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Author:つばきりゅう
なんかその都度「?」と感じた一見関連性のない細かいことが最終的に大きな像を結ぶ。そんな観点から幸せを実現していきたいという気持ちからはじめたサイト。よろしくお願いします。

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2009年5月28日 ある2人の家政婦さんの話

家の近所にある芝生で日光浴をしながらみたアンバリッド。
数年前に金箔を貼りなおしたということで、青空にきりりと映える勇姿。
こういう歴史あるその国のよさを表すような建造物の保存と修復にお金をかけるというのは、フランスのよいところだと最近あらためて思います。



今朝はトレーニングにでかけていましたが、するとなにやら右後ろのほうからねばついた、気持ちの悪い「気」をかんじました。普段はトレーニングのときは自分のことに集中してるのですが、気なるので振り返っておそるおそる見てみると、年配の男性が懸命に腰をまわしながら、不気味な柔軟体操をしていました・・・・ひょぇ〜・・・・。いかめしい修行僧のような表情をして、あごひげを蓄えていましたが、なんだかべとつくかんじ・・・怖いものみたさで「気」をとられてもいけないので、視界に入らないところで私は練習に励むことにしました。(笑)

何だったんでしょうか?あのねばつきは気色悪いものでした。(爆)

などと考えながら家にかえると、マダム・XXXがきていました。
家に定期的にアイロンかけと掃除に来てくれている年配の家政婦さんです。
友人によれば、そのほかに2、3人若い家政婦さんにお願いしたことがあったそうですが、いない留守に来てもらって、勝手にタキシードやスーツを借りたり、長距離電話をかけまくったり、留守に人を連れ込んだりしたことがあってこりごりしたそう。彼女はそういったことがないということでした。

ブラジルなどでは、家政婦さんの手引きで強盗殺人などが起きることが多いといいますから、下手すれば命がけ。そこまでではないにしても、鍵を渡す人をみつけるのは、簡単ではないようです。

私はそんな話をきかされてよい印象をもっていたわけで、はじめてあったときは「お世話になっています」という気持ちをこめて、気持ちよく仕事をしてもらおうと世間話などをにこやかにしてお茶の時間にはケーキなどをだしたりしていました・・・。

しかし、素朴な人というかんじがした一方、なんか悪い意味で「変」でした。

友人によれば、彼女は通称「マダム・ブンブン」ということで、いろんなものを壊したり、みつけられないようなところにものを仕舞い込んだりされるので、来る前に片付けたり注意が必要といいます・・・。それでも長い付き合いだからと基準よりもかなりよいお給料を時給で支払っています。

実際、1年くらいの間で判ったことは、誰もいない時が殆どなので、このマダム・ブンブンは長いこと遅くきて早く帰っていたらしいということ、掃除が好きではないらしいということ、食べかけのものがあれば食べてしまうということ、化粧室のクリームや香水をふんだんに使うこと・・・・、普段こわれないようなものもかなり壊すということでした。面白いのは家には置物や植物などが飾ってあるのですが、それらの配置を換えたりして楽しんでいるようだということでした・・・微笑ましい反面、埃のひとつも払ってもらったほうがいいとおもったりしましたが、あえて言いませんでした。

そのうちに、自分がものを壊したり、乱雑に扱っておきながら私には「壊れたのであれを買っておいてくれ」とか「こんなんじゃやりにくい」とかいろいろぶつくさといいはじめる。友人にはこれみよがしに、にこやで愛想をふりまくのに、私にはかなりぶつくさいったりする・・・様子をみてだまっていましたが、ついに友人にそれを話すとびっくりしていました。

後でわかったところによると、マダム・ブンブンの頭の中では私は友人に「拾われた」若い中国人女性だったということで、偏った知識や固定観念から、はなはだしい誤解をしていた模様・・・。私にエイズの検査はするべきだとか、男性は信用できるかどうかみきわめないと捨てられて泣きをみるとか、わけのわからないことを舌たらずのフランス語で語っていました。友人についてもかなり人物像をゆがめてとらえていたらしく、かなり笑える話もありました・・・が、本人は気分を害した模様。

