている、リアルな雰囲気のある映画です。

ファヴェーラの子供達は一時、特にリオで万引きや強奪(10歳にみたないで銃を所持していたりして、強盗殺人なども子供がします)に悩む商店街の自治会が殺し屋を雇い、彼らの「虐殺」が頻発した時期がありました。子供からと「甘いこと」をいっていると、すぐに撃ち殺されてしまうような状態・・・。どちらがいいとか可愛そうとか、そういうベースがなりたたないところで、門外漢が批判をしてもことはおさまらなかったという一例です。

そういった子供達がどこからきたかといえば、貧しくて若いうちに子供ができてしまったティーンの両親がともに子供をおきざりにしたので、子供は本当に野良猫のようにして同じような境遇の仲間と逞しく育ちます・・・そして暴力や麻薬のグループに入りながら生き延び、暴力抗争であっさり死んでしまったりする場合が多いとききます・・・・「City of God」はそういう子供達の生態をリアルに描いています。

ちなみに、日本でも人気のミュージシャン、ソウ・ジョルジというブラジルの黒人ミュージシャンがいますが、彼はリオのファヴェーラの出身です・・・かれの壮絶な人生は、「モロ ノ ブラジル」というカウリスマキ監督の映画でも語られていますが、貧しさの中で、どうしようもなく、それでもなんとか生きようとしてみたものの、ファヴェーラの住人にもうとまれながら路上で10年以上も暮らし、兄が目の前で頭を撃ちぬかれ、母親が公衆トイレで寝泊りするのをみて殆ど、発狂するところまで精神も肉体も荒廃していたそうです・・・・しかし、彼は最高にラッキーで、容姿に恵まれていた上に、素晴らしい出会いと音楽の才能がありました・・・シンデレラのような幸運をつかみ、現在はマイアミで暮らしているそうです・・・・パリでコンサートに行ったことがありますが、彼の歌よりも、彼が幼い頃からなじんでいるというなつかしのサンバのメドレーを歌っているときに、私におそらくは感情が移ってきて、涙がでてきたことがあります・・・哀愁に満ちた地獄、それがブラジルの貧民街なのかもしれません・・・。

モロ・ノ・ブラジルモロ・ノ・ブラジル
(2004/06/26)
ドキュメンタリー映画セウ・ジョルジ

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この映画、ブラジルの音楽のルーツから現代までをドキュメンタリーで辿った、フィンランドのロードムービーの監督、アキ・カウリスマキの作品。出来は?です。(笑)ただ、私も彼とおなじように、音楽や言葉、自然を通してブラジルが大好きになってしまっているという共通点があります・・・彼はこの映画によると、リオでライブクラブを経営し、現在はポルトガル語のタイトルにあるとおり「ブラジルに暮らす」そうです。

そういえば、ソウ・ジョルジは「City Of God」にも色男役(?)で出演しています。

それにしても、テーマが思い割には、からりとして美しいとさえ思えるこの映画、これぞブラジルの味というかんじの仕上がりでした。

現在は、もうひとつブラジルで興行成績一位となったやはりファヴェーラなどの暴力を描いた映画がかかっています。来週はそちらを鑑賞することにしたいと思います・・・・。

ご覧になっていない人は一度みてみてください。
問題は暴力云々ということよりむしろ、誰が彼らに武器を売って儲けてているのか、そういうルートがどうやって存在しているのか、そもそも、こういうものを製造しているのは誰のためなのか、私はむしろそちらのほうに世の中の関心が今後移っていくとおもいます。感情や暴力の悲惨さだけにのまれないで、根本を探るような映画が今後でることを期待します。
勿論、人間らしさと人間の獣性と人情、こういったところもみどころです。

シティ・オブ・ゴッド DTSスペシャルエディション (初回限定2枚組)シティ・オブ・ゴッド DTSスペシャルエディション (初回限定2枚組)
(2003/12/21)
アレッシャンドレ・ロドリゲス

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2008年9月5日 冷たい秋雨の日の過ごし方

本日のパリは曇り空、ときどき雨。
まるで10月後半をおもわせるような肌寒さ・・・・・ちょっと動くと暑くなるのでまだ厚手の綿コートに半そでのニットで充分というかんじ。

