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2009年9月2日 モンマジュー修道院



こちらはフランスで文化財として保護されている、アルルから北5キロのところにあるモンマジューの修道院(Abbey Notre Dame de Montmajour)というところ。

ピーター・オトゥールとキャサリン・ヘップバーンが出演した映画のロケに使われたこともあるそうで、とても美しい場所です。

この修道院の数奇な運命についてちょっと、お話します。

その昔、この土地は沼地が広がっていて、この修道院が建設された場所は島のようになっていたといいます。なんとなく、イギリスの聖地めぐりとか・・・アヴァロンとかを連想させるお話です・・・・。



これは塔にのぼってみえる風景の一部。アルルから、アルピーユまでぐるりと見回せますが、なるほど、昔々は沼地だったところにあった岩の島だったといわれればそんなかんじの地形です。

そもそも948年にベネディクト修道会の修道士が、サン・ピエール修道院をこの岩でできた沼地の「島」に建てたそうです。中世には巡礼の地として多くの人と寄付を集め、支持者も時とともに増えていったということです。

人気に比例して、この修道院についても様々な言い伝えが生まれました。
そのひとつに、ガリア人を教化するようにとローマのペトロの命令を受けてここにやってきた、トロヴィムス(アルル初の司教となる)を祀る寺院だったというものがあります。彼はアルルに紀元前46年にやってきたということですが、この地に隠遁して修行する場所(修道院のようなもの)を作り、弟子をとったそうです。

また、別の言い伝えによると、ここはシャルルマーニュことカール大帝(742−814)がサラセン人と戦った際、命をおとした大帝の兵士を埋葬した墓地であったということです。なるほど、内側に岩の墓地(岩に墓碑がたっていた穴があいている)があります・・・。

さらに、クローヴィスの息子であり、パリ公でもありオルレアン公であったこともあるジルドベール公(497−558)が、この島で隠遁生活を送っていた人達に感心して教会を創設したといわれています。

三つの話とも真偽のほどは別として、当時、ここがスピリチュアルスポットであったことで一致しているようですね。

18世紀、聖ベネディクト会の中でも、高い学識で知られた聖モー修道会(St Maur・この派は16世紀にパリのサンジェルマン・デ・プレで発足)が新しい規律を導入する会の改革運動を展開しました。そして、この修道院にも新しい規則や規定を導入したそうです。それに伴い、修道院の知的精神的修養を高める目的で、ここには図書館も併設されました。

ところが、1789年にフランス革命がおきたことから、この修道院にはわずか9人の修道士だけが残るという状態になります。

しまいには、1791年に62000ルーヴルという値段で人に売られてしまい、その後20人の人の手に渡り、彷徨える運命となります。当時は、干草置き場や一部の農業耕作に使われる部分以外は捨て置かれ廃墟のようになってったそうです。

1797年にそれをみかねたのか、フランス人の画家がこの修道院の一部を買い保護します。1822年にはアルル市が礼拝堂などを、当時の所有者であった地元の漁師などから買い取り、保護したそうです。

この話をきいていて思ったのは、例えば、「フランス革命」というと、フランスの建国記念日という祭日になり、めだたいイメージがありますが、歴史的な事実を断片的にみたり読んだり、きいたりすると、べるばらや映画で語られるフランス革命というのは歴史的な事実からはかなり逸脱している話のようだということです。そもそも、革命というのが、本当に叫ばれるように正義のものならば、無血でもっと平和的になされるべきもの(名誉革命という17世紀イギリスの無血革命もありましたが)。踊らされる民衆というのは、いつの時代、どこの場所でも最後まで気がつかないものなのでしょうか・・・。そうかんがえると、(とくに若者に人気の)ラテンアメリカの革命家ヒーローゲバらなんていうのは、かなり実際に彼がしたことからして、とりちがえられているよい例でしょうね・・・。

さて、話はもどって、このモンマジューにとっての運命の分かれ道(笑)は、1840年に訪れます。
ここで意外な人物(?)が登場します。

「カルメン」の著者である、メリメ(Prosper MERIMEE 1803−1870)は当時、文化遺産などの査察官という役職にありました。彼はこの修道院を優先して保存すべき歴史的リストに載せますが、このおかげで補修が行われることになったそうです。

1859年にロマネスクならびにゴシック様式の建築箇所は国により買い上げられ、1921年(最近ですが)になって修道院部分が国により所有されることになったそうです。第二次世界大戦中はドイツ軍の武器保管に使われていたということです。



内部はこの歴史が物語るように、序所にいろいろなものが付け加えられていった過程がみてとれます。最初に聖ペトロ(サンピエール)礼拝堂が建てられ、11〜14世紀の間は内側に墓地(現在は岩地に墓碑跡の穴があるのみ)ができましたが、この墓碑が日の出(東の方位)にむけてたてられているのは、「復活」を意味しているという説があるそうです。12世紀はここから200メートルはなれたところにロマネスク様式の傑作といわれる聖十字礼拝堂が立てられたそうです。また、12世紀には地下聖堂が作られましたが、これは歩廊に取り囲まれたような構造をしていて、放射線状に5つの礼拝堂にむけて開かれたようなかんじになっています。それぞれの窓が東からの陽光を取り入れるような向きにうがたれています。

一番上の写真は12世紀の回廊部分、2番目の写真はオルムタワーという14世紀に建てられた26メートルの高さの塔からみた風景、そして3枚目は18世紀に建設された(聖モー修道会)修道院部分だそうです。

個人的に一番印象に残っているのは、その壁のなめらかさでした。
内装部分は、ひとつひとつつぶさにみると、それぞれの石が完璧にカットされていて、それぞれ精密に合わされてあり、それが全体的に眺めると流れるような曲線状のものとして目に映るのです。

今はもう「気」を特別かんじるとかそういうのではないけれど、やはり昔はスピリチュアルなしかけの施されてあった場所ではないかと思います。「なにか」昔の人がインスピレーションを得て作ったものが、本来はあった土地のようですが、それが現在は推測する材料しか残っていないのがちと、残念。
そういう意味では、隠れたスピリチュアル・スポットでしょうか・・・。

いずれにしても、美しい場所です。
タラスコン城のタラスクなどの彫刻もあって、どちらも見事な建物ですから、見比べてみる楽しさもあります。

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2009年9月1日 プロヴァンスを体現する人・・・パニョール、ミストラル、アルフォンス・ドデ