いずれにしても、マダム・ブンブンの抱いていたあまりにも次元の低い勝手な想像にごっそり気分の悪くなった私は、友人に彼女の仕事なら私がやっても大して負担にはならないと提案しました。現に細かいところの掃除は私がしているのですから。誰かを雇って気分が悪くなるなら、雇わないで済ませたほうがいい。

マダム・ブンブンはとどのつまり「悪い人ではない」ということになるのですが、一方、見識とかセンスがないというか、頭の中で自分の発想にまかせて勝手にいろんなことを作って生きているタイプ。

友人がそもそもマダム・ブンブンを紹介してくれたある家政婦さんからきいたところによると、ブンブンは若いときに身ごもって捨てられ、その後身重のまま酒飲みの職人と結婚したらしい。はじめの子供を夫が認知せず、次に夫との間に生まれた子供とは認知したとかしないとか、夫には服従しながら、自分は家計を支えるためず〜っと家政婦を続けてきたというもの。逞しく見える手は腱鞘炎で震えていました・・・。

マダム・ブンブンは働きづめに働きながら、他人のクリームや香水を使ったり、食べかけのお菓子を食べたり、できるかぎり「さぼったり」することが慰めであり、楽しみだったんだろうということになりました。「たいしたことではない」と友人はいいます。でも、私はやはり嫌だなぁ・・・。

私がはじめに感覚でかんじた彼女に対する「違和感」とはこういうことだったんですねぇ。

自分の中ではよかれと思ってしていることでも、それが伝わらない人はかなりいます。そういった当初はわからないけれども「ズレがあるよ〜」というのを知らせてくれるのが、この「違和感」、便利に使うことを覚えたいと思います。同時に、相手の中ではよかれと思ってしてくれていても、私にとっては丘と違いということもあるわけです。

その後、ブンブンにはどう対処しているかって?
たまに友人に顔をだすようにしてもらって、私自信あまり笑って話さないようにしたら、きちんと定時にきて前よりも目につかない仕事もするようになりました。マダム・ブンブンにとって、うちの仕事はかなり楽で良い仕事に入るらしいので、失いたくないという気持ちが働いたからでしょう・・・・この場合、恐ろしいほど察しがよい。

尊重して自由裁量にまかせられてきたことの幸運に気がつかず、いざとなったら職を脅かされるかもというほうに発想が働くタイプのよう・・・。

これも傍から見れば、自分の意識が現実をひきよせているというか、まさに作っている。
悠々と生きるよりびくびくとしえ生きるタイプ。
自己評価が低いといえばそうですが。

一方、マダム・ブンブンの40年来の友人で、彼女を友人にそもそも紹介してくれたという家政婦の方がいます。

彼女もやはりヨーロッパの移民で、若いときに身ごもって大きなお腹を抱えて相手の男性を追ってパリにでてきたものの捨てられてしまい、パリに出てなんとか家政婦をしながら生活をはじめたそうです。

彼女の人生はスタートこそ同じ、でも対照的なのです。

この方は昔、友人のお兄さんの家で週に一度家事をしていたそうですが、教育こそなかったけれどとても頭がよく、文学や絵画などに興味をもっていたそうで、仕事もかなり細かかったらしい。

そんなことから、文化人の家で家政婦のお仕事をしたりすることが多かったそう・・・。あるとき、ある仕事先の(根拠なしに可能とあらばえばるタイプの性格の人らしい)奥さんがつまらないことでいちゃもんをつけた際に、「そういったものでもないのに、大奥様ぶる人物には耐えられない」とさらりといい、あっさりと辞めたそうです。その後、その家では数年、家政婦さんが入れ替わり立ち代り・・・というかんじで苦労したそうです。