友人とサロン・ド・テにお昼にでかけました。
このお店は日本でも東京に2店あり、日本にもファンの多い、ブレンドが特にすばらしいことで知られるブランドです。
パリにはマレ地区と、シャンゼリゼそば、そして私達の行くオデオンそばと3店があり、有名デパートの食料品売り場でも商品が購入できます。店内はやはり女性客優位であとはカップルのみ。友人も最初は乗り気ではなかったのですが、質のいいランチと美味しい紅茶に最終的には満足していました。それにしても、サラダ単品で4000円ちょいというのはちょっと高いとおもいます・・・・けど。野菜もフォアグラもスモークサーモンもやはり高品質ということは食べればすぐにわかりますが・・・・

紅茶は友人は緑茶ブレンドで柑橘系と花の香りのする軽いかんじのものを頼みましたが、私は大好きなラプサンスーチャンをミルクとお砂糖をいれて、ポット一杯、満喫しました。実は、フランスでは紅茶に満足したことは殆どないのですが、あらためてこのお店の紅茶の美味しさに、うなってしまいました・・・。友人はデザートを注文しない私に疑惑の表情でしたが、実際、みかけによらずかなりのボリュームでしたね・・・・店内はパステルイエローの壁に濃い木の地肌で、ところどころ中国風のかざりがあったりして、コロニアル調。サービスは若い人が多いせいか、いまひとつぎこちないかんじでした。やはり、サービスする人は若いというだけでは駄目ですよね・・・・それぞれにやはり経験やセンス、気配りというものがなくては面白くないと、パリで最近はつくづく思います。



このお店の数件先に、ピカソが1930年代から20年余り住んでいた建物があります。


友人によると、このすぐ脇の通り、すなわち紅茶の店の入り口のある通りには当時のピカソの愛人だったドラが住んでいたとのこと。かの有名なゲルニカを仕上げたのもこの建物内のアトリエだったそうです。
また、当時ピカソが悪戯に残した紙切れにかいた絵文字や、ちょっとした気まぐれや手あそびで作ったがらくた様のものを、大切に拾い集めたご婦人もこの界隈に住んでいて、現在ではそれらのものはオークションでよい値段がついたりして、ひと財産築いたとか築かないとか・・・・いろんな逸話のあるところです・・・・ちょっと奥に入ったこの近辺は洒落たレストランも多いようです。お値段はロンドンでの小洒落たレストラン並み・・・・というかんじです。(笑)

秋の肌寒い雨の日は、暖かいそして香り高い紅茶をのんびりと楽しむのもいいものです。
パリでは雨が降ると「暗くて嫌だ」とトーンダウンする人が多いのですが、ときにはこういうのもいいもんだと私は思います。日本の秋は空が高くてまた、気持ちがいいのでしょうねぇ。

ご承知のように、紅茶といえばイギリス。
どこにいっても紅茶ははずれがない・・・・時間が取れ次第、私は大好物のラプサンを頂きにティーサロンを訪れるようにしています・・・イギリス人の友人の家では5杯、6杯と殆ど、互いにがぶ飲み状態・・・(笑)。フランスでも人気の高いフォションのアップル・ティー、マリアージュフレールの薔薇と燻製紅茶のブレンドをはじめとしたさまざまな紅茶の「マリアージュ」が楽しめ、イギリス人の友人もかなりひいきにしている様子でいますが、専門店以外では紅茶はかなりNGだと個人的には思っています・・・温度が低いのと、濃く入れるのをあまり好まないのが原因だと思っています・・・

しかし、パリ、ロンドンと高級店は互いに個性を花咲かせてしのぎを削っている(?)模様。
紅茶比べっていうのもおもしろいかもしれませんねぇ。
それにしても、本日のラプサンは美味でした・・・・まるで上質の紅茶と上質のシガーを一緒に味わっているかのような錯覚に陥りました。(笑)