この写真は、「ドデの風車小屋」として知られているものです。
ごつごつとした岩がむき出した乾いたかんじ、このかんじがこの地域の風景を特徴づけていますが、ここは、フランスで一番美しい村といわれるボー・ドゥ・プロヴァンス(Beaux de Provence)から車で15分くらいいったところのフォンヴィエイユ(Fontvieille)という小さな村のはずれにあります。

フランスのニュース雑誌「L’EXPRESS]の8月20〜25日号によると、フランスでは、その地方で傑出した人物を土地と結びつけ傾向がことのほか強いようです。例えば、アキテーヌ地方はモンテーニュ、ブルターニュ地方だとアンヌ・ドゥ・ブルターニュ、ロレーヌ地方だとジャンヌダルク、という風に。

そしてプロヴァンス地方といえば、まずはパニョール(Marcel Pagnol 1985−1974)という作家がこの土地を体現しているそうです。彼はオバーニュで生まれマルセイユで育ち、パリに出て劇作家として「マリウス(Marius)」という作品を書き、映画を作ったことでよくしられています。日本では「愛と宿命の泉」という名前のクロード・ベリ監督、イヴ・モンタン、ダニエル・オトイユ、ジェラール・ドパルデュ、エマニュエルベアール出演の映画が最も知られているところでしょうか。

パニョールについで、他にも昨日ご紹介したミストラル、そしてジョーノ、そして今日ご紹介するアルフォンス・ドデ(Alphonce Daudet 1840−1897)という人物がプロヴァンスを代表する作家として挙げられます。

アルフォンス・ド・デは世界的に「アルルの女」という戯曲を書いたことで知られています。

彼はニームのブルジョアの家庭に生まれ、リヨンで学生時代を過ごし、その後、故郷近くのアレスという町で教職につきますが、好きになれずに辞めてパリにいるジャーナリスト志望の兄のところへところがりこんできます。兄の影響を受けて自分でもものを書くうちに、才能があきらかになっていき、フィガロ紙(フランスの有名紙)のコラム担当兼小説家という形で雇われたことから、世に認められはじめます。ほどなく、ナポレオン三世の異父弟であり政治家でもあったモルニー侯爵にみいだされ、秘書の地位を与えられたことから、社会的に活躍する有利な状況が揃います。

1859年に「恋する女たち」を書き、翌年1860年にはミストラルと出会っているそうです。
1866年には上の風車を題材にした「風車小屋だより」が大成功を収め、1872年には戯曲、「アルルの女」を書きます。この劇の上演にともない、ビゼーが27曲を作曲し、これらのうちのいくつかが組曲となり、今私達がよく耳にするものとなりました。

実はドデは、業績的、才能はより偉大とされるミストラルよりも一般の人の記憶に強く残っている作家で、それは彼の作品が人間関係の機微をリアルにとらえ、描き、人生の不条理の悲しさや人間の感情の美しさを誰もが鑑賞できるような形で表現しているからだといいます。

プロヴァンスの強い太陽の光、独特の地方の風景を鮮やかに描写し、人間というものを生きたものとして書いたような、そんなかんじをうける作品を残しているからなのでしょう。

ここには料理や絵画、歴史、文学と様々な領域でかなり掘り下げて楽しめるものがたくさんあるようですが、今回は文学についてちらりとご紹介してみました。

一度聞いたら一生忘れないというあのメロディー・・・「アルルの女」と「カルメン」。

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これはパニョール原作で、彼本人の監督作品ではなく、クロード・ベリによる作品・・・キャスティングが豪華ですね・・・なんだか。
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2009年8月31日 フレデリック・ミストラルの里・プロヴァンスのマイヤンヌ村

ここはオリーヴや糸杉の丘、果樹園とセミの鳴き声に囲まれた村、
マイヤンヌ(Maillane)。
プロヴァンスのブティックやレストランが立ち並び、有名人やヨーロッパのやんごとなき人も夏場にやってくるという洒落たヴァカンス地としてしられるサンレミ・ド・プロヴァンスから北東に7kmほどのところにあります。

素敵なプラタナスの並木道を伝って村に入ると、小さな木陰に人がまばらに世間話をしていたりして、石造りの美しい家々、古い扉、ブルーや緑色をした色あせた鎧戸、花に彩られた窓、ひっそりとやさしい風が通り抜ける路地・・・義理の兄の家があることから、毎回こちらにきていますが、来るたびに愛情が増す土地です。



毎日、40度近い暑さでもう、午後の4時ともなるとさっさと滞在先であるこちらに引き返してきます・・・。
すぐさま水着に着替えてプールに飛び込みます。
実は、ここでの暮らしにプールは必需品です。
冷房はなしで、プールで涼みます。

プールから塀越しにみる、村の教会・・・朝7時から夜10時まで、毎日欠かさず時報の鐘がなります・・・プールに浮かびながら夕方の時報を聞くと、「あぁ、こんな風に暮らすなんてなんて幸せ・・・」と思ってしまいます。

この村は典型的なプロヴァンス地方の村、静かで地方独特の色がとても美しく、住民の自治精神がまだ生きています・・・。とはいえ、夜になると流れてくる人もいるらしく、戸締りやセキュリティには気をつかうそうです。

ここはノーベル賞作家であるフレデリック・ミストラル(FREDERIC MIStRAL 1930−1914)の生まれた村として知られ、彼の暮らした家はいまは一般公開され、ミストラルに関わる品が展示されている資料館になっています。彼は1904年に「ミレイオ」という作品でノーベル文学賞を受賞し、生涯をかけてプロヴァンス語の普及に尽力しました。

言語学、フランス語の歴史をかじった人はご存知のことですが、中世の頃はここプロヴァンス地方はの言葉はオック語またはラングドックとよばれる(Lenga d’oc)言葉で、北フランスではオイル後もしくはラングオイルという言葉がそもそも使われていました。フランス語の「Oui」という単語を「オック・oc」と読むか「オイル・oil」と読むかということでこういう呼び名になったそうです。
といっても、フランスを旅したことがある方は気づいたかもしれませんが、北と一口にいってもブルターニュ語もあれば、まるで違うアルザス語もあり、2分割ではフランスは語れないというかんじもします。