その件について、私の友人は「あぁ、彼女はとてもきちんとした仕事をする賢い人だったし、著名な優れた人の家で働いてきたから、つまらないことをいわれてまで働きたくなかったんだろう」とまわりと話したそうです。実際、彼女にお願いしたものの手が一杯で、その友人ということでマダム・ブンブンが来たというわけです。

その頭のよい家政婦さんはもう引退したらしいいのですが、再婚もせず、必死になって稼いだお金で娘に教育を受けさせ、自分の国に家を建て、自分の娘とその旦那さんと一緒に幸せに暮らしているということです。

その家政婦さんは、誇りをもってある意味仕事先の人を逆に品定めさえしながら仕事をし、よい仕事をきっちりして家まで建て、今は安心と自適に暮らしているそうです。

例えば、この2人の家政婦さんの話ひとつをとっても、実はその人の持っている「質」というか「価値観」みたいなもの、「意志」みたいなものは人間の人生において、年月となって形をとって現れてくるものだと思いました。

自分が心の底で自分にとって相応しいと思っているものを人が手にするというのは本当なんだなぁ、とあらためて思ったエピソードでした。

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2009年5月22日 くるみ割りのヴァレリー

パリはお天気、日中最高気温は20度。
先日でかけたところで、モスクワ市バレエ団の「くるみ割り人形」のポスターをみかけました。
くるみ割りのリスがトーシューズをはいている姿が微笑ましかったので、「面白い」と笑う人もいるかもしれないと思い、写りは悪いけれど写真をアップします。



バレエなど、暫く観にいっていませんが、クラシックバレエにしろモダンにしろ、鍛え上げられた肉体の美しさと踊り手の集中力に人間の美しさが全開になっているのを目の辺りにして、肉体と精神を授かったことを人類を代表して天に捧げているんではなかろうかと思って、毎回、感動してしまいます。

先日、適職について考えるセミナーに出席するよう要請があって、こういうものは殆どなにも得るものがないからなぁと、しぶしぶ出かけました。そこで同席したある2人の女性とお茶を飲むことになりました。

あちこちに出没する私はともかくとして、その2人の女性をみていると、どう考えても、お茶を飲んだりましてや人生を語ることなどまずはなかっただろうというくらい、違う世界の人達でした。

ヴァレリーは50代前半のブロンドのフランス人女性。
白いくちなしのヘアバンドをして、ラフなスタイルをしていても、その容姿や話し方からしてもよいところの奥様で仕事もそれなりにしてきた人というかんじ。

ミッシェルは50代後半の、アルジェリア系フランス人の女性。
テキパキとして親しみやすく、しかしかなり苦労をしながら自分を磨いてきたような、優しさとユーモアとともに自分の人生を頑張って生きてきた人というかんじ。

なんの共通点もみあたらない2人の女性。
強いて言えば、フランス語を話しパリに住み、現在「適職セミナー」に関心があるということでしょうか。

ヴァレリーというブロンドで長身のきちんとした話し方をするこの女性は2年前、当時の夫が突然破産したことにより、パリは高級住宅街の160平米の綺麗にデコレーションされたアパルトマンをそれこそ「赤紙」を張られて追い出されたそうです。それまでの彼女はブルジョアの出身で175センチ以上ある長身で容姿端麗のブロンド、もっぱらクラシックバレーとゴルフとテニスとピアノなどに特化した人生だったそうです。勿論、真剣に仕事を探すとかは今になってはじめてしていることのよう。

彼女は30歳くらいで、イギリスの投資家と結婚してロンドンの高級住宅街に暮らし、それこそ華のような生活・・・を送っていたらしい。長男も産まれ何の不自由もなかった生活。それが、突然、イギリス人の旦那さんから「僕は破産する、君と息子は巻き込めない、君は離婚してフランスに帰りなさい」と、その時に必要なものを渡されてフランスに帰ってきたそうです。その後、旦那さんは裁判を経てかなり大変なことになったということです・・・・・が、彼女を守るにはそれしかないというくらい追い詰められていたそう。

