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なんかその都度「?」と感じた一見関連性のない細かいことが最終的に大きな像を結ぶ。そんな観点から幸せを実現していきたいという気持ちからはじめたサイト。よろしくお願いします。

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2009年8月30日 ガロ・ローマ文化遺産の都市・ニーム

今回はなんだかわからないけれど、ガロ・ローマ遺跡をめぐる旅みたいになりましたが、素直にいろいろと楽しみながら勉強させてもらおうとおもいます。親戚の用事でやってきたのが、ガロ・ローマ遺跡の町として知られるニームです。

フランスのラングドック・ルシヨンという地方のガール県の県庁所在地という説明がわかりやすいかもしれませんが、パリからもTGVでアクセスできるので、アヴィニヨンとならんで日本からきた観光客もちらりほらりとみかけます。

ここは、紀元前28年の古代ローマ時代には都市であったそうですから、本当に古い歴史のあるところだなぁ〜とおもいます。当時はコロニア・ネマウサ(Colonia Nemausa)と呼ばれておりましたが、このニームという名前は「Nemausus」というヘラクレスの子供の一人であったという神話上の人物の名に由来しているとかで、これがラテン語→プロヴァンス後→フランス語という形で現在の表記方法(NIMES:Iの上にアクサン・シルコンフレックスがつく)になったということです。

あのカエサルが遠征してきた土地、その後アウグストゥス帝が6kmにわたる城壁をこの都市の周りに築いたといわれます。その跡ということで、アウグスタ門とフランス門とよばれる遺跡が街中に残っています。当時、この街はローマ帝国のガリア南部の属州都市としてもっとも栄えたといいます。
しかし、アルルにその中心が移り、473年には西ゴート族にこの都市は占領されてしまいました。

ポン・デ・ガール(2008年9月1日記事参照)という水道とは、アウグストゥス帝の命令によりアグリッパが一世紀ごろに建てたもので、ユゼス(美しい街ですよ・・・・本当)からここニームへと水を運んだということです。

こちらは、ニームの円形劇場で、2世紀末に建てられたということです。
2万5000人ほどの観客が収容できるということで、猛獣対グラディエイターのスペクタクルの当時の民衆はここで燃えたということらしいです。現在もコンサート、オペラなどに使用されているとのこと。




円形劇場からそう遠くないところにあるのが、このメゾン・キャレ(MAISON CAREE)という4〜5世紀に建てられたというローマ式寺院。ヘレニズム文化の影響をその柱などに色濃く残して、古代には都市のフォーラム(脇に残っています)を見下ろす形で建設されましたが、現在もなお、びっくりするほどよい保存状態で存在しています。元来、アウグストゥス帝の養子の子供(簡単にいえば孫ということですが)に捧げられたということです。



ニームという土地は盆地のような地形になるので、とにかく暑いです。
この日は41度くらいまで気温が上がりました・・・。もうどろどろ状態・・・・。
ということで、ちょっとした観光情報でひとやすみ・・・・ランチ(勿論、ディナーでもよろしいのですが)にお勧めは円形劇場に面したホテルというかレストランというかワインバール・シュヴァル・ブランです。お料理もちゃんとしていて、素晴らしいカーヴがあり、美味しいワインが気軽にのめますし、内装も素敵ですよ・・・。観光地は何かとあまり質のよくないところで変なものを食べてしまいがちですが、こちらはお勧めです。ニームを訪れるのは真夏は避けたほうがいいかもしれません・・・・暑いです。
Le Cheval Blanc
1 Place des ARENES
+33(0)466761959

ニームにはまだまだ、素晴らしい遺跡があります。
ということで、素晴らしいフランス式庭園、噴水公園(Le Jardin de la Fontaine)を訪れてみました。ここにはルーヴル美術館も顔負けの素晴らしい彫刻の数々があり、そのためロマンチックな趣を強くしています。この庭園自体は18世紀に作られたもので、この時代からのものではヨーロッパ屈指のものだそうです。ここにはダイアナ寺院(Le Temple de Diane)という2世紀の遺跡があり、この謎の建造物は16世紀まで実際に教会として機能していたそうですが、元来どのような目的で建設されたのかはわかっていないそうです。なんか、気というか、そういうもんが凄いかんじがするところでしたよ。それにしても、素晴らしい庭園でした。



まだいくつかみたいものもありましたが、とにかく暑いので、危険さえ感じるほどでした。
ということで、主人が昔から好きだったというお菓子を買って、滞在先に帰ることにしました。
そのお菓子屋さんにいく手前に素晴らしい建物を発見しました。12世紀に立てられたといわれる教会でございます・・・。


ニームは、プロテスタントの土地なんですね、実は。
面白いもので、主人の父上はニームのご出身でプロテスタント、母上はアルザスのご出身でカトリックということで、同じフランスでも姿かたちから宗教までまるで違うご夫婦だったそうです。フランスというとカトリックと連想してしまいますが、必ずしもそうではありません。

ニーム観光情報をまたひとつ、ご紹介します。
1775年からの老舗のお菓子屋さん、お菓子の名前がお店の名前になっています。

Croquants Villaret
15 Rue de la Madelaine
NIMES

このお菓子はとにかく堅い。半端な固さではありませんので、ご注意ください。
よくマルセイユのほうのお菓子でアーモンドの入ったアニス風味のほんのり甘い固いビスケットがありますが、それを30倍固くしたような代物・・・・ただ美味しいので、やみつきになります。