ご承知のとおり、大抵は、ある民族なり土地なりを支配しようとするとき、言語統制という手段が使われます。これはどこの国でも同じです。逆にいえば、その民族の言葉というのはもしかすると無形ですが一番大切な財産だということです・・・・それを否定して統制するというのはとても残酷なことなんですね・・・。というか、暴力といえるかもしれません。言葉というのは非常に深く、個人の根までしみているもので、私などは日本食は食べなくてもこまらないけれど、日本語を使えなくなったらおそらくは生きてはいけない・・・・とおもってます(笑)・・・・というわけでブログをしているということもあるわけですが・・・。こういったことは万国共通なのであります。

で、このミストラルという御人は、「フェリブリージュ」(Le FELEBRIGE)というグループを設立し、7人のプロヴァンス語(オック語)を擁護しようという仲間とともに自らの言葉を保護・保存していくという運動をおこしています。ちなみに、このフェリブリージュというのは勿論、プロヴァンス語だとおもうのですが、これは「赤ちゃん」という意味があるそうで、自らを芸術の女神の子供達であるという意味をもたせて命名されたそうです。ノーベル文学賞を受賞したことから、この運動も大いに励まされたということです。

南フランスの訛りというと、マルセイユの人などに代表されますが、つぶさに聞くとヴァラエティに飛んでいます(笑)。私もどの言葉であろうとも、訛りだろうとも、やはり大切な文化遺産だと思います。

このプロヴァンス語はOccitan(オキシタン)と呼ばれ、この言葉を話す人もオキシタンと呼びます。あるクリームなどのプロヴァンス地方のメーカーがこれをブランド名にしていますよね、あれはやはり会社を作った人が自分の国に対する愛情をあらわしたんでしょうね、素敵な名前だとおもいます。

で、この言葉、義理の兄の奥さん(ということは義理の姉か・・・)が子供の頃に話していたということでした・・・・イタリア語に近かったり、スペイン語に近かったり、ポルトガル語にも似ているようで・・・とはいえ、やはりそのどれでもない。まだこの地方では高齢者でこの言葉を日常で話す人がいるらしいですが、若い世代までは広がらないだろうということです。イタリアのピエ・モンテ、スペインのカタルーニュア地方の一部でもこの言葉を話す人がいるということで、あわせて現在、600万人の人がオキシタンというわけです。

また、中世にはプロヴァンス地方にはトルバドゥール(Troubadour)というオック語の抒情詩人や歌手が活躍していました。スタイルとしては、騎士道、宮廷風恋愛といったもの、彼らがうたったいくつもの種類の歌のうち、ソネット(Sonet・プロヴァンス語の綴り)という形式のものがありました。ソネットとは簡単にいえば十四行詩のことですが、これがイタリア語のソネットSonettoの原型となり、16世紀にはそれがイギリスにもたらされて、シェイクスピア、ワーズワース、ミルトンなどを代表とするイギリス式のソネットとなったといわれています。英語を話す方はご存知のとおり、フランス語から当時英語へと語彙が輸出(?)されていったこともあります・・・ヨーロッパの文化的な洗練はその昔、ここいらへんにルーツがあったのではないかと、建築や美術、文学などをみていると思えてきます・・・。

現に、かのルイ14世をして、南仏のオランジュの劇場の建築は「世界で一番美しい」といわしめ、ニームの噴水庭園をして「最もあっぱれな庭」といわしめたとかないとかいいます。

ちなみに、フランスでは国が分裂主義になることを恐れて、弾圧的ともいえる言語政策がとられ、地方語を認めない立場をとっていることから、学校教育でオック語を教えることを禁止したそうです。独立扮装が今も各地でおきますから、体制側としてはそうなってくるのでしょう・・・。2008年にはヨーロッパの少数語憲章への署名を拒否したということで、この姿勢はかわらないようです。言葉を文化遺産と考えるか、政治的なものととらえるかの違いということなのでしょう・・・。文化、芸術の国フランスの、ある一面です。

この村はとても敬虔なカトリック信者の方がかなりいるということで、綺麗な鐘の音をきかせてくれる村の教会はいつも生花がたくさん飾られ、綺麗な水が張られ、お掃除が行き届いており、盗難がひどいため常時扉を開かなくなった教会が多いなか、いつもお参りができる状態でいます。Eglise Ste Agathe・聖アガタ教会というこの教会には、大好きな聖人、聖テレーザの像もあります。

そして、教会の奥には、この美しい12〜13世紀の木造の聖母・御子像がひっそりとしかし丁重に祀られています。
8月のおわりには毎年、このNotre Dame de Grace de Bethlehem(ベツレヘヘムの聖母)に捧げるおまつりがあるそうです。



とても綺麗ですね。
心が優しくあらわれるかんじがします。
プロヴァンスの魅力は語りつくせない・・・・というかんじで、もうはまっています。(笑)

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2009年8月30日 ガロ・ローマ文化遺産の都市・ニーム

今回はなんだかわからないけれど、ガロ・ローマ遺跡をめぐる旅みたいになりましたが、素直にいろいろと楽しみながら勉強させてもらおうとおもいます。親戚の用事でやってきたのが、ガロ・ローマ遺跡の町として知られるニームです。

フランスのラングドック・ルシヨンという地方のガール県の県庁所在地という説明がわかりやすいかもしれませんが、パリからもTGVでアクセスできるので、アヴィニヨンとならんで日本からきた観光客もちらりほらりとみかけます。

ここは、紀元前28年の古代ローマ時代には都市であったそうですから、本当に古い歴史のあるところだなぁ〜とおもいます。当時はコロニア・ネマウサ(Colonia Nemausa)と呼ばれておりましたが、このニームという名前は「Nemausus」というヘラクレスの子供の一人であったという神話上の人物の名に由来しているとかで、これがラテン語→プロヴァンス後→フランス語という形で現在の表記方法(NIMES:Iの上にアクサン・シルコンフレックスがつく)になったということです。

あのカエサルが遠征してきた土地、その後アウグストゥス帝が6kmにわたる城壁をこの都市の周りに築いたといわれます。その跡ということで、アウグスタ門とフランス門とよばれる遺跡が街中に残っています。当時、この街はローマ帝国のガリア南部の属州都市としてもっとも栄えたといいます。
しかし、アルルにその中心が移り、473年には西ゴート族にこの都市は占領されてしまいました。