そこで、彼女はパリに戻り、容姿や持ち前の「気品」みたいなもんを生かして、その後は小さな弁護士事務所などで秘書をしながら家事手伝いをしていたそうです。ただ、仕事は本人いわく「見掛け倒し」、それでもきちんとしたみかけは大切だというような仕事だったそうです。

そして「目も覚めるような」美貌の実業家と出会い再婚。46歳になったとき、次男を身ごもり出産。その直後、羽振りのよかった筈の旦那さんがいきなりにっちもさっちもいかない破産状態だと知らされ、身の回りのものを確保して実家に帰ったという・・・ その後も旦那さんからは子供の養育費はおろか食費の入金もなく、逆に借金を一部かぶらされる始末・・・・現在、弁護士をたてて係争中とのことですが、実家にお金がなければ、路頭に迷っていたところと話していました・・・・。

ヴァレリーは「こんなどろどろになるとは思わなかった、とんでもない嫌な奴だけど、出会ったときは素晴らしい美貌だったの!」というと、ミシェルがすかさず「男性は顔かたちじゃない」と静かに首を振っていました・・・。

ヴァレリーは何故、見ず知らずの私やもう一人の女性に、友人にも話していないこんなことを話したのかはわからないといいながら(フランスでは泣き言をいうのは惨めなことだとされるため、他人には泣き言をいわない人が多い)、堰を切ったように人生を語る・・・。仕事を探しているがみつからないといい、履歴書を見て欲しいというので見てみると、アイドル歌手顔負けのポーズ写真に、キャリア欄よりボリュームの多い趣味欄・・・・ よくてお見合いのつりがきというかんじ。

おそらく、2番目の結婚までは年齢もあって、これでOKの人生だったのでしょう・・・・。写真は綺麗だけど、つけないほうが真剣でよい印象を与えるだろうというアドバイスをしておきました。

反面、ミッシェルという女性は何度か恋をしたこともあるようですが、情の厚い彼女、人間味のある関わりといえばそうですが、生涯の伴侶としては問題の多いような男性とばかりあってきた模様。両手の指に古い金の指輪を何本もつけていたのが印象的でした。お金を無心したり、働かなかったり、お酒を飲んだりという相手に対して、賢い彼女はそこで感情的になるのではなく、上手く綺麗に身を処してきたらしい。彼女は生涯独身だったし、これからも一人だという。小さな会社や公共事業関連の臨時の秘書などの仕事をしながら、つつましいながら自立した生活。

現在はパリの中心にある古い建物の小さなアパルトマンに暮らしているといいますが、近所の人やなじみの商店の人などと仲良く付き合っていて、人情横丁のようなところに住んでいるみたい。大変なこともあるけど、自然体で幸せに暮らしていると話していました。彼女はおそらくは正反対の境遇に生まれ育ったヴァレリーの愚痴を温かくそして立ち入ることなく聞いてあげて、履歴書についても懇切丁寧なアドヴァイスをしていました。

この2人、「貴女は?」というので、ごく簡単に自分の話をすると、ブロンドのヴァレリーは私を抱きしめて「いいわね、これから綺麗なことが一杯あるのね、でも生活力はもっとかなくちゃ、私なんてこの歳になってこんなことになるなんて・・・」と言い、ミシェルは「しっかりね、自分の足場をもつように、幸せでも人に頼らないように、人生一度きり、妥協しないで貴女のしたい仕事をしなさい」と話してくれました。

3人で電話番号を交換しましたが、おそらく彼女達に会うことは2度とないでしょう。
変なというか、不思議な出会いでした。

よくは判りませんが、この2人の女性をみていてどちらが女性として幸せだろうと考えるとなんともいえない気分になりました。

よく言えばヴァレリーはとても単純で素直、ミッシェルはつつましくて謙虚。
それぞれの人生、それぞれのテーマがあって、それぞれ大変なのでしょうが、あまりにも対照的な容姿、境遇、性格、そして人生パターンのの2人の女性を目の前にして、意義深い一日となりました。