RSVP 第2号 特集:パリ&ロンドン 紅茶をめぐる 二都物語RSVP 第2号 特集:パリ&ロンドン 紅茶をめぐる 二都物語
(2008/04/14)
不明

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2008年9月1日

フランスはもはや学童休暇もおわり、本格的に秋の新生活(こちらでは春ではなく秋)がはじまります。
このプロヴァンス紀行もこのあたりでしめくくることにいたします。
ここは世界遺産にも指定されている「ポン・デュ・ガール」と呼ばれるローマ水道。紀元前20年ごろにアウグストゥス帝の時代に建設され、ユゼスからニームへ続く水道だったそうです。
高さは50メートル近くあり、長さは270メートルほど。
現地を流れるガルトン川にかかっています。
友人によると、昔は上まで上れたということですが、安全柵なども一切ないため、強風が吹くと非常に危険なことから、現在は上ることはできないようです。



天気が素晴らしくよかったこの日は、駐車場から川沿いをのんびり歩きながら、キャンピングなどで川遊びをする人々で賑わうきらめきのプロヴァンスを満喫しました。コート・ダズュールとは近いのに全然、違う雰囲気に、この日も改めて、地元の文化の豊かさにうなってしまったのでした。(笑)
天気のよい日に訪れるのは最高の場所で、また、夜はライトアップもされるらしく、夜間も人が訪れるスポットのようです。渓流くだりのボートやカヌーなんかもあって、自然派むきのレジャーも充実しているようでしたが、変な賑わいや俗っぽさがなく、比較的シンプルで好感のもてる名所でしたよ。

お昼はこのローマ水道の始点でもあるユゼスというこじんまりとして美しい街でとりました。
クリーム色がかった美しい天然の地肌をもつ石造りの街で、とても上品なかんじをうけました。こちらの教会が素晴らしく、見事なオルガンがありました。街行く人も垢抜けた服装の人もかなりみかけました。テラスでの昼食はいちじくやもも、メロンをたっぷりつかったサラダを頂きましたが、半分以上の人がイギリスやオランダからの観光客で、熱心に石焼き肉とやらを楽しんでいました・・・・
2週間にわたる旅行で、私達はかなりゲロッパ状態・・・大抵は夜は会食スタイルになるので、昼はもっぱらサラダかフルーツで過ごしていました。フランス人はたいてい、よく食べますが、こうして三食の間でバランスをとっているようです・・・。それにしても、北のヨーロッパ人種はよく食べますねぇ・・・それも肉とか脂モノを・・・・びっくりしてしまいました。

このユゼス、それこそいたるところに不動産屋があって、この地にセカンドハウスや隠居の棲家をもとめるヨーロッパ人の人気が高いことを物語っています・・・。

さて、この日は夕方に友人のご家族の知り合いを招いてのディナーということで、御菓子をみつくろうことになりました。以前ブログでもご紹介した、カリソンというオレンジやメロン風味の砂糖コートしたアーモンドペーストのほかに、ここらあたりではパパリンと呼ばれる、チョコレートボンボンのようなものもあります。しあkし、暑さのために、今回はタルト・トロペジエンヌという大きなケーキのようなものを持って帰ることになりました。もともとは、アメリカ人や世界中の芸能人などで賑わうサントロペの名物。

見た目は、あの「ナボナ」という御菓子を直径30センチくらいにしたもので、中にはナボナのような軽いクリームがサンドされています。こちらでイギリス風クリームとよばれるカスタードとは違い、もっと空気のたくさんはいって、軽いもので、オレンジだかレモンだか、かんきつ系のフレーバーがします。行き当たりばったりで、お店に入って、目に付いたものをを買ったのですが、これは大好評。12人あまりいるメンバー全てが「美味しい!」を連発。図らずも、その晩のテーブルでは一番の賛辞をうけた友人は、らしくもなく恥らっていたほどです。

誠に、イタリアもそうですが、なんといってもフランスは食文化がその土地ごとのバラエティに富んでいて、ワイン、御菓子、お料理、パンなど品物別でもほんの数十キロの距離を移動しただけで、「美味しい変化や発見」におもいがけなく遭遇します。面白いのは、こういう魅力を愛する主に富裕層がヨーロッパの各所から訪れ、別荘を買い求めたりして定住していることです。美味しいもの、美しい景色、太陽、そしてやはり文化があるところ、豊かな人で賑わうのでした・・・。