ポン・デ・ガール(2008年9月1日記事参照)という水道とは、アウグストゥス帝の命令によりアグリッパが一世紀ごろに建てたもので、ユゼス(美しい街ですよ・・・・本当)からここニームへと水を運んだということです。

こちらは、ニームの円形劇場で、2世紀末に建てられたということです。
2万5000人ほどの観客が収容できるということで、猛獣対グラディエイターのスペクタクルの当時の民衆はここで燃えたということらしいです。現在もコンサート、オペラなどに使用されているとのこと。




円形劇場からそう遠くないところにあるのが、このメゾン・キャレ(MAISON CAREE)という4〜5世紀に建てられたというローマ式寺院。ヘレニズム文化の影響をその柱などに色濃く残して、古代には都市のフォーラム(脇に残っています)を見下ろす形で建設されましたが、現在もなお、びっくりするほどよい保存状態で存在しています。元来、アウグストゥス帝の養子の子供(簡単にいえば孫ということですが)に捧げられたということです。



ニームという土地は盆地のような地形になるので、とにかく暑いです。
この日は41度くらいまで気温が上がりました・・・。もうどろどろ状態・・・・。
ということで、ちょっとした観光情報でひとやすみ・・・・ランチ(勿論、ディナーでもよろしいのですが)にお勧めは円形劇場に面したホテルというかレストランというかワインバール・シュヴァル・ブランです。お料理もちゃんとしていて、素晴らしいカーヴがあり、美味しいワインが気軽にのめますし、内装も素敵ですよ・・・。観光地は何かとあまり質のよくないところで変なものを食べてしまいがちですが、こちらはお勧めです。ニームを訪れるのは真夏は避けたほうがいいかもしれません・・・・暑いです。
Le Cheval Blanc
1 Place des ARENES
+33(0)466761959

ニームにはまだまだ、素晴らしい遺跡があります。
ということで、素晴らしいフランス式庭園、噴水公園(Le Jardin de la Fontaine)を訪れてみました。ここにはルーヴル美術館も顔負けの素晴らしい彫刻の数々があり、そのためロマンチックな趣を強くしています。この庭園自体は18世紀に作られたもので、この時代からのものではヨーロッパ屈指のものだそうです。ここにはダイアナ寺院(Le Temple de Diane)という2世紀の遺跡があり、この謎の建造物は16世紀まで実際に教会として機能していたそうですが、元来どのような目的で建設されたのかはわかっていないそうです。なんか、気というか、そういうもんが凄いかんじがするところでしたよ。それにしても、素晴らしい庭園でした。



まだいくつかみたいものもありましたが、とにかく暑いので、危険さえ感じるほどでした。
ということで、主人が昔から好きだったというお菓子を買って、滞在先に帰ることにしました。
そのお菓子屋さんにいく手前に素晴らしい建物を発見しました。12世紀に立てられたといわれる教会でございます・・・。


ニームは、プロテスタントの土地なんですね、実は。
面白いもので、主人の父上はニームのご出身でプロテスタント、母上はアルザスのご出身でカトリックということで、同じフランスでも姿かたちから宗教までまるで違うご夫婦だったそうです。フランスというとカトリックと連想してしまいますが、必ずしもそうではありません。

ニーム観光情報をまたひとつ、ご紹介します。
1775年からの老舗のお菓子屋さん、お菓子の名前がお店の名前になっています。

Croquants Villaret
15 Rue de la Madelaine
NIMES

このお菓子はとにかく堅い。半端な固さではありませんので、ご注意ください。
よくマルセイユのほうのお菓子でアーモンドの入ったアニス風味のほんのり甘い固いビスケットがありますが、それを30倍固くしたような代物・・・・ただ美味しいので、やみつきになります。

ニーム出身の芸術家といえば、画家のクトー(Coutaud・2009年4月29日の記事をご参照のほど)がいますが、彼の書く絵の中にはニームの街角の面影をみることができます。そして、今回ちょっとご紹介するフランスの作家、アルフォンス・ドデ(Alphonce Daudet)もこの土地で生まれたということです。そして、日本でも人気のジプシーキングスのチコはこの土地の人だそうですよ。

ジプシー・キングスジプシー・キングス
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2009年8月29日 フランス最大のローマ遺跡・グラヌム

次の訪問サイトは、去年の冬に一度訪れている、グラヌム(Glanum)という遺跡。
こちらはフランスで一番美しい村といわれるボー(Beaux De Provence)からサン・レミという村に向かうとあるのですが、もっと判りやすくいえば、サンレミの南側にあります。
この遺跡のすぐそばにヴァン・ゴッフォが滞在した修道院がありますが、これは過去の記事をご参照ください。(2008年12月30日の記事)

連日35度〜40度という暑さ、せみが鳴いてます。
夏と冬ではこうも違うというのが、記事の写真をみくらべるとよく納得いただけるかもしれません。



私よりご存知の方も多いことを承知で簡単に説明すると・・・
これはもともと紀元前6〜7世紀にケルト人により建設された都市で、その後ギリシアの影響を受けながら発展し、紀元前1世紀にはすでにローマ帝国の植民地となっていたそうです。すなわち、ガリア→ギリシア→ラテンという形で発展してきた都市です。
ケルト神話のグラニス神(癒しの神)がこの地の癒しの泉にすでに祀られていたそうです。
この地の名前はこの神様に由来するというわけ。

ローマ帝国の初代皇帝であり、カエサルの後継者であった、アウグストゥス帝(紀元前63−紀元後14)の時代には帝国の属領となり、寺院、浴場、広場、凱旋門などが作られていきます。
蛇足ですが、プロヴァンス地方の名前の由来は、当時ローマ帝国の属州を「プロヴィンキア」と呼んでいたことにあります。

ちなみに、この地方の気候は夏は乾いた暑さ、そして山からくるミストラルという乾いた冷たい強風(ほんとうにきつい・・・)、海からは遠く地中海を越えてサハラ砂漠からくるマランという熱風がふくというのが特徴です。こちらに遊びにくるかたは、その辺をよく確かめていらしてくださいね。

というわけで、上下水道の設備、ローマ皇帝やその家族に捧げられた寺院、湯治場、聖堂、元老院議事堂、集会場などがあったということです。再現した模型でご覧いただくと、わかりやすいかも。