自分が口を閉ざしたきたことを「通りすがり」の2人にばかっとぶちまけたヴァレリー、そして穏やかな笑顔の下におそらくはずっと閉まってきた苦労や悲しさがあるミッシェル。
なんか、写真と偶然のようだけど、小さい頃からバレエをしていたというヴァレリー、今回は彼女の「くるみ割り人形」だったんでしょうか?(笑)

袖摺りあうも他生の縁。
2人の幸せを祈ります。

男性も女性もやはりよい伴侶をもつというのは人生にとって決定的なことのようです。
それにはやっぱり、神様のお陰さんです。

結婚している人も、そうでない人も、男女問わず「色気」が気持ちにないとあきまへん。(笑)
そんな「いろ」を心にぽつぽつとともしてくれるのがお聖さん。
お気に入りの、三部作。

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2009年5月18日 五月に着るもの

パリの月曜日の朝は見事な「五月晴れ」。
ここのところ続いていた陰鬱な空から一挙に快晴とおもいきいや、青い空を背景に凄い勢いで雲が流れています。今週後半は、気温も上がるということで、夜9時すぎまでゆっくりとした陽のある時間を楽しめるようです。



朝のラジオをひねると飛び込んできたのが、ステファン・グラッペリの見事なヴァイオリン。
彼の音楽は空を飛んでいるといつも思うのですが、私にとってたまに「あぁ空飛ぶかなぁ」と思うアーチストは、ジャン・コクトー。実はいろいろある中でも日本人にかなり愛されているそうです。ということで、ちょっと値打ちものポスターをアップしてみました。

パリの画廊のオンライン・ギャラリーというのを開設するお手伝いしているのですが、なんだか作業が遅れていてなかなかアップできないでいます・・・。先日はサンジェルマン・デ・プレにある画廊が一般公開ということでフェアをしていました。一方、来月は右岸の画廊の一般公開があります。昨年の前夜祭はかなり華やかでしたが、今年は「危機」が深刻化する中、どうなるかみてきたいとおもいます。前夜祭はいろんな人がくるので、かなり面白いです。

パリのマティニヨンやサンジェルマンにある画廊というと、数億、数千万、数百万、最低でも数十万と「高額なものばかり」というイメージが強くて、敬遠しがちですが、実はそういうものばかりとはかぎりません。そもそも、アートというものはパーソナルなものからはじまって、それが集まって大きな流れへとなるもんじゃないかと思います。

とはいっても、購入する以上はある程度価値がないと嫌だと言う人も多い。

ということで、開設途中のオンライン・画廊では、数万円〜一般の人が楽しみで買い求めることができるようなものを紹介しようとしています。安売りでもぼったくりでもなく、しかし他所で同じものを探すよりはお得だというかんじでしょうか。複製とかではなく、作家のサインの入ったもの、もしくは出所がはっきりしていて価値が市場で認められているもののみを扱う予定です。アートのお好きな方はお楽しみに。

昨日は、アメリカ人の友人が「ワードローブ交換会」というのを開き、ちょこっと行ってきました。アメリカ人のこういうフレンドリーな合理性はとても面白いと思います。フランスと違って多少、チャーミングな「ヴァニティ」感覚があるのもご愛嬌・・・・(笑)。要は自宅の洋服ダンスにある、状態はいいけど着ない服や靴や、使わないバック、アクセサリーなどをそれぞれが持ち寄って、交換するという会です。7人のうちアメリカ人が3人、ダラスで11年暮らして帰ってきたばかりというフランス人が1人、ニュージーランド人が一人、ハンガリー人が一人、そして私という内訳。チップス(といってもジャガイモやバナナじゃないやつが人気)やクッキー(何種あったかわからないほど)、がテーブルにてんこ盛りになっていましたが、それぞれにお洒落をした参加者が乾燥機からニューヨークの近代美術館のチャリティーの話題まで幅広く盛大に話しをしながら、あれだこれだと交換会をするというもの。