2008年8月31日 ボー ドゥ プロヴァンス



今日ご紹介するのは、プロヴァンスで一番の観光名所といわれる、シャトー・デ・ボー・ドゥ・プロヴァンス、Les Beauxという(レ・ボー)名称のほうが親しまれているところです。プロヴァンスで滞在したサン・レミとアルルの間にあり、語源はご覧のようにプロヴァンスの言葉で「岩だらけ」のという形容詞から同じ音のBeauxというフランス語をあてたといわれています、特有の白い岩肌をいたるところに覗かせた独特の景観をみせる地域で、アルプスもここらあたりから形成されているといわれています。地元ではAlpilles(アルピーユ)と呼ばれる丘が連なり、そこに城砦が築かれています。

ちなみに、鉱物のボーキサイトはこの場所で発見され、名前の由来となっているそうです。

歴史は紀元前5000年以前ととても古く、主に中世の時代の領主としてボー家は知られています。プロテスタントを擁護する地域としてしられましたが、17世紀に陥落。現在ではボー家の名前はボー侯爵としてモナコの王家に引き継がれているそうです。

訪れたときは駐車場確保するのに何度もあたりを徘徊(?)しました・・・・中はレストランやみやげ物屋などがところせましと並び、シャペルもあって、内部は歴史アミューズメントパークといったかんじ。子供連れにいいようなサイトです。中世の時代の巨大石投げ機なんかがあって、当時の扮装をした人がデモンストレーションをしたりして、男の子がおもちゃの剣なんかをもって駆け回っていました。

小さな礼拝堂もあって、内部は画家ブレイヤー(Yve Brayer)による絵によって装飾がなされていました。ニースのそばのジャン・コクトーの礼拝堂とモチーフは違いますが、同じ趣向でした。彼の作品を展示した美術館もそばにありました。友人は不満足のようでしたが、私は楽しんでみました。このボーのお城見学では一番「まし」だったかも・・・(笑)。


このボーといわれる地域で、素晴らしかったのは、地中海までみわたすそのパノラマですが、今回はそれとならんで「イメージの聖堂」とよばれる場所でした。午前中に到着したのですが、石切場を思わせるような、なんともいえない雰囲気のオーディオ・ヴィジュアルの技術を生かした美術展示スペースです。天からの光が美しく差し込んで、荘厳な雰囲気でした。


ちなみに、宗教とは関連はないようです。
内部は真夏でも16度の温度が天然で保たれていて、キャミソール・ドレスでいた私は震えあがってしまいましたが、展示内容のあまりの素晴らしさに、30分以上過ごしてしまいました・・・出てきたときは体が冷え切っていました(笑)。

2009年の一月4日まではゴッホの生涯とその作品をテーマにした「スペクタクル」がみられます。
白い地肌の石をくりぬいた内部では、天井、床、壁前面にいくつもの絵画や写真が映写機で映し出され、音楽が流されています。まるで、夢の中、メルヘンの中、空想の中を散歩しているような錯覚に陥ります。目と耳を使って、人の空想や想像力を豊かに膨らませる、素晴らしい展示でした・・・頭や理屈ではなく、年齢も文化的背景や言語も関係なく、感覚で芸術を鑑賞する楽しみ(本来、そういうものなのだと思いますが)。寒くなければ、午前中一杯、楽しみたかったです。本当、素敵でした。

2008年8月30日 タラスコン

アヴィニヨンから車で20分くらいのところに、ローヌ河沿いに建つ15世紀のルネ王のお城、タラスコンがあります。このお城は現地では「ルネ王のお城」と呼ばれています。このお城の建設に着手したのはフランス王家はヴァロワ家の流れを汲み、アンジュ王ルイ一世を初代とする貴族。このルイ1世のひいおじいさんがイタリアのナポリの王家と婚姻関係を結んでいるため、イタリアのナポリのアンジュー家とも繋がっています。このルネ王はイタリアではレナート1世またはナポリ王などと呼ばれていて、フランスではアンジュ公ルネと呼ばれたり、前述のごとく単にルネ王と呼ばれたりしています。時