
こちらはフランスで文化財として保護されている、アルルから北5キロのところにあるモンマジューの修道院(Abbey Notre Dame de Montmajour)というところ。
ピーター・オトゥールとキャサリン・ヘップバーンが出演した映画のロケに使われたこともあるそうで、とても美しい場所です。
この修道院の数奇な運命についてちょっと、お話します。
その昔、この土地は沼地が広がっていて、この修道院が建設された場所は島のようになっていたといいます。なんとなく、イギリスの聖地めぐりとか・・・アヴァロンとかを連想させるお話です・・・・。

これは塔にのぼってみえる風景の一部。アルルから、アルピーユまでぐるりと見回せますが、なるほど、昔々は沼地だったところにあった岩の島だったといわれればそんなかんじの地形です。
そもそも948年にベネディクト修道会の修道士が、サン・ピエール修道院をこの岩でできた沼地の「島」に建てたそうです。中世には巡礼の地として多くの人と寄付を集め、支持者も時とともに増えていったということです。
人気に比例して、この修道院についても様々な言い伝えが生まれました。
そのひとつに、ガリア人を教化するようにとローマのペトロの命令を受けてここにやってきた、トロヴィムス(アルル初の司教となる)を祀る寺院だったというものがあります。彼はアルルに紀元前46年にやってきたということですが、この地に隠遁して修行する場所(修道院のようなもの)を作り、弟子をとったそうです。
また、別の言い伝えによると、ここはシャルルマーニュことカール大帝(742−814)がサラセン人と戦った際、命をおとした大帝の兵士を埋葬した墓地であったということです。なるほど、内側に岩の墓地(岩に墓碑がたっていた穴があいている)があります・・・。
さらに、クローヴィスの息子であり、パリ公でもありオルレアン公であったこともあるジルドベール公(497−558)が、この島で隠遁生活を送っていた人達に感心して教会を創設したといわれています。
三つの話とも真偽のほどは別として、当時、ここがスピリチュアルスポットであったことで一致しているようですね。
18世紀、聖ベネディクト会の中でも、高い学識で知られた聖モー修道会(St Maur・この派は16世紀にパリのサンジェルマン・デ・プレで発足)が新しい規律を導入する会の改革運動を展開しました。そして、この修道院にも新しい規則や規定を導入したそうです。それに伴い、修道院の知的精神的修養を高める目的で、ここには図書館も併設されました。
ところが、1789年にフランス革命がおきたことから、この修道院にはわずか9人の修道士だけが残るという状態になります。
しまいには、1791年に62000ルーヴルという値段で人に売られてしまい、その後20人の人の手に渡り、彷徨える運命となります。当時は、干草置き場や一部の農業耕作に使われる部分以外は捨て置かれ廃墟のようになってったそうです。
1797年にそれをみかねたのか、フランス人の画家がこの修道院の一部を買い保護します。1822年にはアルル市が礼拝堂などを、当時の所有者であった地元の漁師などから買い取り、保護したそうです。
この話をきいていて思ったのは、例えば、「フランス革命」というと、フランスの建国記念日という祭日になり、めだたいイメージがありますが、歴史的な事実を断片的にみたり読んだり、きいたりすると、べるばらや映画で語られるフランス革命というのは歴史的な事実からはかなり逸脱している話のようだということです。そもそも、革命というのが、本当に叫ばれるように正義のものならば、無血でもっと平和的になされるべきもの(名誉革命という17世紀イギリスの無血革命もありましたが)。踊らされる民衆というのは、いつの時代、どこの場所でも最後まで気がつかないものなのでしょうか・・・。そうかんがえると、(とくに若者に人気の)ラテンアメリカの革命家ヒーローゲバらなんていうのは、かなり実際に彼がしたことからして、とりちがえられているよい例でしょうね・・・。
さて、話はもどって、このモンマジューにとっての運命の分かれ道(笑)は、1840年に訪れます。
ここで意外な人物(?)が登場します。
「カルメン」の著者である、メリメ(Prosper MERIMEE 1803−1870)は当時、文化遺産などの査察官という役職にありました。彼はこの修道院を優先して保存すべき歴史的リストに載せますが、このおかげで補修が行われることになったそうです。
1859年にロマネスクならびにゴシック様式の建築箇所は国により買い上げられ、1921年(最近ですが)になって修道院部分が国により所有されることになったそうです。第二次世界大戦中はドイツ軍の武器保管に使われていたということです。

内部はこの歴史が物語るように、序所にいろいろなものが付け加えられていった過程がみてとれます。最初に聖ペトロ(サンピエール)礼拝堂が建てられ、11〜14世紀の間は内側に墓地(現在は岩地に墓碑跡の穴があるのみ)ができましたが、この墓碑が日の出(東の方位)にむけてたてられているのは、「復活」を意味しているという説があるそうです。12世紀はここから200メートルはなれたところにロマネスク様式の傑作といわれる聖十字礼拝堂が立てられたそうです。また、12世紀には地下聖堂が作られましたが、これは歩廊に取り囲まれたような構造をしていて、放射線状に5つの礼拝堂にむけて開かれたようなかんじになっています。それぞれの窓が東からの陽光を取り入れるような向きにうがたれています。
一番上の写真は12世紀の回廊部分、2番目の写真はオルムタワーという14世紀に建てられた26メートルの高さの塔からみた風景、そして3枚目は18世紀に建設された(聖モー修道会)修道院部分だそうです。
個人的に一番印象に残っているのは、その壁のなめらかさでした。
内装部分は、ひとつひとつつぶさにみると、それぞれの石が完璧にカットされていて、それぞれ精密に合わされてあり、それが全体的に眺めると流れるような曲線状のものとして目に映るのです。
今はもう「気」を特別かんじるとかそういうのではないけれど、やはり昔はスピリチュアルなしかけの施されてあった場所ではないかと思います。「なにか」昔の人がインスピレーションを得て作ったものが、本来はあった土地のようですが、それが現在は推測する材料しか残っていないのがちと、残念。
そういう意味では、隠れたスピリチュアル・スポットでしょうか・・・。
いずれにしても、美しい場所です。
タラスコン城のタラスクなどの彫刻もあって、どちらも見事な建物ですから、見比べてみる楽しさもあります。