普段、ブランドものは行きつけの中古屋さんに預けて処分したりしますが、それでも売れないものは状態がいいと下手すると10年以上、「たんすのこやし」になってしまいます。いらない物はためらいなく捨てる私ですが、それでも今回参加するのになんかみつけなくてはならず、「なんかもういいや」と思うものを持ち寄りました・・・・フランス人だと、「ただでよい状態のもの」というと、貰ってくれる人はみつけやすいのですが、今回はちょっと苦戦。

結局、ものというのは使い込める、または気分よく使用できて、思う存分使うかずっと実につけるかできるものを買うに限るという、単純なことにまた気がつくのでありました。

それにしても、アメリカ人などはとくに新しいものをぐるぐるとこうして、人と協力して着まわすことになれているかんじ。ものがよいものを10年着るというほうがいいとは思っても、常に新しくて流行をとりいれた軽いものをたくさん着まわすという楽しみもいいもんだと思ったりもしました。

私も36から38へとサイズがアップしてしまっていますが・・・(汗)。
サイズ維持と合わせてやはり、センスと何より元気でいることが「衣」の基本ですね。
やっぱり、洋服の数より、自分の健康管理のほうが大切・・・などと思ったりして。
でも、着るものをかえると、よい気分転換になることは確か。
金銭が介入しない、こんなリサイクルシステム、みなさんもいかがですか?
ただし、ある程度、同じ価値観のある人同士でないと、「交換」にはならないのが難点。

我が家では野菜を益々増量して、美しい季節に備えます。(笑)
男女共に、それぞれのベスト体型で、夏に望みましょう!

着るものにこだわりすぎるのではなく、楽しい生活の一部として楽しめばいいんですよね。
サイズのあった(それなりに健康維持は大切ですが)、その場その場で着心地のよい、それでいて見目に心地よい、自分に似合ったものを見につけるというのは、「教養」だとおもいます。
「衣」というのは虚栄でも欲にまつわるもののでも、ないんでしょうね、本当は。

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2009年5月11日 善とか悪とか、幸せとか

パリの週末は22度まで温度が上がり、翌月曜日の今日は朝から冷たい雨が降っています。
大好きな牡丹の季節で、家の寝室には大きな牡丹が10本、ほころばんばかりに見事な咲きっぷり。
リビングにはリラの大きな花束、これは行き着けの親切は花屋さんからの頂き物。

ある程度の価格をつけて商売する花屋さんですが、とてもかんじがよく、いつも葉ものをあしらって、ブーケにしてくれます。なんでも仕入れ後3日以上花はおいとかないということで、2日店頭にあったリラを「まだ一週間は楽しめますよ」と大きなブーケにしてくださったとのこと・・・。

ここ暫く、安売り花屋さんで百合をごっそり買い込んだりしてきましたが、華のもちが違う、ましてやお互い「どうしてる?」と心配しあう顔なじみから買うというのは、やはり「気」分が違います。

値段の高い安いだけで判断するのではなく、安くても高くても、それを提供する側の考えというか方針というか、そういうものを考えてこれからも消費者活動(すなわち買い物)を続けていきたいと思います。単純にいえば、いろんな意味で気分がよくなる買い物です。(笑)

安物合戦、スーパーやチェーン店が大多数を占めるパリですが、そんな中でも商店街や市場での買い物がよいと贔屓にするフランス人は多いです。こういうことがあいまってパリでの「美味しい生活」や「雰囲気のある生活」というのが成り立つんでしょうね。量販云々というのは、品物によっては便利なようでも、実は世の中が質的に貧困化する大きな原因のひとつだと思います・・・。