特に、この都市のルーツともなった、癒しの泉、これは一貫して多くの人をひきつけていたそうです。
ローマの医師はこの泉水は「魔法の水」だとして、その有効性を宣言したそうです。アウグストゥス帝の腹心であり娘婿もでもあったアグリッパ(世界遺産にもなっているフランスのローマ水道の遺跡であるポン・デュ・ガールを作りました・2008年9月1日の記事に写真があります)は足を治しに湯治に訪れたといいます。

そして、これがその湯治場と癒しの泉の神をお祭りしたという寺院の跡。



これは、皇帝やその家族を祭る寺院跡ということですが、際立って美しかったです。


そして、こちらが元老院の議会跡。


この都市は260年ごろにゲルマン人により破壊され、住民は今のサンレミ・ドゥ・プロヴァンスへと移住します。そのとき、このグラヌム建設に使用した石を一部使ってサンレミの村を作ったといいます・・・もしかすると知らずに当時の石を踏んで歩いているかも・・・と思いながら散歩しました・・・ロマンをかんじたりして・・・。(笑)

その後この都市に人が住むことはなく、地中深く埋もれていったそうです。つい最近、1921年に発掘されて、フランスで最大、最重要視されるローマ時代の遺跡として、国の手厚い保護を受けているというわけです。

ご存知のとおり、アウグストゥス帝は「ローマの平和・パックスロマーナ」を築いた皇帝ですが、その時代の恩恵を受けて、当時、この都市は本当に美しく、非常に水準の高い生活を人々は謳歌していた模様・・・遺跡から、当時の内装のを再現したというのが、こちら。なんとな〜くですけれど、日本の神道の儀式や装飾に使われている色と似ているような気がしたりして・・・・

やはり、平和であるということは幸せの大前提。
美や快適さやコミュニケーションといった人間を豊かにする要素は、平和があってこそのもの・・・。


尚、この遺跡の脇には夏だけの期間限定営業で、古代食(推定)を食べさせるというレストランがあります。また、当時の製法を再現したワインもありましたが、試飲は遠慮しました。(笑)

尚、この都市は北イタリアからスペインにいたるローマ街道、「ドミティア街道」(紀元前120年前後といわれる)沿いにあります・・・・この街道をたどり、タラスコン、そしてフランスを代表するガロ・ローマ文化の遺跡で知られる都市、ニームへと続きます。

今年は、是非とももっと読んでいきたい・・・・この名作。
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2009年8月28日 海から来た聖マリア達



こちらは、サント・マリー・ドゥ・ラ・メール(Saintes Maries de la Mer)というカマルグにある街。毎度のことながら、駐車場がみつかりません・・・・こちらには小さな海水浴をたのしめる浅瀬の湾があったりして、キャンピングをする家族連れなどで賑わう、庶民的な海水浴場が連なっています。海辺にはホテルやら名物料理を出すレストランが立ち並び、マリーナになっている部分もあります。

この日は空に面白い雲がでていました。
まるで大きな羽を広げた人のような形をした雲のわきにそれより小さい人物2人のような形をした雲が出ていました。

ところで、その土地の名前が示すとおり、海から来た2人の聖女マリアさまにまつわる伝説があります。

カトリック教会の伝承によれば、ナザレのイエスが処刑された後(昇天後)、ラザロやマルタと共にマグダラのマリアはこの地に辿りついたといいます。その後、彼女はサント・ボーム(Sainte Baume)というところの洞窟に隠遁したといえわれ、遺体のうち頭蓋骨がサンディアゴ・デ・コンポステーラの巡礼で有名なヴェズレ(VEZELAY)のサント・マドレーヌ大聖堂に祀られ、そのほかパリのマドレーヌ寺院やサン・マキシマン(Saint−Maximin)にも遺体の一部が祀られているということです。

マグダラのマリアはマリア・サロメ、マリア・ヤコベのほかの2人のマリアという女性とエルサレムをでて、、実は小船でこの土地に漂着したとカマルグの伝説にあります。
マリア・サロメとマリア・ヤコベの2人はこの地に残り、マグダラのマリアはカトリック教会の伝承のようにサント・ボームへと旅立ったことから、この地に残った2人のマリアを「海からきた2人の聖女マリア」と呼んでこの地に祀ったといいます。


実はこのとき、ラザロ、マルタ、サラの3人もお供で3人のマリア様と一緒に到着しています。
マルタはタラスコンに赴き、伝説のタラスクという化け物を祈祷により鎮めて手なずけたといわれています(タラスコンについては2008年8月30日の記事を参照のほど)

そして、このうちのサラが実は、聖サラ・ラ・カリと呼ばれる(通称・黒サラ)この地に定住した流浪の民であるジタンの守護聖人であるということです。そう、この街はジタンのふるさとと呼ばれていたりします。



ジタンというのはフランス語名(フランスの有名なタバコの名前にもありますが)、イタリアではジターノと呼ばれていますが、彼らはヨーロッパや北アフリカにいる流浪の民、よくジプシーと呼ばれる人達です。タロットカードや占星術による占いや、薬草などの知識があったり、フラメンコ、そしてなによりジプシー・キングスに代表されるあの音楽の才能などで有名です。彼らは紀元前1000年ごろに北インドから渡ってきた流浪の人達で、ロシアから来たアフリカまで幅広く分布(?)しています。彼らは流れ芸人、物乞い、盗人、まやくの売人などとして、定住先からうとまれたりすることも多く、辺境の人達と目されてきましたが、それではポリティカリー・コレクトではないという最近の指摘から、ロマ(Roma)という呼称が使われはじめています・・・が、実際、フランスやイタリアで「ロマ」といっても、まだあまり通じないでしょう。

また、この聖サラ・ラ・カリは(インド神話の)シヴァ神の妻の一人でカーリー神という女神と一緒にされているような節があります。彼女は別名「大黒天女」とよばれ、血なまぐさい殺戮をこのむ戦いの神ともいわれ、狂ったように踊り狂うと地がゆれることから、夫のお腹の上で踊ったとかおどらないとかいうことが神話にあるそうです。