ニーム出身の芸術家といえば、画家のクトー(Coutaud・2009年4月29日の記事をご参照のほど)がいますが、彼の書く絵の中にはニームの街角の面影をみることができます。そして、今回ちょっとご紹介するフランスの作家、アルフォンス・ドデ(Alphonce Daudet)もこの土地で生まれたということです。そして、日本でも人気のジプシーキングスのチコはこの土地の人だそうですよ。

ジプシー・キングスジプシー・キングス
(1995/11/22)
ジプシー・キングス

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2009年8月29日 フランス最大のローマ遺跡・グラヌム

次の訪問サイトは、去年の冬に一度訪れている、グラヌム(Glanum)という遺跡。
こちらはフランスで一番美しい村といわれるボー(Beaux De Provence)からサン・レミという村に向かうとあるのですが、もっと判りやすくいえば、サンレミの南側にあります。
この遺跡のすぐそばにヴァン・ゴッフォが滞在した修道院がありますが、これは過去の記事をご参照ください。(2008年12月30日の記事)

連日35度〜40度という暑さ、せみが鳴いてます。
夏と冬ではこうも違うというのが、記事の写真をみくらべるとよく納得いただけるかもしれません。



私よりご存知の方も多いことを承知で簡単に説明すると・・・
これはもともと紀元前6〜7世紀にケルト人により建設された都市で、その後ギリシアの影響を受けながら発展し、紀元前1世紀にはすでにローマ帝国の植民地となっていたそうです。すなわち、ガリア→ギリシア→ラテンという形で発展してきた都市です。
ケルト神話のグラニス神(癒しの神)がこの地の癒しの泉にすでに祀られていたそうです。
この地の名前はこの神様に由来するというわけ。

ローマ帝国の初代皇帝であり、カエサルの後継者であった、アウグストゥス帝(紀元前63−紀元後14)の時代には帝国の属領となり、寺院、浴場、広場、凱旋門などが作られていきます。
蛇足ですが、プロヴァンス地方の名前の由来は、当時ローマ帝国の属州を「プロヴィンキア」と呼んでいたことにあります。

ちなみに、この地方の気候は夏は乾いた暑さ、そして山からくるミストラルという乾いた冷たい強風(ほんとうにきつい・・・)、海からは遠く地中海を越えてサハラ砂漠からくるマランという熱風がふくというのが特徴です。こちらに遊びにくるかたは、その辺をよく確かめていらしてくださいね。

というわけで、上下水道の設備、ローマ皇帝やその家族に捧げられた寺院、湯治場、聖堂、元老院議事堂、集会場などがあったということです。再現した模型でご覧いただくと、わかりやすいかも。



特に、この都市のルーツともなった、癒しの泉、これは一貫して多くの人をひきつけていたそうです。
ローマの医師はこの泉水は「魔法の水」だとして、その有効性を宣言したそうです。アウグストゥス帝の腹心であり娘婿もでもあったアグリッパ(世界遺産にもなっているフランスのローマ水道の遺跡であるポン・デュ・ガールを作りました・2008年9月1日の記事に写真があります)は足を治しに湯治に訪れたといいます。

そして、これがその湯治場と癒しの泉の神をお祭りしたという寺院の跡。



これは、皇帝やその家族を祭る寺院跡ということですが、際立って美しかったです。


そして、こちらが元老院の議会跡。


この都市は260年ごろにゲルマン人により破壊され、住民は今のサンレミ・ドゥ・プロヴァンスへと移住します。そのとき、このグラヌム建設に使用した石を一部使ってサンレミの村を作ったといいます・・・もしかすると知らずに当時の石を踏んで歩いているかも・・・と思いながら散歩しました・・・ロマンをかんじたりして・・・。(笑)

その後この都市に人が住むことはなく、地中深く埋もれていったそうです。つい最近、1921年に発掘されて、フランスで最大、最重要視されるローマ時代の遺跡として、国の手厚い保護を受けているというわけです。

ご存知のとおり、アウグストゥス帝は「ローマの平和・パックスロマーナ」を築いた皇帝ですが、その時代の恩恵を受けて、当時、この都市は本当に美しく、非常に水準の高い生活を人々は謳歌していた模様・・・遺跡から、当時の内装のを再現したというのが、こちら。なんとな〜くですけれど、日本の神道の儀式や装飾に使われている色と似ているような気がしたりして・・・・

やはり、平和であるということは幸せの大前提。
美や快適さやコミュニケーションといった人間を豊かにする要素は、平和があってこそのもの・・・。


尚、この遺跡の脇には夏だけの期間限定営業で、古代食(推定)を食べさせるというレストランがあります。また、当時の製法を再現したワインもありましたが、試飲は遠慮しました。(笑)

尚、この都市は北イタリアからスペインにいたるローマ街道、「ドミティア街道」(紀元前120年前後といわれる)沿いにあります・・・・この街道をたどり、タラスコン、そしてフランスを代表するガロ・ローマ文化の遺跡で知られる都市、ニームへと続きます。

今年は、是非とももっと読んでいきたい・・・・この名作。
ローマ人の物語〈14〉パクス・ロマーナ(上) (新潮文庫)ローマ人の物語〈14〉パクス・ロマーナ(上) (新潮文庫)
(2004/10)
塩野 七生

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ローマ人の物語〈15〉パクス・ロマーナ(中) (新潮文庫)ローマ人の物語〈15〉パクス・ロマーナ(中) (新潮文庫)
(2004/10)
塩野 七生

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