こちらはベルギー王立美術館にある彫像。
一見、天使のようですが、これは堕天使、すなわち「悪」のほうです。


一見「善」のようで、よくみると「悪」だったということはいろいろんな生活の局面であります。
下手すると、それが死ぬまで大多数の人に気がつかれないで、死んだ後も暫く良いこととしてあがめられるようなことも多くあります。

先日、「パリスマッチ」というフランスの写真週刊誌で、パオロ・コエーリョというブラジル人の人気作家のインタビューが載っていました。世界中にファンの多い作家で、彼の小説は殆どの言語に翻訳されています・・・お陰で、原書(ポルトガル語)で読みたいと思ってアメリカやヨーロッパのオンライン書店を当たっても入手が難しいというのが、難点(?)。日本語訳の話もとてもよいそうです。

彼は現在ジュネーヴに最愛の奥様と一緒に暮らしているそうです。
面白いもので、世界のかなりなお金持ちが(主にヨーロッパ系)なんらかの理由でブラジルに暮らしているのですが、ブラジル人のお金持ちはまずは一般的なところでアメリカ、そして出来ればヨーロッパというところに住むようです。

ブラジルは最高!の国ですが、ただやはり治安の面では相当気をつかいますし、一番残念なのは町を「歩く」ことを楽しむというのが、大都市では非常に難しかったりすることです。

私の友人の中にもいますが、ブラジル人はいろんな人種が混じっていて、ヨーロッパ人のような容姿であったとしても、その目つきと、体に宿る「力」のようなもんがあって、たとえルーツがヨーロッパ人であったとしても「ブラジル人だ」とすぐに判ります。

話すと、特有の率直さと親しみやすさ、なんともいえない間の取り方というか「ノリ」というかテンポがあって、深刻にならずにそれでいて率直に究極的なことがらを話すことができます。特に、教養があったりすると、その指摘の鋭さ、頭のよさに凄い刺激をうけます・・・かなり楽しい人達です。

もっといえば、サッカーが好きな人はよくわかるかもしれませんが、ブラジル人選手のしなやかさ、ある意味エレガントな動き、さすが「カポエイラ」の国だと思ってしまう、なんともいえない「妙」があります。イギリスやドイツやフランスの選手にはあのなんともいえない動きはみられません・・・。そんなのが感覚のよいブラジル人の特徴です。

彼は私の中ではそんなブラジル人のよさが知的な意味で溢れているという印象があります。

ちなみに、パオロ・コエーリョの本は世界で凄まじい数が売れているそうで、それこそ彼は大金持ちです。ご本人もそれは否定しないけれど、8000円のズボンを履いて、あまり物を必要としない生活なんだと自分でも話していました。大金持ちというのはお金の使い方が小金持ちとは違うというのはこういう点かもしれません・・・お金を使う場所が違う。

今の奥様は4人目で、30歳くらいのときに出会ってそれから30年近く「最愛の女性」だそうです・・・・スーパーモデルでも、元ミスでもないようです・・・。ただ、本当に離れられないんだそうです。お互いに腕に蝶々の刺青をしているんだそうです・・・はじめてあった日の夜に結ばれて、一週間後にはプロポーズされたそうです。それから、30年あまり、離れないんだそうです。ある意味、熱烈恋愛というより兄妹愛みたいなところがあるのかもしれませんね。

彼の作品(小説)には、スピリチュアルなものと性的なものがありますが、彼自身、若いときにあらゆる性的な体験をしたと言い切っています。牢屋に入ったこともあるし、いろんなトラブルを経験したらしい・・・・黒を知らないと白がわからない、白がないと黒をみきわめられないという感じでしょうか。

ご本人の趣味はいろいろあれど、「アーチェリー」だそうです。
安全で美しい場所に、最愛の人と、好きなことをしながら、シンプルに暮らす。
「力」の世界からは程遠い、無駄な力のいらない暮らしぶり・・・・
自分の本当に欲しいものを知っている、その時点で実は全部手にしているのかもしれませんね。