いずれにしましても、この土地ではとても大切にされている聖人だそうです。

さて、この地は俗っぽくて、なんか安っぽい観光地の匂いがしすぎて、あまり落ち着かないかんじがします・・・、近くのエッグ・モルトやアルルなんかと比べるとなんかやっぱり落ち着かない・・・・とはいえ、独特の人懐っこさやにぎやかさのあるところともいえます・・・。ただ、お立ち寄りの際はスリ、置き引きにご用心・・・。それに、夏はすごい人手です。

いずれにせよ、興味深い伝説の地。

レンヌ・ル・シャトーの謎、聖杯伝説、レイラインなどが好きな人には訪れていただきたいところです。
実はあの、レンヌ・ル・シャトー(ダビンチなんとかは、これについての本をぱくり、ぱくりして作ったという人が多いですが、納得します)というこの系統のミステリー好きは一度は訪れたい(アングロサクソンにとくにマニアックな人が多いけど)という土地がこの近所(車で2時間くらいかなぁ)ですが、今回、あまりに暑いのでパスしました。

次回にご期待あれ。(笑)

レンヌ=ル=シャトーの謎―イエスの血脈と聖杯伝説 (叢書ラウルス)レンヌ=ル=シャトーの謎―イエスの血脈と聖杯伝説 (叢書ラウルス)
(1997/07)
マイケル ベイジェントヘンリー リンカーン

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ジュール・ヴェルヌの暗号―レンヌ=ル=シャトーの謎と秘密結社ジュール・ヴェルヌの暗号―レンヌ=ル=シャトーの謎と秘密結社
(1997/12)
ミシェル ラミ

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2009年8月27日 自然の一部としての自分



こちらは、現在はマリーナとなっているポルト・ドゥ・カマルグの海岸からみた夕日。
実際はオレンジではなく、本当に絵の具で書いたようなピンク色でした。

よくブラジリエという画家の絵でまさに「ピンク」という色をした雲をみかけますが、あれは本当に人間の目にそういう色に映るんですね・・・・日本ではむしろ赤っぽいオレンジなどにしかみえないのですが、こちらでは太陽光線の加減がちがうのですね・・・。写真ではオレンジになっていますが、ピンクでうつらなかったのがちと残念・・・・とにかくリラックスして過ごせば過ごすほど、単純に自然は凄いと思うのです。

ちなみに、ここから車で30分いや一時間弱ほどでモンペリエという都市にいきますが、そこには日本でも有名な昆虫学者であるジャンーアンリ・ファーブル(Jean−Henri Fabre・1823−1915)の博物館があります。日本では彼の「昆虫記」はとても綺麗に翻訳されているためか、または日本という国がとくに子供時代に虫というものに親しむ国民性があるせいか、子供向けの優れた読み物として知られていますが、ヨーロッパではフランスはもとより、ドイツなどの国では大人向け、専門家向けに優れた業績を残した生物学者として高い評価をうけているそうです。しかし、以外に知られていないことですが、彼は詩人としても知られています。それについてはまた改めて別の記事で書きたいと思うのですが、彼はプロバンス語(オック語)の擁護者の一人で、プロヴァンス語での作品を多く残しています。また、ファーブル氏は「進化論」のダーウィンを強く批判していた人で(子供の頃、教えられた「進化論」が実はおかしいということに現在では多くの人が気がついていますが)、一方ダーウィン本人はファーブル氏の業績をたたえ、ダーウィンの父親はファーブルとかなり親しかったといいます・・・ただ、彼はつぶさに昆虫を観察し、自然と親しむ人生を送ってきて、「これは間違いだと」生涯、言い切っていたそうです。当時、多くの真実をとなえる人がそうであったように、諸事情からその業績に比例して社会的にはあまり恵まれなかったかにみえる彼の生涯ですが、実はなくなるまで40年近く、自宅の庭にいろいろな草木を上、小さな仲間達の観察に毎日つとめたそうです。彼の親しい友人にはかのパスツールもいましたが、彼は要領よく、大金持ちとなりました・・・・晩年、彼は自分の説の過ちをみとめたそうですが・・・彼の理論により、今のくすり業界、産業などが成り立っているともいえます。

この話題にいくと、話が長くなるので、この辺できりあげます。

この美しい夕日をみながら、ファーブルの話をなんとなく思い出しながら、あるイギリスの詩人を思い出していました・・・世界中で愛され、日本でも多くの人が愛している詩人、ワーズワースです。(William Wordsworth・1770−1850)イギリスのロマン派詩人の代表であり、あの可愛いピーターラビットがでてくる湖水地方で自然を称えた素晴らしいソネットをよんだことでしられています。彼の作品の有名なものに1802年頃に作ったといわれる、「The world is too much with us」というのがありますが、これは物質主義にどっぷりとつかった世界、自然からどんどん離れていく世の中のあり方を批判した作品です。手元に現本がないので引用しませんが、是非、日本語訳でも読んでいただきたい・・・。

そういえば、今夏、フランスのブルターニュ地方で奇妙な事件が起きています。
毒ガスを発するという鮮やかな緑色の藻が異常繁殖し、その地方でとれる牡蠣などの魚介類が食べられなくなっているということ、水辺の生物が異常死していること、そしてついには馬で散歩中に馬が中毒死、載っていた人間も意識不明の重態におちいったというもの・・・。この地方の化学工場からの排水が原因で、それを長期にわたり垂れ流してきたため、藻が突然変異して毒ガスを発生したというもの・・・現在、原因を特定するとともにクレーンで大量の藻を除去しているとのことです。

そんなニュースにたまげていると、その日の午後に私達が海水浴をしている対岸でテトラポットで釣りをしている男性が鮫に片手を食いちぎられるというニュースが。

どちらも怖いニュースですが・・・。(汗)

海水浴をしながら以来、不審なひれをみかけないか用心したりして・・・・海岸のレストランでの「今日のおすすめのお魚」はなんと、鮫のアニス風味でした(笑)。

とにかく、私達は自然の一部であり支配者なんかでは決してないと思わせる、とびきり美しい夕日でした。

実は生物学者としてだけでなく、物書きとしても非常に卓越した才能をもっていたファーブル。
大人になって読み返すと、知的に楽しみながら気持ちが落ち着きます。
子供のときは虫が友達だったことを思い出しました。
完訳 ファーブル昆虫記 第1巻 上完訳 ファーブル昆虫記 第1巻 上
(2005/11/25)
ジャン=アンリ・ファーブル

