サン=レミ・ドゥ・プロヴァンスというアヴィニヨンから20Kmくらいのところに村というか町があります。
県でいうとブーシュ・ドュ・ローヌ、人口1万人くらいの町で、夏ともなるとけっこうシックなかんじのリゾート地となります。冬の訪問は夏と違って結構、閑散としていましたが、それでもウィンドーショッピングなど楽しめます。
実は、この村出身で世界的な有名人がいます。
この方です。

言われてみれば、あぁ、こういう顔立ちでした・・・・そういえば、というかんじの胸像ですが。
正解はルネッサンス期の医師、占星学者、詩人、というよりは預言者で知られるノストラダムスです。16世紀はじめにアヴィニヨン大学、のちにモンペリエ大学で医学を修めたといわれており、プロヴァンス出身のユダヤ系の人物。
ちなみに、通称アヴィニヨン大学は14世紀はじめにローマ教皇ボニファティウスとプロヴァンス伯でもあったナポリ王シャルル2世が創設し、フランス革命後の大学廃止で一時中断したものの、現在も8000人の学生が学ぶ歴史ある大学。
一方、モンペリエ大学は現在でも医学部、または薬(草)学で知られていて、ヨーロッパ最古の医学部を要する大学。この周辺は錬金術なんかもからんで、アロマテラピーやハーブ療法などの分野の伝統が現在は世界的にも広く知られていますね、この地方出身でこの地方にず〜っと住んでいるという薬草に強いお医者さんや薬剤師の方のアロマテラピーの講義を何度も受けたことがありますが、薬草に詳しい人はプロヴァンス出身者がほとんどといってもいいほど。その中心はモンペリエ大学と印象をもっていました。この大学、13世紀末に設立され、医学部出の歴史的有名人には他にフランスのルネッサンスを代表する「ガルガンチュアとパンタグリュエル」の著書、ラブレーがいます。
医学部以外にも神学部、法学部があり、私の友人もここで法学部を学んだとかいっていますが、あの詩人のポール・ヴァレリーもここの法学部出身の有名人、学部に彼の名前を冠したところがあるそうです・・・・この詩人の人生にはルノワールやドガなんかもかかわっているそうですが、歴史的な文化人が多くかかわっているよう。
プロヴァンス地方を旅すると、いろ〜んな意味で文化的な地層が厚いと関心します。
横道にそれましたが、これはノストラダムスの泉といわれる噴水みたいなもので、泉自体はルイ16世のときにはあった模様。
ご覧のものは19世紀後半に作られたとか・・・ノストラダムス、さりげなくいましたんですねぇ・・・(笑)。
サン=レミ・ド・プロヴァンスにはまだ面白いサイトがあります・・・・。
古代ローマの遺跡グラノム(Glanum)と呼ばれるものがあります。

もとは紀元前4世紀ごろ、ケルト民族がグラニスという癒しの神の泉をまつったことから始まり、後にギリシア様式の影響をうけ都市として発展し、紀元前1世紀にはローマの植民地になっていたということです。その後、3世紀半ばにゲルマン人により破壊され埋没し、20世紀になり遺跡として発掘されたとのこと。向かって右のアーチが凱旋門、左がモゾレ(Mausole)と呼ばれる死者記念塔だそうです。

これはモゾレ(死者記念塔)の一面ですが、おそらくはギリシア神話上の騎馬戦を描いたものといわれ、塔自体の高さは18メートル。この大半が長いこと土に埋もれていたということですが、古代遺跡としてはフランスでも最重要価値のあるもののひとつとされているそうです。
そして、もうひとつのサン=レミ・ドゥ・プロヴァンスの目玉。
この遺跡のそばにある、モゾレのサン=ポール病院とよばれる施設。
上述の遺跡はもともと、癒しの泉というのがルーツで発展した古代都市だったのですが、ギリシア・ローマ時代はValetudoという(癒しの)女神の泉として巡礼するものが後をたたなかった場所。その後、キリスト教の修道院が建てられ、異教徒、病人、精神病患者などの社会から排除された人を救う使命をになってきたそうです。
現在は、1995年にAssociation Valetudoという組織が発足し、精神病患者を中心にしたケア、医療活動を続けていると説明書きにあります。風雪に耐えたロマネスク風の外観、ラベンダー、オリーブなどの畑にかこまれていました。春や夏はさぞかし美しいことだろうと思います。

なんでも、5世紀あたり、ポールという人が土地を耕していると、教会の密使がやってきて司教になるようにといってきたんだそうです。この男はこの申し出を拒否しましたが、密使達は食い下がります。そこでこの男は杭を地面に打ち込んで、「この杭に花がさいたなら申し出を受けよう」というと、杭にみるみる花が咲いて、司教になることになったというもの。この伝説に基づいて礼拝堂が建てられたといいます。そこで、モゾレの聖ポールの修道院とか病院とか呼ばれているそうです。
この場所縁の人物で有名なのはなんといってもこの悲劇の画家でしょう。
ヴァン・ゴッホが暮らした部屋も再現されていました。
ここであの「星月夜」、「糸杉のある麦畑」「麦刈る人」「アイリス」などの有名な作品が生まれたんですね・・・彼は1889年から1年間、本人の希望で入院していたそうです。この期間、150を超える絵画を手がけたというのですから、おそらく魂、心、体などが土地や土地の人から滋養をうけたのでしょう。
ゴッホはこの場所を離れて2ヶ月後、ここから30キロくらい離れたオーベル・シュール・オワーズというところでなくなったそうです。彼の晩年の幸せの地が、この修道院であったともいえますね。

ご覧のように、質素で、必要なものしかない生活、一方、豊かなプロヴァンスの自然と人の愛にかこまれた生活、春や夏はおそらく、太陽の日差しとともにプロヴァンスの美が満開となり、この小さな窓から豊かさがこの簡素な小部屋に溢れるように流れてきたんでしょうね・・・・
人間というのは、おそらく物質的に余分なものがないと、精神的に開花しやすくなるものなのかもしれません。
友人はこの部屋に妙な愛着をかんじたようです・・・・そういえば、ドイツ人らしき観光客のおじさんもこの部屋から動こうとしなかった・・・・私はなんかさみしくなってしまいましたけど。男性にしかわからない何か哀愁のようなものがあるんでしょうか????

階下にはロマネスクの見事な回廊がしつらえてありました。花が咲く時期はお花で一杯になるとのことで、聖ポールの伝説もあって、この場所にはお花を祝福としてモチーフにした彫刻もありました。
隣にある礼拝堂では、やはりクレシュが飾られていました。
20サンチームいれると、灯りが点滅し、電気じかけが作動するようになっていました。
この施設は、ボランティアや寄付金、こうした観光客からのお金でまかなっているところが大きいといいますから、小額ですが、よいお金の使い方をさせてもらったというかんじですね。
つつましやかで、心がやすらぐような、やさしい礼拝堂でした。
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