そんな様子をみていて、思うのが抹香くさいことをいうようですが(笑)、仏教でいうところの「現世成仏」、人間としてうまれたからにはこの世でまず幸せにならねばということ・・・。その基本を第一にしたような「当たり前」のそれでいて超スペシャルな幸せな生活がパオロの笑顔から伺えました。

そういった意味でも、善だ悪だというのは一人ひとりの身のうちにあって、それを認められるようになったとき、自分の幸せというものを本当に味わうことができるんだろうなぁという印象を受けました。

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2009年5月4日 豊かさはキャベツが教えてくれる

早いもので、ばたばたとしているうちにもう5月、日本ではゴールデンウィークの最中ということで、みなさんご旅行を楽しんだり、休息をとられたりしているんでしょうね。

フランスでも2週間つづけて、長い週末があるので、パリはちょっと静かです。
我が家では、書斎の片付けということで、本棚を取り替えたり、本を整理したり、ついでに壁を塗り替えることにもなりそうです。

そんな週末、日曜日の有機朝市はお約束。
今回はこんな珍しいものが・・・・「とんがりきゃべつ」ということで、歯も色濃いのに柔らかく、自家製マヨネーズをベースにしたソースで、ざっくりと切ったものをサラダとしていただきました。



こういう小さな面白いことや嬉しいことがたくさんあるのが豊かさなんだろうと最近、つくづく思います。

思えば、経済はぐんぐん成長してきて、ここ10年以内の間に、生産率、どれくらい量ではかったら儲かったか?という点ではすさまじいほど、富は膨らんだかにみえていました。

実際は、ここ数年の経済の成長は景気改善にも雇用拡大にも繋がらず、その雇用難により貧富の差が拡大していきました。富めるもののみが益々持分を膨らませて、貧しいものはどんどんいろんな意味での機会を奪われていくという現象が続き・・・富は膨らんでいるかにみえるのに、世界が全体でえらく貧しくなっていきました。

結局、「たくさん」消費、「たくさん」開発、「たくさん」儲けるために、自然の資源を無駄に遣い、人を犠牲にしてきたといわれます。文字通り、「量」の拡大のために世の中のあるあゆる価値あるものを排除しようとでもいうような、質より量の世界、などとこの素晴らしいキャベツをみて、今更思ったりします。

結局、食と医の安全が脅かされ、お金が多少あっても意識しなければ実はろくなものを食べておらず、なんか寂しく、個人を無力にかんじ、子供もなんだかおかしくなってしまうような、何も悪いことはしていないのに、おかしくなってしまった人が多くでてきた世界。

と、考えると、実はこの素晴らしいキャベツが私のお腹に入るというのは、凄い運命的な出来事。(笑)

顔見知りの生産者から笑顔で譲ってもらい、その色、形、匂いまで取れた土地を忍ばせるような、生命力に溢れたその麗しい姿を鑑賞しながら、「よく我が家にきてくれました」と頂いてまたにっこり。

実は、たかがキャベツとはいえ、この感謝という気持ちがないことイコール「質」のない世界。
ほとんど感謝がなく、「欲しい」ということをあたりまえとする世界、そこは質の生息する環境ではもはやないということなんでしょう。

実際、いろんな意味で豊かさというのは元来、測れないものだった。
だから、豊かさは無限だともいうのでしょうが、人間は欲望ベースで生きると、全て量で測ろうとするらしい。

勿論、黄金の美しさは否定しませんが、実際の今の世の中はメッキものだらけ。なぜなら、幸せに質を求めない、量的な価値観でできてしまった世の中だからです。

でも、たった一つのキャベツでも、その質を誇りとして作る人、他方、その質に感謝する人達がいることでこうして質の世界が生まれ、維持されるということなんでしょうね。

人間はそれにしても、どこらへんから大間違いしているのか?

宇宙の豊かさに感謝。(笑)

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