
こちらは、サント・マリー・ドゥ・ラ・メール(Saintes Maries de la Mer)というカマルグにある街。毎度のことながら、駐車場がみつかりません・・・・こちらには小さな海水浴をたのしめる浅瀬の湾があったりして、キャンピングをする家族連れなどで賑わう、庶民的な海水浴場が連なっています。海辺にはホテルやら名物料理を出すレストランが立ち並び、マリーナになっている部分もあります。
この日は空に面白い雲がでていました。
まるで大きな羽を広げた人のような形をした雲のわきにそれより小さい人物2人のような形をした雲が出ていました。
ところで、その土地の名前が示すとおり、海から来た2人の聖女マリアさまにまつわる伝説があります。
カトリック教会の伝承によれば、ナザレのイエスが処刑された後(昇天後)、ラザロやマルタと共にマグダラのマリアはこの地に辿りついたといいます。その後、彼女はサント・ボーム(Sainte Baume)というところの洞窟に隠遁したといえわれ、遺体のうち頭蓋骨がサンディアゴ・デ・コンポステーラの巡礼で有名なヴェズレ(VEZELAY)のサント・マドレーヌ大聖堂に祀られ、そのほかパリのマドレーヌ寺院やサン・マキシマン(Saint−Maximin)にも遺体の一部が祀られているということです。
マグダラのマリアはマリア・サロメ、マリア・ヤコベのほかの2人のマリアという女性とエルサレムをでて、、実は小船でこの土地に漂着したとカマルグの伝説にあります。
マリア・サロメとマリア・ヤコベの2人はこの地に残り、マグダラのマリアはカトリック教会の伝承のようにサント・ボームへと旅立ったことから、この地に残った2人のマリアを「海からきた2人の聖女マリア」と呼んでこの地に祀ったといいます。

実はこのとき、ラザロ、マルタ、サラの3人もお供で3人のマリア様と一緒に到着しています。
マルタはタラスコンに赴き、伝説のタラスクという化け物を祈祷により鎮めて手なずけたといわれています(タラスコンについては2008年8月30日の記事を参照のほど)
そして、このうちのサラが実は、聖サラ・ラ・カリと呼ばれる(通称・黒サラ)この地に定住した流浪の民であるジタンの守護聖人であるということです。そう、この街はジタンのふるさとと呼ばれていたりします。

ジタンというのはフランス語名(フランスの有名なタバコの名前にもありますが)、イタリアではジターノと呼ばれていますが、彼らはヨーロッパや北アフリカにいる流浪の民、よくジプシーと呼ばれる人達です。タロットカードや占星術による占いや、薬草などの知識があったり、フラメンコ、そしてなによりジプシー・キングスに代表されるあの音楽の才能などで有名です。彼らは紀元前1000年ごろに北インドから渡ってきた流浪の人達で、ロシアから来たアフリカまで幅広く分布(?)しています。彼らは流れ芸人、物乞い、盗人、まやくの売人などとして、定住先からうとまれたりすることも多く、辺境の人達と目されてきましたが、それではポリティカリー・コレクトではないという最近の指摘から、ロマ(Roma)という呼称が使われはじめています・・・が、実際、フランスやイタリアで「ロマ」といっても、まだあまり通じないでしょう。
また、この聖サラ・ラ・カリは(インド神話の)シヴァ神の妻の一人でカーリー神という女神と一緒にされているような節があります。彼女は別名「大黒天女」とよばれ、血なまぐさい殺戮をこのむ戦いの神ともいわれ、狂ったように踊り狂うと地がゆれることから、夫のお腹の上で踊ったとかおどらないとかいうことが神話にあるそうです。
いずれにしましても、この土地ではとても大切にされている聖人だそうです。
さて、この地は俗っぽくて、なんか安っぽい観光地の匂いがしすぎて、あまり落ち着かないかんじがします・・・、近くのエッグ・モルトやアルルなんかと比べるとなんかやっぱり落ち着かない・・・・とはいえ、独特の人懐っこさやにぎやかさのあるところともいえます・・・。ただ、お立ち寄りの際はスリ、置き引きにご用心・・・。それに、夏はすごい人手です。
いずれにせよ、興味深い伝説の地。
レンヌ・ル・シャトーの謎、聖杯伝説、レイラインなどが好きな人には訪れていただきたいところです。
実はあの、レンヌ・ル・シャトー(ダビンチなんとかは、これについての本をぱくり、ぱくりして作ったという人が多いですが、納得します)というこの系統のミステリー好きは一度は訪れたい(アングロサクソンにとくにマニアックな人が多いけど)という土地がこの近所(車で2時間くらいかなぁ)ですが、今回、あまりに暑いのでパスしました。
次回にご期待あれ。(笑)