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ワーズワースは日本でも大変多くの方に愛されている詩人です。
美しい湖水地方のことばかりでなく、彼の魂の底には自然に対する愛と、そこから出てくるそれを破壊する世界への強い怒りがあったことを忘れてはいけません。自然への愛ゆえに出てきた彼の怒りや悲しみ・・・。
対訳 ワーズワス詩集―イギリス詩人選〈3〉 (岩波文庫)対訳 ワーズワス詩集―イギリス詩人選〈3〉 (岩波文庫)
(1998/09)
ワーズワス

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2009年8月26日 カウボーイの土地・カマルグ

去年からブログを読んでいただいている方もいるかもしれませんが、今回はPorte de Camargue というところに滞在したこともあり、あらためてこの魅力的な個性ある土地のご紹介をさせていただきます。



これはイヴ・ブレイヤーというフランスを代表する画家のリトグラフでカマルグの風景を描いたものですが、実はこれは日本の和紙に刷ってあるものです。和紙の光沢や質感と色合いがマッチして、実物は写真よりかなり豪華ですよ。私は何故かこのアーチストに惹かれますが、実はこの画家、フランス人ならば誰もが足を止めてしまう・・・・反面、外国人にはあまり人気がないようです。何故かはわかりません。この作家に惹かれるとしたら、もしかしたら遠い記憶の中にフランスの風景をみているということかもしれません。(笑)

カマルグ地方というのはローヌ川が二股に分かれた部分と地中海の間に位置するデルタ地域で、14万5300平米の塩分を多く含んだ湿原地帯で、塩の産地としてブルターニュ地方と並び有名
ですが、独特の動植物相でも知られています。到着したときも、ピンクのフラミンゴの群れが水に首をたたんで浮かんでいました。東にはアルルに近いクロー平野、西にはエッグ・モルト、北にはタラスコンがあります。カマルグ地方の中心にはヴァカレス湖(L’ETANG DE VACCARES)があり、行政区としてはアルル市とサント・マリー・ドゥ・ラ・メール市に属します。

*タラスコンてなに?、エッグモルトってどこ?という情報はブログの過去の記事にあります:
・タラスコンについての説明記事・2008年8月30日付け
・エッグモルトについての説明記事・2008年8月26日付け

実はよく知られることですが、この地方の大部分が自然公園として保護されています。
以前は、この土地は葡萄が栽培されていたということですが、数十年前に灌漑整備が整えられてからは、お米が主要な農作物となっているようで、パリのスーパーでも「カマルグのお米」は「カマルグのお塩」と並んで一種のブランドになっています。

一方、鳥などを中心に、狩猟場としても知られています。
ちなみに、ここのフラミンゴは灰色だったものが、この土地にあるオレンジ色のえびを常食することからピンクになったといわれています。

ここで有名な動物はなんといってもカマルグの牛で、スペインの闘牛の牛よりも小型で、角がまるでバイキングの帽子のかざりのように上を向いています。黒くて、ひきしまっていて、非常に美しい・・・・
スペインの闘牛では牛は殺されてしまいますが、こちらでは闘牛で牛を殺すということはしないようです。この地方の牛はトローと呼ばれています。夏のお祭りでは、近辺の村に牛が放たれ、牛に追われながら村人が走り回ったりします。食用としても有名で、すじ肉を煮込んでソースと一緒にカマルグのお米と頂いたり、ソーセージにしたりしますが、これも美味。この牛はこの地方の人の精神的なルーツとなっているといってもいいほど、非常に重要な存在。義理の兄の家にもいたるところに、この牛のモチーフが飾られていました。

もうひとつ有名な動物が、フランスの子供ならみながしっているといわれるおとぎ話にも登場する、クランブラン(Crinblanc)馬といわれる野生の白馬・・・・とっても綺麗です。1953年にカンヌ国際映画祭グランプリを受賞した「白い馬」という映画の舞台となったのもこのカマルグだそうです。野生といっても、農耕に使われてきた歴史のある馬で、この土地原産の馬といったほうが正しいでしょう。今は観光客が湿原地帯を乗馬で見学するのに使われています。

プロヴァンス地方は地形、風景、文化等多彩なことでしられていますが、中でもこのカマルグ地方はとくに個性的です。夏の夜は蚊が凄いということですが・・・・(恐)、ここはキャンピングのメッカ。フランスはもとより、オランダ、ドイツ、ベルギー、スイス、イタリアなどからキャンピングカーで人がそれこそ押し寄せてきます。自転車や馬で散策する観光客もたくさんみかけますよ・・・。

そう、ここはカウボーイの地、というわけです。
不思議なことに、去年今年と日本人やアメリカ人は一切みかけませんでしたが、ハイシーズンはヨーロッパ人で一杯で、ほかからの観光客が入るすきがないほどなのかもしれません。

この地で摂れる塩は天然のままで真っ白な塩。
塩の採掘工場脇を通りましたが、それこそ山と積まれ、クレーンが脇にありました。
米と塩の産地、生きるために必要なエネルギーが土地にしっかりあるところという印象をうけました。
塩の文明誌―人と環境をめぐる5000年 (NHKブックス)塩の文明誌―人と環境をめぐる5000年 (NHKブックス)
(2009/04)
佐藤 洋一郎渡邉 紹裕

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2009年8月25日 海と太陽のめぐみ



人間、何も疲れるようなことはしていないようでも知らない間にかなり疲れていたりするわけで、今年も夏のヴァカンスに出発する前は「あぁ〜もうすぐヴァカンス!」と一日の終わりに叫んでは心身に渇をいれて日常を乗り切っていました。

それにしても、都会にいるとなんで疲れるのか実は具体的にははっきりしないもので、休暇にでて自然のあるところにでると、自然と離れて暮らしているから弱っていたのだと実感するものです・・・。

今年の休暇は昨年に引き続いて、タラソテラピー。
タラソテラピーはそもそも、ギリシア語のTharasso(海)とテラピー(薬・癒し)を合成した言葉で、最近ではフランスのメソッドを取り入れた施設が日本にもあるようです。以前は、フランスでは健康保険の対象となっていて、医師の指示で受けるのであれば保険適用がきいたということですが、この制度は今は廃止。最低でも一週間は滞在しないと効果が期待できないため、かなりお値段がはりますが、それでもこの時期のタラソはフランス国内、どこも満員御礼状態のようです。

私達は6日間のコースでプログラムを組んでもらいました。
通常、タラソテラピーは半日X5日〜10日くらいで、効果のほどは半年ほど持続するそうです。

今回は一日につき、3つのケアと海水プールでのアクアジムを1回というかんじにしてもらいました。
まずは、横になった状態で肩から下、身体の真ん中、丁度チャクラと呼ばれる位置に海水のジェットシャワーが直撃するというマシーン(タラソはマシーンだらけ・・・)の下に横たわること20分、裏表と自分でひっくりかえる・・・なんでも海水になにやら自然摘出のオリゴエレメントを強化したものが入っているとかで、かすかにごま油のような匂い・・・・。30分ほど休憩してこんどは巨大な浴槽・・・潜水艦スタイルですが、そこに海水のぬるま湯をはったところに横たわり、25分にわたり、自動ジェットマッサージ・・・・この2つで眠くなったなぁ〜と、お茶をいただきながら、日向で仮眠。その後、アクアジム教室とやらに参加、仕上げは海草でできた粉を身体中に塗られて保温器にいれらること15〜20分。こんなかんじ・・・

あとはバリエーションとして、海草粉パックのかわりにハーブと海草エキスでできたクリームを身体中に塗って保温器に入るものや、巨大な浴槽に入って、係りの人にジェット水流を水中かであててもらうもの(非常に気持ちがいい)、エッセンシャルオイルを使ってのモデラージュというマッサージ、あとはちょっとハードではありますが、消防士のもつようなホースで海水を身体にたたきつけられるというもの(手すりにつかまっていないとよろめいてしまうほど・・・)、あとは足に冷えるジェルを塗って、海水で圧縮する装置のついているブーツのようなものを足の付け根まではいて20分くらい足を冷やして圧迫するというプレソテラピー・・・真夏だというのに、骨の髄まで凍ってしまいましたが、特に女性で夏場足がむくむタイプの人には好評だそうです・・・私はこれはあまり好きではない。

たいてい、こういうかんじのことを半日毎日するわけですが、施設にはサウナとハマムといわれるアラブ式のミストサウナのようなものと、海水プールと淡水プールがついていて、そういったものを各自が利用したりします。

午前中施術をうけた日は午後はホテルのプライペートビーチとやらで日光浴をし、午後の施術の日は午前中に日光浴をするという毎日・・・。たいていプールはあるけどビーチがなかったりするので、今年は2人で大喜び・・・。

「こんな極楽はない・・・・」と喜んでいたら、4日目にしてめまいと疲れがど〜っとでてきました。主人は体中ににきびが・・・・去年よりも好転反応が凄い・・・・パリではどうかすると不眠症気味の主人もかすかな寝息で気持ちよさそうに毎日10時には熟睡、朝8時までぴくりともしないでおやすみしておりました。

しかし、タラソをしなくても実は太陽と海を満喫することで充分、気力体力回復充実になるということを今回は思い知ったのです。

紫外線の害とやらで日焼けを恐れる人が多いのですが、太陽の光を身体中の受けるということは、ご存知の方も多い通り、本来は節度をもってすれば身体によいこと。そもそも、シミというのは肝臓やホルモン系からくるもので、日焼けがひきがねになているかのようにみえるだけ。ただし、皺を増やすことは間違いなさそう・・・・なので、しっかり毎日日焼け前と後に水分補給や油分補給をしなくてはなりません。

太陽の光を浴びると(直視は絶対しないけど)まず、リラックス・・・これは自律神経の失調症を調整するということで、まさしく不眠症によろしいとか。また、太陽光のエネルギーをつかって本来、動植物は身体の代謝に必要な物質を合成しますよね、植物でいえば光合成、人間でいえば、太陽光によりコレステロールを使って骨や歯の形成に大切なビタミンDを合成することで知られています。

今回、生まれて初めて地中海の水に直接入ったわけで、個人的には洗礼のような気がしたりして(笑)。ここカマルグ近辺の海はまだまだそれほど汚染されていなくて、砂も白っぽくてとても綺麗でした。また、一般のごたまぜになった海水浴場から少しはなれていたので、静かで◎。そういったわけで1時間ごとに子供に帰ったかのように海で泳いだり、逆立ちしてみたり、ただ浮かんでみたり・・・していたわけです。プールでは得られない何か、力のようなものをしっかりと吸収したかんじ・・・それこそ、五感で海と太陽に浸りきったというかんじ。

そういえば、近代医学の父といわれる紀元前5世紀の古代ギリシアの医師ヒポクラテスは「自然だけが病気を治す」といったといいます。当時、彼は関節炎に海水浴を薦めていたといいます。中世になると海水が病気を仲介するのではという人がでてきましたが、アンリ3世の主治医であったアンブロワーズ・パレという16世紀のお医者さんは、当時皮膚病を患っていた王様に海水につかって治すようにとアドバイスをしたといいます。その時は南フランス、ではなくてDieppeの海だったそうですが・・・。というわけで、血液循環を促進し、関節の痛みを緩和し、骨粗しょう症やカルシウム不足などによいと、海水浴と日光浴を毎日しているヨーロッパの老夫婦をたくさんみかけました。

海水が人体の体液と同じ比率だとかいうのは、かなり乱暴な意見だとしても・・・、それでおも血漿、リンパなどの体液との親和性がいろんな意味で高いのが海の水。わずかに含まれる植物プランクトンの働きで浄化作用もあり、海水に豊富なマイナスイオンによる逆透析効果なんかも期待できる。

海水の電解質の作用とオリゴエレメントのおかげで、バッテリーチャージができるということらしいです。

理屈はともかく、お陰さまで一週間後には身体にエネルギーがみなぎったかんじがします。
いかに、都会で生きることが本来は自然の一部である人間にきついことか・・・実感するのであります。

私達のような一般のものですらこうなのですから、どうして、ヨーロッパの大金持ちがこぞって夏は海のそばでがんがんに日焼けして1月以上も過ごすのか(本をよんだり、子供と遊んだり、だべったり、昼ねしたり・・・たまに踊ったり・・・というかんじで実はなにもしていない)わかりますよね、エネルギーをチャージしている、単純にリラックスして海と太陽から自然の恵みという、宝をもらっているわけです。

でも、未だに海で泳いでいる猫をみたことはありません。

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